第261話 子どもをあやすのは難しい

「ってぇ……」


 遠慮のない一撃。

 まだ遠慮を知らない保育児が他の子に思い切り噛みつくことがあるとか、そんな話は聞いたことがあるけど、普通大人なら噛まれたら痛いってのが分かるから、どこかでセーブしてしまうと思う。でも、そんな意識が発動しなかった一撃は、俺の左肩に大きなダメージを与えていた。

 嚙まれた瞬間に俺が痛みに耐えかねてジタバタしたことでそのまま噛まれ続ける事態は避けたけど、あのままだったら噛みちぎられてたんじゃないか、とか、もし噛みつかれたのが首筋だったら……とか、ちょっとゾワっとする想像をしつつ、俺はまだ俺の身体の上に居座るゆきむらへ涙目になりつつ視線を送る。


 って、マジかよ……!?

 

 上体を起こしつつ、俺に馬乗りになっているゆきむらの表情は、うつらうつらというか、小刻みに身体をゆらゆらと揺らしている。

 その様子から噛みつきも寝ぼけた上での行動だったんだろうと察したけど……噛まれた左肩に触れれば、そりゃもうくっきりと歯形がついているのが見なくても分かった。

 なんという一撃か、まさかこれが……ゆきむらの裏コード、ザ・ビースト!?


 そんな、痛みのあまり訳の分からないことを考えてしまったが、俺がくだらないことを考えている間にだいがゆきむらを後ろから確保して引っ張ってくれたので、とりあえず俺は身体を起こしてから再度電池切れのようになったゆきむらの様子を確認。


 うん、やっぱ寝てる……っぽいよな……?

 となると、今の一撃はなんだったんだ?


 まさか、さっきの会話を……?


「ゼロやん平気?」

「ん、俺の腕がちゃんとついてるなら平気……」

「なら大丈夫ね」


 後ろからゆきむらを抱きしめるだいは、まるでほんとの姉妹のようで。

 身長こそだいの方が低いが、眠くなった妹をあやしてる姉、って構図にも見える二人は少し微笑ましい気もするけど、まだ噛まれたとこが痛いので微笑む余裕は俺にはない。

 とはいえ怒るのもね、ゆきむらの意識がなさそうな今意味ないだろうし、とりあえずこのゆきむらをどうするか、だな。


「ゆきむらー?」


 とりあえず、起きてもらわないと動くこともできないから、ぐったりしているゆきむらを起こすべく俺は声をかけるけど……。


「ん……」


 寝ぼけたような声はするものの、ゆきむらが覚醒する様子はなし。

 っつーか、こんなゆきむら初めて見るな。

 宇都宮オフの時の2日目の朝に会ったゆきむらはそんなに睡眠時間多くなくてもしゃっきりと起きてたし、朝は弱いわけじゃないと思ってたんだけど……。

 となると、今のこれは完全に飲んでたはずが呑まれた状態か。

 しっかしここまで酩酊してる奴、久々に見たな。


「ゆっきー起きれる?」


 俺がゆきむらを起こすべく声をかけたのに合わせ、今度はだいが後ろからゆきむらに声をかける。

 だが、優しいだいの声にはゆきむらは一切反応を見せず。

 おいおい、無視はいかんだろ。


「ゆーきーむーらー?」


 でもね、さっきも言ったけど今怒っても無駄だからな。

 今やるべきは、意識を戻すことだ。もしゆきむらがものすごく眠かろうが気持ち悪かろうが、意識があれば後はなんとかなる。


 なので俺はさっきの今でちょっとだけビビりつつも、だいが抱きしめているゆきむらの方へずずっと座ったまま近づき、腕を伸ばしてゆきむらの肩をとんとんと叩いてみた。


 すると。


「なぁっ!」

「わっ!?」

「おおうっ!」


 一体何に反応したというのか、だいの腕を振りほどいたゆきむらが、俺に向かって飛びかかってくるではありませんか!

 そう、まるで草むらから野生のゆきむらが飛び出してきた! 的な動き。

 よし、ここであのボールを! とかなるわけもなく、むしろその急な接近に俺は正直また噛まれるのではとかなりビビってしまったが、とりあえず今度は噛みつく様子はないみたい。

 というか。


「ゆっきー? 何してるのかしらね?」


 うわ、こわっ……!


 そう、俺に飛びかかって、しがみついてきたゆきむらは、まるで飼い主に甘えるペットかのように俺の胸部へ頬ずりをしてくるではありませんか。

 すぐそばにあるゆきむらの髪からふわっといい匂いがする気がする……けど、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。

 というか、こんな堂々とくっついてくるというか、甘えてくるゆきむらは初めてで、俺は2つの異常事態を前に強硬直状態。

 え、2つって?

 いや、ほら、ゆきむら自体はもちろんだけど……こんなゆきむらに対してだいは嫉妬なんですかね、表情は口元は穏やかな微笑みっぽいんだけど……なんというか目が笑っていないのだ。


 その闇のオーラを纏うような威圧感ある微笑みに、俺は恐怖すら覚えていた。


 しかし。


「ほら、離れないとダメよ?」

「やぁ!」


 離れないと、そう言っただいがゆきむらの肩を掴んで俺から引き離そうとしたが、当の本人はまるでちびっ子みたいに首を横に振りつつ、さらにぴたっと俺にくっついたまま離れない。


 っていうか「やぁ!」って。

 おいおい、ゆきむらってそんなこと言う子だったっけ!?


「ゆっきー? いい加減にしなさい」

「やだっ!」


 なんだ……と!?


 さすがにそろそろ怒り具合が高まってきただいに対しても、ゆきむら怯まず。

 というか、最早こいつはゆきむらなのか?


 俺にくっついたまま顔だけをだいに向けたゆきむらは、「やだっ!」と言った後だいに向かってぶんぶんと首を振っている。

 そうかそうか、離れたくないんだねー……。


 って、いやマジでどうしたゆきむら!?

 え、何、裏の裏コード発動!? これがザ・ベイビー!? って裏の裏だと表か!!

 いや、ああもうそうじゃないだろ!


「と、とりあえずほら、もう帰らないと行けないからな?」


 このままだとだいの不機嫌が増すばかりか、だいとゆきむらの関係が悪化してしまう危険性がある。

 しかもだいは明日仕事だし、このままだとね、まずいのだ!


「ん~?」


 だが、今度は俺が話しかけると、にぱっと嬉しそうな笑顔を浮かべてこちらを振り向き、再度俺への頬ずりを再開。

 その笑顔はまるでキラキラって感じの、分かりやすいほどにニコニコっとした無邪気さに溢れたもので。

 うわ、なにこれ可愛い……って、違う違う!

 今までゆきむらのこんな自然な笑顔見たことないけど、お前はそんなキャラじゃないだろ!


 とりあえず、お前は笑ってる場合じゃないぞ!?


「いや、だからさ?」


 これだったらまだ眠っててもらってた方が楽だった。

 この酒に呑まれておそらく起きたら記憶など残ってなさそうな行動は、まずい。


 頼む、起きてくれ……!


「そろそろ本当に怒るわよ」


 だが、俺の心配する事態が着々と近づいていく。

 ゴゴゴゴゴゴ、となんか怒りの炎が見えそうな雰囲気のだいが、俺にしがみつくゆきむらの肩に手を置き声をかけると。


「やっ!」


 またしてもゆきむらがその手を振り払おうとジタバタし……。


「いたっ」

 ガシャンッ!!


 小さな悲鳴とともにテーブルの上に残ったままだったグラスが倒れ、なんとか割れはしなかったが、あわやの事故が起きかけた。

 でも。


「大丈夫か!?」

「うん、引っかかれただけだから平気……でも、このままだとお店にも迷惑かけちゃうわね」


 ゆきむらがじたばたした結果、ゆきむらの爪が当たったのだろう、だいは自分の左手で右手の甲をさすりつつ、テーブルの上の倒れたグラスを直していく。


「ゆきむら、俺も怒るぞ」


 俺はまだしも他の人に危害を加えるのは見過ごせない。

 俺はしがみついてくるゆきむらの両肩に手を置いて、少しだけその肩を押し、俺と目が合ってご機嫌な様子を見せるゆきむらに、真剣な顔つきで向き合った。

 動物的な本能か、さすがに今度ばかりはゆきむらもね、ちょっと怯えた感じに変わったけど、今だいにしたことは、ダメだから。


「ごめんなさいは?」

「う〜……」


 ほんと何歳児を相手にしてるんだ、って感じだけど、俺がゆきむらへだいに謝るよう促すと、まるでわがままを聞いてもらえない小さな子どもみたいに、ゆきむらはバツが悪そうに俺から視線を外して小さく唸り続け……。


「あ」


 なんと。

 ごめんなさいを言うのを待っている間に、まるで逃げるようにゆきむらはカクンとうなだれ、再度小さな寝息を立てつつ動かなくなってしまったではありませんか。

 なんという切り替え。

 いや、これ本当に無意識か?

 や、意識してやられててもね、それはそれでびっくりなんだけど……。


「はぁ……」


 そんなゆきむらに、ついにだいがため息をつく。

 なんというか、怒る気も失せた、って感じ、かな……?

 ちなみに俺は手を離すとゆきむらが倒れそうなので、とりあえずさっきの体勢のままキープ中ね。


「この際しょうがないわ、ゼロやん、ゆっきーをおんぶしなさい」

「いや、しなさいって……へ? お、おんぶ?」

「ええ。眠ってる今がチャンスよ。お店の中で暴れられると迷惑だし、とりあえずゼロやんにくっついていれば満足みたいだから。ゆっきーつれて、うちまで行きましょ」

「え、ゆきむらもつれてくの?」

「当たり前でしょ? その状態のゆっきー一人で帰せるの?」

「あ、それは……ごもっとも、だけど……」

「帰れる時間に起きたら別だけど、今日はうちに泊めて、明日の朝駅まで連れてってあげてくれる?」

「あー……なるほど、たしかにそれが最善手か」

「うん。じゃあその手筈でいきましょ。私会計してるから、先にゆっきーの靴出して、はかせててくれる?」

「わかった」


 ということで。

 今はやむなし、というだいの判断が下された結果俺はひとまずゆきむらを背負い、ここから移動することに。

 いったんゆきむらの姿勢キープをだいに任せ、俺はゆきむらに背を向け、ゆっくりと俺の方に倒してもらい、ゆきむらの腕を俺の身体の前の方に持ってきて……準備完了。


 うわ、軽っ。

 華奢で細いとは思ってたけど……これはだいよりも軽いなー。

 

 背負ったゆきむらの温もりを感じつつも、俺はその軽さに少しびっくり。

 いや、だいも細身だけど……あれか、部分的な重みの差か?

 ……いえ、なんでもありません。


 とかね、そんなくだらないことも思いつつも、俺はゆきむらを背負って立ち上がり、ゆきむらの分の荷物を持っただいと頷きあい。


「落とさないようにね?」

「気をつけるよ」

「うん。あと……」

「ん?」

「変なとこ触ったりしたらダメよ」

「いや、しねーよ!」


 ったく……!

 この状況でそんなことするやついるもんかい。

 

 しかしまぁ、女の子背負って移動するって、ちょっと恥ずかしいね……!


 会計へ向かう道中、前を歩くだいに続いてゆきむらを背負って俺も歩くけど、店員さんやら他の客やらの視線をひしひしと感じる。

 とはいえ、置いてくわけにもいかないからさ……!


「ありがとうございましたー!」


 店員さんの明るい挨拶を受けながら、21時31分、先に帰ったみんなに遅れつつ俺らも退店。

 いやぁしかし、人を支えながら歩くってのは大変だ。

 子どもできたら、この時間がめちゃくちゃ増えるんだよな……しかも言葉もなかなか通じない時期もあるんだし……。

 うん、改めてリダと嫁キングを尊敬だわ。


 ま、今俺が背負っているのはもう立派な成人なんだけど。

 やれやれ……。


 まるで子どもの世話をする保護者よろしくそんなことを思いつつ、俺は穏やかな寝息を立てるゆきむらを背負ったまま、少し前を歩いてくれるだいの後に続くように、新宿の街を歩くのだった。









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以下作者の声です。

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 酔っ払いゆきむらに振り回される大人二人、の巻。

 今回文字数少なめですね。


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本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉が掲載されております。

 こちらも年明けからの始動予定。

 本編の回顧によろしければ~。






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