第235話 おお魔王よ、やられてしまうとは情けない

「っつ……やるではないか人間風情が……」


 側頭部に受けた谷本の一撃は相当なダメージで、俺はふらふらとよろめきつつも、舞台を止めてはならない、その一心でアドリブながら演技を続けた。

 だがそんな俺のアドリブに対して、何故か谷本も十河も演技を続けない。

というか、青ざめたような表情を俺に向けていた。


 おいおい、この事故を舞台にしてこそ本物だろ?


 そんな俺の気持ちを伝わることなく、演技が続かないからか、客席からもどよめきというか、どことなく悲鳴のような声も聞こえ出す。


 え、この空気、まずくね?


「り、倫ちゃん……」


 そしておずおずというか、恐る恐るというか、不安そうに俺に対して指を指してくる十河。


 いや、まだ終わってないのに倫ちゃんって呼ぶのはいかんだろ!


 って、思ったんだけど。


 つーっと何か、俺の左頬を伝う感触。

 あれ、たしかに体育館は暑いけど、そんな汗かいてたっけかな。


「……え?」


 滴った汗と思ったものが、体育館ステージの床に落ちる。


 その汗だと思ったものは、赤かった。

 それに気づいて俺は思わず情けない声を出してしまったけど、っていうかまぁ、よく考えたら左頬だけを伝う段階で気づけた気もするね。


 そっと左頬に触れた手は、見まごうことなく赤い液体を伴っていた。


「倫ちゃん!」


 そしてその後もぽたぽたと伝いだす俺の赤い汗、もとい流血に気づいたのか、俺の背中側にいた市原の悲鳴のような叫びが聞こえる。


「先生ごめん! マジごめん!!」


 その声に呼応するように、谷本から俺に向かって全力謝罪が飛んでくる。

 このステージ上の様子に、ステージ上だけでなく客席のどよめきも大きくなるのがよく分かった。


「え、あ、ええと、大丈夫。うん、大丈夫だから」


 こうなってはもう演技どころじゃないし、怪我をしたのはもう理解した。そして気づくとね、左側頭部がなんだかかなり痛い気もする。

 でも俺はこいつらの担任で、不安にさせてはならないから。

 そう思って安心させるように笑って一歩、谷本の方に近づこうとして。


「あえ?」

「「倫ちゃん!?」」

「先生!?」


 俺の間抜けな声と同時に、悲鳴のような声をあげる3人。


 軽い脳震盪でも起こしてるんだろうか、踏み出そうとした瞬間力が入らず、俺はその場でよろめいて派手に転倒。なんとか頭を打つことは免れたけど、思い切り尻餅をつく形でその場に座り込む羽目に。


 あー、やべえな。みんなの文化祭が……。


 そんな心配ばかりが俺の脳裏をよぎる中、真っ先に駆け寄り心配そうな表情を浮かべる市原の顔が目に入る。


「倫ちゃん死なないで!」


 いや、死ぬとかそんなレベルじゃねーって。

 頭部の怪我は出血量が多く見えるだけだから……って思うんだけど、痛む頭に俺はうまく言葉を返せず、弱々しい笑みを浮かべるしかできなかった。


 そんな俺の姿に市原は何をどう思ったのか、何故か客席の方へ振り返る市原。


 そして。


「助けて里見先生っ!」


 ……は?


 ステージ上も客席もどんどんどよめきが大きくなる中、いるはずのない名前を客席に向かって叫ぶ市原。

 その市原に「え、誰?」みたいな視線を送る谷本と十河。


 いや、うちの学校に里見先生はいないし、お前の知ってる里見先生だいとはお互いの文化祭を見に行かないって約束してるんだけど……。


 と、俺が茫然と市原に視線を送っていると。


 タッっと客席の最前列から誰かがステージ上に軽く飛び乗り、俺の真横へやってくるではありませんか。


「……へ?」


 そして俺の横にやってきた女性は、鞄からぱっと取り出したハンドタオルをそっと痛む俺の左側頭部に当ててくれた。

 その女性はマスクをして丸レンズの伊達っぽい眼鏡をかけた、ジーンズに英字がプリントされたTシャツとカジュアルな格好の美人さん。

 ええ、マスクと眼鏡してても、見間違うことはありません。


 どう考えても市原の言う通り、里見先生俺の彼女です。


「……なんで?」

「いいから。頭を打った時はまず安静よ。でも、意識はあるみたいね」


 いや、え、なんでいんの? 聞いてないんですけど?

 っていうか、え? 市原は来てたの気づいてたの?


 あ、もしかしてさっき俺になんか言おうとしたことって……?


「里見先生倫ちゃん死なないよね!?」

「ええ、大丈夫。安心してね」


 今にも泣きだしそうな市原に笑って答えるだいは、なんというかまぁ、まるで聖母みたいです。


「大丈夫ですか?」


 そして遅れること十数秒、体育館ステージの上にもう一人の女性が登場。

 ぽーっとした表情に何となく分かるレベルの心配の色を浮かべるのは、どう見ても知った人だった。

 その人物に不思議そうな視線を送る生徒諸君。


「ゆっきー、体育館の入口に誰かしら先生がいると思うから、本部への連絡と養護の先生を連れてくるように伝えてくれる?」

「わかりました」


 そして俺のそばにきてすぐながら、だいの指示を受けてゆきむらがまた去って行く。


 生徒たちからすれば今ステージに上がってきた人は誰なのか全く持って理解不能だろうが、流血して座り込んでいる俺を心配そうに眺めるばかりの生徒たちと違って、やはり大人な二人は頼りになるなとか、思っちゃったね。


 いや、でもなんでここに?


「市原さん。体育館の中に誰か先生がいれば呼んできてもらえる? 幕を閉じて、一旦ステージ発表を中断させるように放送してもらって」

「わかりました!」

「あ、俺も探してきます!」

「わ、私は幕閉じてくる!」


 俺の傷口を抑えながら、真剣な表情で指示を出すだいは、きっと普段はこんな感じで先生やってるんだろうな、と思わせてきてちょっと新鮮。

 だいの指示にドレス姿の市原が頷いたことから、おそらくだいが誰かは分かってないけど、市原が「先生」と呼んだ相手ということを察した谷本と十河が動き出す。


 3人が動き出したことで、ステージ袖にいた生徒たちも照明を消したりとわたわたと動き出す。

 

「……タオル汚しちゃってごめんな、洗って返すよ」

「こんな時に何言ってるのよ馬鹿」


 いや馬鹿って、それが怪我人に対する言葉かね?


 でも、座ったことで少しでも安静にしたからか、俺の脳もようやく正常に動き出してきたみたいである。


「見に来るなら、言ってくれればよかったのに」

「お互い行かないって約束したでしょ? ……でも、ゆっきーが行きたいっていうから、一緒に来ちゃったんだけど。黙っててごめんね」

「いや、ううん。おかげで助かったよ」


 ステージ上の生徒たちが慌ただしく動く中、舞台中央らへんでだいと二人という不思議。

 文化祭ってのは生徒のためのものなのに、幕が引かれていく中最後まで客席から見える位置にいるのが大人二人っていうのはほんと、謎だな。


「練習の成果、出てたわね」

「だろ?」

「でもそのメイクは、あんまり似合ってないけど」

「そう言うなって。生徒がやってくれたんだから」


 俺がちゃんと話せるようになったことに安心したのだろう。先ほどまでの心配そうな表情が和らぎ、俺の傷口を抑えるだいは小さく笑っていた。


 演技指導だけじゃなく、まさか怪我の対応までしてもらうなんてね。

 ほんとなんというか、頭が下がるなぁ。


「倫くん大丈夫―? って、ええと、どちら様?」


 そして幕が閉まり切り、生活指導部の先生による「ステージ発表を一時中断させていただきます」という放送を聞きながら、しばしだいと言葉を交わしていると、ステージ袖の方から我が校の養護教諭である笹戸先生と、だいと同じような格好をしたゆきむらが再び登場。

 

 しかしなんというか、自分の職場でゆきむらにも会うって変な感じだなぁ。

 でもあれかな、ゆきむらが呼んできてくれたのかな? ありがとうな。


「あ、月見ヶ丘高校の里見と申します。すみません、勝手にステージに上がってしまって」

「月見ヶ丘の里見さん……あ、倫くんの彼女さんですか。見に来てたんですねー。でもほんと、聞いてた以上に美人さんですねー」


 俺の傷口のケアをしてるだいがステージ上に現れた笹戸先生に名を名乗るけど、そうか、この前は笹戸先生おねむだったから笹戸先生からすれば初対面か。

 そんなだいに笹戸先生はいつもの感じで反応するんだけど、まずは俺のこと見て欲しいところです。


「一緒に来てる神宮寺さんも可愛い子だし、倫くんも隅に置けないなー」


 いや、だからね?


「っと、はいじゃあちょっと傷見せてねー」


 と、ようやく俺の思いが通じたのか、笹戸先生が俺の横へ移動し、タオルを離すだい。

 つーっとまた血が垂れるのを感じつつ、ちらっと横目にだいのタオル見たけど、もうなんというか、けっこう真っ赤っていう感じ。

 

 うん、今度新しいのプレゼントさせていただこう。


「痛そうですね……」

「あー、うん。病院だね」


 あんまりそんな感情が伝わってこないゆきむらはいつも通りだとして、ぱっと俺の傷を見てから笹戸さんがだいに目配せをし、再び当てられるタオル。


「病院レベル?」

「そだねー。数針縫えば大丈夫じゃない?」

「え、マジすか? いや、でもまだ文化祭が……」

「流血してる担任なんて生徒もドン引きでしょー? もうしっかり話せてるし、自分で立てるだろうから、自分で傷抑えながらタクシー呼んでいってらっしゃい」


 いや、マジかよ。

 うーん、絆創膏とかでなんとかならないか、そう思ってたんだけど……。


「後のことは他の先生に任せて、ほら怪我人はさっさと移動しなさいな。床拭いて消毒しないと。まだ次の団体もあるんだしさ」

「あ、そうか……」


 そう、体育館ステージはこのあと吹奏楽部による演奏があるのだ。

 それを見に来た保護者も多いだろうし、いつまでもここに居続けるわけにはいかない。


 しかしなんというか、心残りが多すぎるぞ……。


「恵理華ちゃん、倫ちゃん大丈夫!?」


 と、そこに色々先生を探しに走り回っていた市原が副校長を引き連れて登場。

 他の戻って来た奴らも気づけば遠巻きながら心配そうに俺たちのことを伺っている様子である。

 そしてまた見たことない存在であるゆきむらに「誰?」みたいな視線を送ってた気はしたけど、とりあえず今は気にしないでいてくれるようで安心。


 だいとゆきむらと市原とか、ちょっと混ぜるな危険臭がするからね!


「大丈夫大丈夫。とりあえず倫くんには病院行ってもらうねー。副校長、タクシー呼んでもらっていいですか?」

「タクシーか、分かった。北条先生、労災出るから領収書忘れずにね」


 副校長もステージの上にいるだいとゆきむらに不思議そうな視線を送っていたけど、とりあえず笹戸先生に話を振られたので、自分の職務を自覚してくれたみたい。

 しかしまぁ、労災かー。情けねぇなぁ……。


「副校長、こちら倫くんの知り合いで、月見ヶ丘高校の里見先生とそのお友達の神宮寺さんです。倫くんについてってもらっていいですか?」

「おお、月見ヶ丘の方でしたか。そうだね、うちも人手は余ってないし、お願いします」

「分かりました」

「はい」

「あ、倫くんその恰好だとさすがにか。そらちゃんは倫くんの着替え持ってきてー」

「わかった!」


 そして副校長がその場でおそらくタクシーを呼ぶために電話してくれる間、テキパキと笹戸先生からの指示が飛ぶ。

 その指示を受け市原がまた走って行き、その間に俺もだいからタオルを譲り受け、自分の傷を抑えながらゆっくりと立ち上がる。


 うん、もう立っても大丈夫みたいだな。


「山中、悪い。俺ちょっと病院行ってくるからあと頼んだ。後夜祭まで戻れなかったら、島田先生あたりに指示聞いてくれ」

「は、はい! 先生お大事に!」

「おう。谷本には気にすんなって言っといて」

「了解っす!」


 そして少し離れて見守る山中を見つけたので、俺は山中に舞台の撤収やらの指示を出して電話を終えた副校長に続き、だいやゆきむらたちとともにステージ袖からステージ下へ歩き出す。


「痛みますか?」

「あー、まぁ大丈夫だよ。というか悪いな、せっかく見に来てくれたのにこの様で」

「いえ。実際の学校を見れたのはいい経験になりましたから……でもゼ……北条さん、そのメイクは変ですよ?」

「お前も言うのかよ」


 負傷した魔王がスーツ姿の副校長や私服姿の女性と歩く姿は、それはもう好奇の目の対象でしかないだろうけど。

 せっかく来てくれたゆきむらに詫びつつも、だいに続いて「メイクが変」という言葉に苦笑いを浮かべつつ、俺は止む無く途中退場となった文化祭に後ろ髪引かれる思いを抱きながら、校門で市原をはじめとするクラスの奴らから着替えを預かり、だいとゆきむらとともにタクシーで病院へと向かうのだった。







―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―

以下作者の声です。

―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★― 

 ステージに上る時、だいはバッと片手をついてそれを軸に飛び乗り、ゆきむらは両手をついてよいしょよいしょと登ってました。

 そのせいでゆきむらの到着遅れてます。


(宣伝)

本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉はちょっと途中で停止状態ですが、1,2作目掲載中です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る