第228話 一難去ってまた一難?

 9月6日日曜日、19時頃。


 ピンポーン、と我が家のチャイムが鳴り響く。

 お、来たか。


「おつかれさん」

「うん、ただいま」


 ガチャ、っという音ととも開いたドアの先には、普段の表情を意識しているのだろうが、疲れを隠し切れない表情を浮かべただいの姿。

 予想以上にお疲れみたいだなぁ……。これはゆっくり休ませてあげないとな。


 でも「ただいま」かぁ……。いいフレーズだなぁ……。


「もうしばらくパンケーキは見たくないわ」

「ずっと焼いてたのか?」

「ずっとってほどでもないけど、何百枚焼いたのかはもう覚えてないかな」

「わーお……。うん、今日は家でゆっくり休もうぜ」

「うん、ありがとね」


 だいのリュックやらを預かり、とりあえず部屋の方へ向かう俺たち。


 文化祭が終わり、職場の反省会という名の打ち上げにも参加せず、だいは一度帰宅し我が家へやってきた。

 飲みに行かなかったってことはそれだけ疲れてるってことだろうし、今日はね、もうゆっくりと休ませてあげたいね。


「お腹空いちゃった」


 俺のベッドに腰かけただいのその一言は、だいの素っぽくて何だか少し笑えた。

 でもな、生きてる限り腹は減るからな。


「今日は俺がご飯作るよ」


 飲みに行かないでうちに来るって聞いてた段階で、俺はこの展開を予想していた。

 なのでね、明日の朝食分も含めて、食材等は購入済だ。


「……そういえば何の連絡もしなかったけど、何作るの?」


 しかし疲れてるとはいえ、食事にはこだわりがあるのだろう。

 「今日のご飯何?」的なテンションで聞いてくるだいはちょっと可愛かった。


「カレー」


 そして満を持しての俺の回答。

 カレーはね、いつ食べても美味しいからね。

 鉄板だね!


「あ、それは失敗しないか」

「おうよ。北条家直伝のブレンドだぞ」


 まぁ、市販品の組み合わせですけど。

 でもこれについては、昔実家にいた頃家族みんなでカレールーを色々組み合わせる実験を行った産物であり、数か月間夕飯のカレー率爆増という日々の中で見つけた北条家の味は個人的にかなり気に入っている。

 なのでね、今日はそれをだいへお披露目だ。


 しかもだいも言う通り、カレーに失敗などない。

 いや、よほどのことじゃない限りだけど。


 ちなみにこれは大学時代もよく作ってた、亜衣菜からもお墨付きのカレーだぞ。


「じゃあ楽しみにしてるね。その間、お風呂借りてもいい?」

「もちろん。もうけっこうお湯貯まってると思うから、行っておいで」

「あ、沸かしてくれてたの? ありがとね」


 そしてだいの到着時間を聞いたあたりで、これも予想済みの展開。

 まぁ言われなかったら俺の方から風呂に行かせる予定だったんだけど、疲れた時は「風呂・飯・寝る」。これが鉄板だからな。

 

 だいが一生懸命文化祭という非日常の仕事をしてる間、俺は風呂掃除やら食材の買い物やら、テーピングなしでちゃんと歩けるかのリハビリも兼ねて済ませておいたのだ。


 もちろん、来週のオフ会に備えて大和とゆめ、そしてぴょんへのプレゼントも買いに行った。

 結局何がいいかなんてさっぱり浮かばなかったから、今日の昼過ぎに一人で新宿ぶらついて探した感じである。

 何買ったかって? それは来週までのお楽しみだよワトソンくん。

 なんつって。


「さて、じゃあ作りますか」


 今日は俺がだいをねぎらう日。

 そんなことを思いながら、だいを風呂へと送り出した俺はキッチンで夕飯作りを始めるのだった。

 



「あ、美味しい」

「だろー?」


 夕飯を作り始めてから1時間後くらい。時刻は20時過ぎ、俺とだいは揃って夕飯を囲んでいた。

 風呂上りのだいは髪を後ろで結っていて、もう見慣れてきてはいるんだけど相変わらずその姿が可愛らしい。

 ちなみにカレーをゆっくり煮込んでる間、俺がドライヤーで髪を乾かしてあげてる時に一度だいは睡魔に負けて少し眠りかけたんだけど、ご飯を前にしたらちゃんと起きたから、だいの中では「食欲>睡眠欲」ということが確認できた。

 ……え、もう一つの欲求の順位? いやそれを考えるのはさすがに、だろう。……でもたぶん、食欲に勝るものはないだろうな、なんてことも思ったり。


「ゼロやんのお家は鶏肉なんだね」

「そうなー。小さい頃は豚肉のこともあったけど、真実が鶏肉好きだったから、気づけば鶏肉が定番になったかな」

「そっか。真美ちゃんは鶏肉好きなのね」

「そうそう、だから父さんも唐揚げ作り上手くなったし」

「家族の最年少って、優先されちゃうものね」

「そだなー。だいもそうだったのか?」

「うん。お兄ちゃんもお姉ちゃんもけっこう年上だったから、そんな感じだった」

「ほうほう」


 一緒にカレーを食べつつ、のんびりとした時間を過ごす。

 なんかほんと、いいなぁこういう時間。


「連休で真実ちゃんに会えるのも楽しみね」

「あいつも楽しみにしてると思うよ」


 俺としてはね、少し不安もあるんだけどね!


「20日はジャックのお家にお泊りだけど、19日と21日はゼロやんちに泊まるのよね」

「あー、そうみたいだな」

「じゃあお布団とか用意しないとね」

「そっか。たしかに」


 そして切り出された話に、俺は盲点だったところを実感。

 だいとはシングルベッドで一緒に寝るのが当たり前になってたけど、当然真実とはそういうわけにはいかない。

 どっか仕事早く終わった日に買いに行かないとな。


「2組買えば、私も泊まれるか」

「え、あー……まぁ、そうだな」


 俺がいつ買い物行くかなー、なんてことを考えていると、さらっとしただいの発言が飛び出てきた。たしかにまぁ、布団が2組あればね、3人泊まるのも可能だけど……。

 彼女と妹と、3人って……。

 ちょっと色々、居場所なさそうな気もするな……。


「明日明後日で見てくるね。プレゼントも買わないとだし。ゼロやんはいいの買えた?」

「ああ、いいのかどうかはもらう側次第だけど……え、てか布団買いに行ってくれんの?」

「うん。あ、でも朝一緒に出ないと鍵かけれないわね……」

「ああ、合鍵渡すよ。というか、あげるよ」

「え、いいの?」


 布団をいつ買いに行くか、そんな話の中で出てきた鍵問題。

 ずっと渡そうと思ってはいたんだけど、タイミングがなくて渡せてなかった合鍵を思い出し、俺は食事を中座して席を立つ。


 そして合鍵をしまっていた引き出しから鍵を取り出し、だいに渡す。


「失くすなよ?」

「う、うん」


 俺からすれば付き合ってるんだし普通のことだと思ってたのだが、だいは両手で鍵を持ちながら、なんだかちょっとドキドキした風にその鍵を眺めていた。

 いや、鍵なんてだいたい似たような形だろうが。


「俺いなくても、普通に入っていいからな」

「わ、わかった。大事にするね」

「いや、大げさだなぁ」


 俺からすればね、これで仕事終わりにだいがうち来やすくなったりするなら嬉しい限りだし。

 亜衣菜なんかね、学生時代の付き合ってた頃、俺よりも多くうちの鍵開けと鍵閉めしてたんじゃないかな。

 ……まぁ、こんな話はだいにはしないけど。


「そういやさ」

「うん?」


 しばし鍵を眺めていただいは食事の手も止めてしまっていたので、再びだいの時を動かすために話しかける俺。

 そうしたことでやっとだいの硬直が解除できた。


「月見ヶ丘の3年に、十河宗史くんて子いるの?」

「え、いるけど……なんで知ってるの?」

「その子、うちのクラスの不登校だった子のお兄ちゃんだって」

「え? そう、なんだ……びっくり」

「いやぁ、俺もびっくりだったよ。しかもあれだろ? 佐々岡さんの彼氏なんだろ?」

「あ、うん。そうみたいね」

「佐々岡さんから大会の時の写真見せてもらったらしくてさ、そこに俺が写ってたの覚えてたみたいで、一昨日の家庭訪問の時、びっくりされたよ」


 そして話題を先日の家庭訪問の話へ。

 俺も相当びっくりしたけど、だいも今の話には驚いたみたい。

 いやぁ、ほんとね、世間って狭いね。


「だいって、すごい人気らしいな」

「え、別に、そんなことないわよ……」

「いやぁ、俺がだいの彼氏だって広まってるみたいじゃん? 月見ヶ丘の男子生徒の敵、なんて言われちゃったよ」

「え、そんな風に? うーん……たしかになんか、夏休み明けから元気ない男子は増えた気はしてたけど……」

「俺が生徒だったら、その気持ちは分かるもんなぁ。高校生からしたら綺麗で大人なお姉さん先生だろ? 惹かれるお年頃だろ」

「ふーん……でもゼロやんだって、市原さんに好かれてるじゃない」

「いや、あいつは……まぁ、そうだけど」


 話題を変えて、俺がいじろうとしたところに返ってくるカウンター。

 その言葉は事実には違いないので、完敗。


 2学期始まってね、毎日毎日にこにこと、まぁ可愛いったら可愛い笑顔を見せてくれてるよ。


「そういえば市原さんとか赤城さんとか、うちの文化祭来てくれたわよ」

「あ、そうなの?」

「うん。楽しそうに回ってたよ。一緒に写真撮ってくださいって言われたし」

「ほうほう。そういや、クラス写真とかは撮ったの?」

「生徒のカメラとか学校のカメラではね。私はずっとバタバタしてたから、それどころじゃなかったわ」

「あー……まぁそんなもんだよな」

「来週頑張ってね」

「おうよ。とはいえ舞台演劇の台本出来たばっかだからな、色々と諦めはついてるよ」


 残念。だいの文化祭写真はお預けか。明日市原が撮った奴見せてもらおっと。


 ちなみに文化祭の話自体は昨日の夜にも電話で聞いてたけど、元々料理好きなだいはパンケーキ作りでも中心的に活躍してたみたいで、忙しかったのは間違いなかったようである。

 

 そして俺も、明日からは我が身。

 基本準備は直前に一気にやる学校とはいえね、さすがに演劇やるなら、練習はしないとだし。

 ……しかもあいつら、俺まで配役用意しやがったからな。

 


 そんなこんなで、ゆっくり食事をしながら、俺とだいは色んな話をした。

 それは一緒に住んだらこんな感じなんだろうなという予感をさせるもので、一言で言うなら、居心地のいい時間。

 どちらかが忙しい時はもう片方が支え、二人とも忙しかったら協力し合って、そんな未来をイメージさせてくれる。


 だいと一緒に生きていきたい。

 出会った頃は見せなかった素の姿を見ながら、俺の中でその思いは、確実に大きくなっている気がした。






 翌朝。


「じゃあ、行ってらっしゃい」

「おう。買い物行くとき、気を付けてな」

「うん。ゼロやんも足気を付けてね」

「いやぁ、右足の靴久々だよ。じゃあ、またな」

「あ、待ってよ……」

「え?」


 午前7時半。一緒に朝食を食べ終え、俺の出勤直前、玄関先で話す俺とだい。

 今日からは右足のギプスも外しテーピングだけにしたので、久々の靴を履いての出勤。そこに気を取られていたのだが、家を出る直前の俺をだいが引き留めた。


「その、せっかく行ってらっしゃいってするんだから、ほら……」

「ん?」


 何だ?

 妙に恥ずかしそうにするだいを見ること数秒。


 あ、そういうことか。

 ……い奴め。


「行ってきます」

「……うん、行ってらっしゃい」


 だいの言いたいことを察した俺は、軽いハグとともにそっとだいにキスをする。

 行ってらっしゃいのキスってやつだね!

 ……冷静を装ってるけど、これちょっと、テンション上がるな……!


 そんなことを気取られないようにしつつ、幸せそうな笑顔を浮かべるだいに俺も笑顔で手を振るいざ出勤。

 

 うん、これは朝から元気が出る。

 もし一緒に住んだら毎日、か……。


 同棲とか、具体的に考えてみようかな……。


 そんなことを考えながら、気持ちのいい朝の陽ざしを受け、俺は新学期2週目の初日へ向かうのだった。






「おはよーっす」

「倫ちゃんおはよっ! 菜々花ちゃん、やっときたね!」

「ん? あ、ほんとだ」


 朝のホームルームのために教室に入った俺に、いの一番に話しかけてくるのはもちろん市原。

 もはや2年になってからの当たり前なんだけど、今日の話題は先週登校しなかった十河の出席についてだった。


 市原の言葉を受け教室後方を見ると、そこには友達である篠原と別所と楽しそうに話す十河の姿。

 

 うん、よかったよかった。

 いやぁ、家庭訪問効果抜群だな!


 その姿を現認し、ほっと胸をなでおろす俺。


 すると。


「あ! 倫ちゃんおはよ!」

「おはよ……お?」


 教室前方の扉から入った俺の方に向かって、十河は満面の笑みを浮かべて大きく手を振りながら、パタパタとこちらへやってきて――


「おいっ!?」

「ちゃんと来たよっ! 褒めて!」

「え!? 菜々花ちゃん!?」


 やってきた勢いのまま、十河が俺に抱き着いてくるではありませんか! 


 いや、そんなこと市原でもしないぞおい!


 その行動に市原は目を見開いて驚き、教室全体にもざわめきが走る。

 俺も何とか十河を引き離そうとするも、なかなかどうして力強く、離れてくれない十河。


 いやマジでやめろって! 悪ノリして写真撮るやつとかいたらまずいから!


「あーもう、よく来たな偉いな! だから離れてくれるかな!?」

「菜々花ちゃんなんで!?」


 とりあえず「褒めて」の言葉通りに登校したことを褒めたことで満足したのが、ようやく十河が離れてくれたけど、やはりまだ教室内には動揺が広がっていた。

 でも、さすがにどっかの黒い大人みたいに写真撮ったりする生徒はいなかったようで安心、かな。

 いや、全然よくないけど!


 クラスのみんなからしても、俺にそんなことをする可能性があるのは市原っていうイメージがあったからだろう、今まで目立った行動も取ってこなかった十河の行動に、ざわめきが収まらない。


「十河菜々花、今週からちゃんと頑張りますっ!」

「お、おう。頑張れ……」

「ねぇ菜々花ちゃん!?」


 俺に対して「えへへ」と笑ってから、ようやく市原に対しても満面の笑みで微笑んで見せる十河。

 なんか、ちょっと煽り感があるのは、気のせいですか?


「倫ちゃんって、いい先生だよねっ」

「え、そ、そりゃそうだよ! 私の倫ちゃんはいい先生だよ!」

「いや、お前のではない。断じてない」


 そしてJKによる不可解な会話が、俺の前で繰り広げられる。

 というか市原よ、お前がなぜドヤってんだおい。

 

 なんだこれ、どういう流れだ?


「文化祭準備、頑張ろうねっ!」


 そして俺に対して改めて笑顔を見せたあと、十河は後方の自分の席へと戻っていく。

 クラスの視線がその十河を追いかけ、戻って来た十河に篠原と別所も驚きの様子。


「……ライバル?」


 そして目の前ではまたしてもわけのわからぬことを言う者が一人。

 真面目な顔して言ってるけど、お前も色々間違ってるからな。


 十河が復帰したのはよかったけど、今後何が起きていくのか。


 俺は無事日曜のオフ会まで辿り着けるのか、朝からいきなり疲れる出来事に、俺は密かにため息をつくのだった。






―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―

以下作者の声です。

―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★― 

 圧力鍋で調理した鶏肉のカレーが好きです……笑


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本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉はちょっと途中で停止状態ですが、1,2作目掲載中です。

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