第231話 ここが腕の見せ所
「せ、先生! どうしよ……」
俺と市原が教室に戻ると、小道具や背景を作る生徒たち含めて、みんなが何とも言えない表情を浮かべていた。
廊下からは他のクラスの賑やかな声が聞こえる中、明らかに異質な空間となる教室内。
だがそこが自分のクラスなのだから、当然俺は出ていくわけにもいかない。
俺に真っ先に助けを求めたのは委員長の谷本。
たぶん、こいつなりに色々和まそうとかしてくれたのかもしれないけど、どうやら十河は友達の方にも行かず一人で教室の端にいるし、市原の女子たちは何やら固まって何か話している。
これを険悪と言わずして何と言うべきか。
とりあえず、教室内で作業を続ける生徒からしたらやりづらいだろうし、ここはまた移動するか。
「ごめん! 教室にみんな入ると狭いな! 戻って来たとこいきなりで悪いけど、役者組は中庭に行こう!」
ということで、俺は再び場所を移すように指示を出す。
もうすでに体育館で何があったかは教室居残り組も知ってしまったかもしれないが、俺まで深刻にしたらクラス全体の空気が悪くなってしまうから、努めて笑顔で、大丈夫だと言い聞かせるように。
「谷本、山中、ちょっと先に行ってみんなで改善点について話し合っててくれ」
「え、マジすか」
「せ、先生は?」
「俺はちょっと職員室に取りに行くものがあるから。すぐ行くから、待っててくれ」
「わ、わかりました……でも、なるはやでお願いしやす」
「わかってるって」
不安そうな顔を浮かべる谷本の背中を叩き、俺は再びクラスの半数くらいの生徒を追い出して、一度職員室へ。
十河も市原も、ちゃんとやろうと思ってる気持ちは一緒なんだし、話せばわかるはず。
ただちょっと、今は噛み合わせが悪くなってるだけだからな。
ちゃんと話し合わせて、方向性が一緒なことを確かめれば、きっと大丈夫。
でもイライラにはね、あれが必要なこともある。
俺は職員室に秘密兵器を取りに準備で盛り上がる校内を移動しながら、足早に職員室へ向かうのだった。
「お待たせ!」
そして俺がエコバッグを肩にかけて中庭に着くと、市原を囲む女子たちと十河を対角の位置にしながら、真ん中らへんで男子たちだけで改善点などを気まずい空気の中で話し合っていた。
ほんと、こういう時男子は弱いなー……気持ちは分かるけど。
「いやぁ空気悪いな! 本番は明日なんだからさ、みんなセリフの確認とか、しっかりしてこうぜ!」
だが俺も男子ではあるが、生徒たちとは立場が違う。
ということで俺はみんなの視線が集まる中、先ほどの教室の時と同じように笑顔に努めながら全体に声をかける。
とはいえね、これですぐに空気が変わるなんて、俺だって思っちゃいない。
さて、まずは。
「十河。こっちおいで」
一人ぼっちの十河から。
さすがに十河も強がってる風には見せても、この状況は不安だろうし、市原より先に十河と話すことにしたのだ。
俺が十河を呼んだことに女子たちが何か言いたげだったが、俺は素直にやってきた十河を連れてみんなから見えるけれど、少し離れたところに移動する。
「少しは落ち着いたか?」
「……別に」
俺についてきてくれた十河は完全にご機嫌ななめ全開という感じで、最近見せていた笑顔を完全に消し去り、俺の目を見ることもない。
でも、ちゃんと指示にも従うし、帰ったりもしないから、本人としても今がまずい状況ってのは、分かってるんだろうな。
ここで一歩間違うと、またこいつが不登校になりかねないし、ここは慎重に……。
「十河は演技得意なんだな」
「は? 今そんな話?」
「いや、だってさっきすごかったじゃん。身振り手振りつくとさ、迫力もあったし」
「別に……家でイメトレしただけだし」
市原とのことを言われると予想していたであろう十河は、最初こそ何言ってんのみたいな表情だったが、やはり褒められるのは嬉しいのだろうし。俺の称賛を聞いて少しだけ語尾の棘を取ってくれた気がした。
「ありがとうな、演劇って決めた時いなかったのに、クラスの出し物に協力してくれて」
「……でも、あたしのせいで空気悪くなってんじゃん」
「たしかに今はそんな空気かもしんないけどさ、十河はいい舞台にしようと思って言ってくれたんだろ? なら協力しようとしてくれたことには違いないだろ?」
言葉の棘は減りつつも、拗ねた態度は変わらず。
だが俺の言葉を否定しないのは、肯定ってことでいいだろう。
「その気持ちはさ、みんな一緒なんだよ」
「え?」
「台本考えた山中も、主役立候補した谷本も、他の役のみんなも、もちろんヒロインを任された市原も、みんなそこは一緒だよ。出来る出来ないは、人によって個人差あるけどさ」
十河が協力しようとしてくれてるからこそ、上手く出来ない市原にイライラもあったのだろう。
でも性格も能力も違うメンバーが集まってるんだから、全部が全部上手くいくとは限らない。
俺たちは全員演劇は素人だし、スタートしたのも今週からなんだし、上手くいくわけがない。
でも、そんな仲間たちと協力して一つのものを作り上げることに、文化祭ってのは意味があると思うんだよな。
「みんな文化祭を楽しもうって思ってる。そりゃ完璧な舞台になれば一番だし、見る側に楽しんでもらうのも大事だけどさ、俺はみんながやってよかったって思ってくれるのが一番だな」
「倫ちゃん……」
「だから十河にもこの練習含めて楽しんで欲しい。もちろん一緒にふざけろなんてことは絶対に言わない。真剣に取り組んで、十河が楽しかったって思えるものになればいいなって思ってるよ」
「……うん。ふざけるのは嫌」
「そうだよな。でもな、市原も市原なりに頑張るって言ってたんだ。たしかにセリフの覚えは悪いし、さっきはあいつが悪かったけどさ、あいつはみんなの空気を悪くしようとか、そういうこと考えてるわけじゃないと思うよ。それは分かってあげてくれるかな?」
「……うん。さっきはあたしも、大人げなかったって思ってる……」
そしてどうやら、何となく俺の言いたいことも伝わったのだろう。
ようやく十河も俺の目を見てそう言ってくれた。
「でも、ずるいは違うよねっ」
だが、今度は少しまたさっきとは違う表情へ。
「あたしが転びそうになったの倫ちゃんが助けてくれただけじゃんねっ」
「う、うむ。ごもっとも」
「そこのときはちゃんと言っといてね! ……さっきは助けてくれてありがと」
「おう。ちゃんとまた動き確認しないとな」
「うん。谷本くんとも確認しないと」
そして何だかんだ、最後は笑ってくれた。
それはまだぎこちない笑顔な感じもあったけど、俺の目を見て、笑おうとしてくれた。
この様子なら、ひとまず大丈夫、かな。
「じゃあ、また頑張れそうか?」
「うん。やってみる。市原さんと違って、あたしあんまりみんなと話してこなかったもんね。そこを忘れてたの、反省する」
「よし、じゃあこれみんなに配っといて。で、市原呼んできて」
「え、あたしが? しかも配るって……え、なにこれ」
「疲れたら甘いものだろ? 教室残ってる奴らのは後で渡すから、とりあえず今こっちきてるみんなの分、十河から渡してやれよ」
十河の様子が元に戻ったのを確認し、俺も笑って肩にかけていたエコバッグを渡す。
中身は差し入れとして昨日のうちに買っておいたシュークリームたち。
それを不思議そうにまじまじと見つめる十河。
もちろん自腹だぞ? 当たり前だけど。
「じゃ、頼んだぞ」
「うん、わかった。……ありがとね」
「おう。こんなときの担任だって」
そしてみんなが注目する中エコバッグを持った十河がみんなの方に戻り、まずは女子たちの方へ。
男子たちが十河がいきなりそちらへ行ったのに驚いていたが、そこで十河がまず市原に頭を下げると、周囲の生徒たちの方が驚く様子を見せた。
そしてバッグの中身を渡すと、何やら小さな盛り上がりも聞こえた。
その後少し十河が市原と話したあと、シュークリームを片手に市原が俺の方にやってきた。
「何か言われたか?」
「ごめんねって、先に言われちゃった」
「そうかそうか。それで、何て返したんだ?」
「え、びっくりして、ううん、って、それしか言えなかったよ。これは、倫ちゃんからってもらったけど」
「そうかそうか」
シュークリームを示しつつそう言う市原は、まだ少し戸惑ってる感じ、かな。
でも「先に」って言うってことは、謝ろうとは思ってたんだろうし、やっぱ人を嫌ったりとかはな、こいつ出来ないんだろうな。
「ごめんって言われて、どう思った?」
「うーんと、悪かったのは私なのにって……」
うん、それは言わなくても伝わってるぞ。
顔に出るからなぁ、こいつ。
「お前の悪いところは?」
「ええと、全然セリフ覚えらんないこと……」
「……それは、そこまで大きくないんじゃないかね?」
「え」
「いや、それもないわけじゃないけど、お前ステージで自分がなんて言ったかわかってんのか?」
「え、ええと、あ! ずるいって言った!」
「そうだな。お前の気持ちは、その、知ってるけどさ、目の前で生徒が転びそうなったら、助けるのが先生ってのは分かるよな?」
「……はい、ごめんなさい」
「うん。真面目にやろうとしてる時にさ、そうやってふざけるっつーか、関係ないこと言われたら、イラっとするの、分かるよな」
市原が俺のこと好きってのは、直接言われてるから知ってるし、あからさまなこいつの行動からクラス内でも市原が俺のこと好きって当たり前の事実になってるんだろうけど……うん。この話、やっぱりなんというか、しづらいな……!
だが、そうは言っても避けられる話でもないので、なんとか俺は市原と話を続ける。
俺の話を聞く市原は、言いたいことは分かるけどみたいな、可愛い顔の眉をちょっとひそめるような、そんな顔をしていた。
「でも、最近菜々花ちゃん倫ちゃんと近いし……」
「いや、お前は俺の彼女か」
「えっ、認めてくれるの!?」
「アホか。なんでそうなんだよ……」
だが、この話しづらいなー、と思ってたのも束の間、安定の市原クオリティに俺はそんな考えも忘れてひたすら呆れるのみへ。
どうやったらその思考に至るのか、経路を見てみたいね。
「まぁ最近の十河は、その、お前と同じ匂いを感じなくはないけどさ、それとこれは違う話だから。みんなに迷惑をかけんのはダメだろ」
「……でもやっぱり、近いのはずるくない?」
「だから――」
「いや、分かってるよ? 分かってるけどさー……」
「もしあの時谷本が転んでも俺は支えに行ったし、お前が転びそうになっても支えに行く。俺からすればみんな同じ生徒なんだって」
「うう……」
理屈ではたぶん分かってくれてるんだろうけど、感情的に納得しないのか、ちょっと駄々をこねるような、まるで私が彼女なんだけどみたいなことを言いだす市原に俺は呆れ顔で説明を続ける。
ほんとね、いい加減誰か他に好きな奴見つけてくんねーかなマジで。
俺にはだいがいるって、こいつはうちの生徒の中で誰よりも理解してるはずなのになぁ……。
いや、まぁ実際1年の頃から俺に対して好き好き全開だった市原に、今日明日で好きな奴作れったってね、そう簡単な話じゃないとは思うけどさ。
ほんと、自分で言うのもあれだけど何がいいんだか……。
「たしかに十河は先週ずっと休んでて、1学期もあんまし来なかったら、今はちょっとまた来なくなったらどうしようって気を遣ってるとこがないわけじゃないけどさ、その心配は先生としての当たり前だからな。俺は誰も特別扱いしないぞ」
「え、でも私のこと、名前で呼んでくれるじゃん」
「ソフト部の部員、な。お前だけじゃねーだろそれも」
「それは、そうだけど……」
「俺は文化祭を成功させたい。みんなで楽しんで欲しい。お前だってそれは一緒だよな?」
「それはもちろん!」
「うん、そうだよな」
このままでは話が進まないと判断した俺は、少し話題を修正し、今やるべきことへと市原の目線を変えていく。
「知っての通り、十河は2年なってからあんまりみんなと関わってこなかった。だから今頑張ろうと思ってるんだ。その十河の気持ちは、理解できるよな?」
「うん、それは分かる」
「だよな。俺は頑張ろうと思う気持ちを応援したい。もちろん市原が頑張ろうと――」
「そら!」
「あー……そらが頑張ろうとしてるのも知ってるから、それを応援してる。みんなクラスのために頑張ろうって気持ちはあるんだから、そこのとこは外さないでいこうぜ?」
「……頑張ったら褒めてくれる?」
「全員な」
「むぅ。しょうがない、ここはそれで許してあげよう」
「なんだそりゃ……」
そう言って呆れる俺と対照的に笑う市原。
だが、とりあえず市原も笑ってくれたから、一安心、かな。
「私、菜々花ちゃんに謝って来る。で、ちょっと話してみる」
「うん。自分がそうするべきって思うなら、それがいいと思うぞ」
「善は急げだー!」
おお、そんな難しい言葉知ってたのか。
とりあえず一件落着かな、と俺もひと段落した、その瞬間。
「あっ」
みんなのいる方に振り返って走り出そうとした市原は、俺の目の前で思いっ切り自分の足を交錯させ、前傾に姿勢を崩すところが俺の視界に入る。
その光景はスローモーションのようにゆっくりに見え――
「……わざとじゃねえよな?」
「あ、あはは……ありがと……」
とっさの判断で市原の後ろ側から腕を回し、転ばないように支える俺。
間一髪、市原の転倒を防ぐことに成功。
いや、マジでよく間に合ったなと思うくらいね、よく反応したわ俺。
「ほんとに私も助けてくれたねっ」
「だから当たり前だっつってんだろ……」
そして態勢を立て直した市原は恥ずかしそうにしつつも、俺に「えへへ」と笑ってみせて、今度は転ばずに駆けだしていく。
その市原を、苦笑いで見送る俺。
走って行った市原は、十河もいる女子たちの輪に戻るといの一番に十河に頭を下げていた。それに合わせて十河も市原に頭を下げる。
その光景を見ていた女子たちも、少しの間を置いたあと、何故か笑いだし、顔をあげた市原と十河もつられて笑いだす。
やっぱり高校生は、笑ってるのが一番似合う。
その光景は、担任として一番ほっとする瞬間だなって思ったね。
そしてきっと市原が戻るのを待っていたのだろう、市原たちを中心に大きな声で「いただきまーす!」と俺に向かって言ってくるのが聞こえた後、みんなで俺があげたシュークリームを食べだす光景に、自然と笑みがこぼれる俺。
とりあえずこれで演技の上手い下手は別として、本番の舞台に繋がったと胸を撫で下ろす。
さて、じゃあ練習再開しますか、そう思ってみんなの方に俺も踏み出した瞬間。
「っ……」
右足に走った一瞬の痛み。
……あー……。さっきの、今か?
十河を支える時も、市原を支える時も、無意識に踏み出したのは利き足の右足。
やはりまだ治りかけだったかなー、と思うも、反射で動いてしまった結果なんだからどうしようもなかったとも思う。
テーピングはまだしてたんだけどなぁ。
ま、俺が怪我しても、あいつらが怪我しなかったなら、それでいいんだ。
ちょっとだけ、ちょっとだけ痛む右足を我慢しながら、俺はそれを決して悟られぬようにみんなが待つ方に戻り、明日の文化祭本番に向けた準備へと戻るのだった。
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以下
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本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉はちょっと途中で停止状態ですが、1,2作目掲載中です。
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