第227話 頑張ったご褒美
「こんばんは……って、え?」
振りかぶられた中ジョッキをどう下ろしてもらうか、俺が全力で謝罪を続けている中、不意に俺たちがいる個室のドアが開く。
誰も飲み物なんか頼んでないし、もちろん室内には7人のフルメンバーがいる。
そもそも現れた人物の声は店員っぽくないし……っていうか、この声って?
「よっ!」
「え、なんで!?」
「なんでって、せ……田村さんから変な写真送られてきたから……ゼ……あなたのピンチって……」
「え!? どういうこと!?」
「いやぁ、ちょっと連絡取ってる時に、倫に会いたそうなこと言ってたから、近況写真送っただけだって。それにほら、倫まだ足のケガ治ってないから深酒したら危ないし、迎えあったほうがいいかなって」
「は!? って、え、さっきの写真か!?」
「なんか、聞いてた状況とは違う状況みたいだけど……。あ、すみませんいきなりやってきて、名乗りもせず。申し遅れましたが、月見ヶ丘高校の里見と申します。いつも彼がお世話になっております」
初対面の人物の登場にいつの間にか振りかざしていたジョッキを下げた宮内先生含め、俺と大和以外からの「え、誰?」みたいな視線に気づいたのか、仕事終わりの恰好で現れた人物、だいがそう言いみんなに一礼する。
その名前と俺のことを「彼」と呼んだことで、どうやら全員がその素性を理解したようである。
え、でもどうしてここに……?
「すげえ! 倫さんほんとめちゃくちゃ美人じゃないすか!」
「おのれ北条……」
「北条先生の彼女さん、でいいんですよね? はじめまして、久川と申します」
「なるほど……そういうことか」
そしてその名乗りを受け、止まっていたみんなの時が動き出す。
宮内先生は、たぶん視線の先がだいの顔じゃないんだろうな。……いや、すみません。
「じゃ、倫は明日仕事の彼女が心配して迎えに来てくれたんだから、今日は先に帰れよ」
「え?」
そしてだいが来たのに合わせるように、大和が俺に対して帰宅を促す。
たしかにだいは明日仕事だし、せっかく会えたなら送って行ってあげたいとは思うけど……。
「あの、そちらの方は大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫。寝てるだけだから! 今日は俺が立て替えておくから、おつかれ!」
だいはだいで意識のない笹戸先生が気になったのか、そちらに視線を送っていたが、それに対しても大和が返事を返す。
しかし、何の気遣いだこれ?
俺もうほとんど足治ってるの、知ってるよな……?
「倫さんおつかれっす!」
「おつかれさまです。早く足治るといいですね」
「里見さんでしたっけ、次回は一緒に飲みましょうね」
「そうしよう! あ、俺北条と同じ学年団の島田です!」
みんなそれぞれ酔ってるからか、大和の「おつかれ」に呼応するように、みんなそれぞれ俺に声をかけてくる。
まぁ、うん。よくわかんないけど、だいが来たなら帰るけどさ。
「すみません、明日も仕事じゃなければ私も参加させていただくところなんですけど、田村さんが言う通り、彼まだ足が治ってないのもあるので、お先に失礼させていただきます」
「お、おつかれっす」
「いい彼女さんじゃん。大事にしなよっ」
「倫またな!」
そして恭しく一礼するだいの姿に、俺も荷物を持って席を立つ。
そして宮内先生と大和の言葉を受けつつ、みんなの視線を背に個室を出る。
頭の中は、疑問だらけなんだけどね!
「もうほとんど普通に歩けるのにね」
「え、あ、うん。だいもそれ、知ってたよね?」
「うん。でもまだ運動とかはダメよ? 少しずつリハビリしないと、捻挫って癖になっちゃうから」
「分かった。気を付ける」
そしてそんな会話をしつつ、だいとともに店外へ出て駅へと向かう。
道中自分のスマホを確認しても、だいから俺への通知はなし。
飲みに行ってくるとは言ったけど、場所まで言ったわけじゃないし……ってことは、大和から聞いた、のか?
ちなみにスマホを確認した時に見た限りでは、まだ時刻は21時を少し過ぎたくらい。いつもの飲み会からすれば、だいぶ早い帰宅だな。
「楽しそうな先生たちだったね」
「あ、あー……そうだな。みんないい人だよ。っていうか、ええと、とりあえず、仕事おつかれ」
「うん。でも今日は午後からずっと文化祭準備だったから、昨日までよりは早く帰れたの」
「あ、そうなんだ」
俺の歩調に合わせて歩いてくれるだいの優しさを感じつつも、何故だいが来たのかまだ分かっていないせいで、俺の会話はぎこちない。
大和が言っていた写真という言葉も、俺の脳裏に不安をよぎらせた。
……何もないけどね!?
「最近たまにせんかんからぴょんのことで相談が来るんだけど、今日も仕事ひと段落した時に連絡が来てて、それに返事してる時に飲み会なんだよねって聞いたら、写真が来たの」
「へ?」
「ゼロやんピンチ、って」
「あいつ……」
そして俺のぎこちなさに気づいたか、駅の改札を通ったあたりで、いつもの落ち着いた、というか少し冷たいトーンでだいが俺にやってきた経緯を教えてくれた。
いや、でも俺大和にも聞こえるように言ったよな? だいは明日も仕事だから呼ばないんだって……。
「別に職場の飲み会だから心配してたわけじゃないし、せんかんが送ってこれる写真ってことは変なことがあったわけじゃないんだろうけど……あの写真は何?」
「えっと、あれは笹戸さん……あーっと、さっき寝ちゃってた先生、が酔っぱらってた時。笹戸さんめちゃくちゃ酒弱くてさ、たまたま俺が隣だったんだけど、眠くなってこっちに倒れそうになったのを止めてた時の写真だよ」
「けっこう可愛い人だったけど……」
宮内先生からいいなと思われてたとか、笹戸先生から顔なら一番好みとか、そんなことは伏せつつ、俺はさっき起きた写真の出来事についてだいに説明。
だがその説明を聞いただいの反応は、何だか少し冷ややかな感じ、というか……あ、これ焼きもちか……?
「たしかにうちの学校じゃ可愛い方の先生だけど、心配するようなことは何もないって」
「それは……分かってる」
そして俺の言葉を聞いて安心、という顔をするわけでもなく、どこか拗ねた表情に変化するだい。
その表情は公共の場でのクールなだいと見せかけて、少しだけ幼くも見え、可愛らしい。
「つまり菜月ちゃんは、心配で来てくれたのかな?」
「……そう言われるとイラっとするわね」
そんな焼きもち状態のだいが可愛くて、俺は多少アルコールが入ってた影響もあるせいか、思わずちょっと悪ノリしてしまった。
だが、俺の言葉に返ってきたのは、相当に不機嫌そうな睨み。
あ……そうだ、ちょっとイライラしやすい時期なんだっけ……。
「ご、ごめんなさい……体調は大丈夫か?」
「別に、薬飲んでるから平気」
さっきまでの可愛かった感じはどこへやら。
毎月の痛みの程度は俺には分からないけど、ほんと、うん。大変だよなぁ……。
悪ノリに対して俺が謝ったタイミングでやってきた電車には、さすが金曜夜の中央線ということもあり、けっこうな数の乗客がいた。
だが乗らないわけにもいかず、だいとともに乗り込んだ俺はつり革に掴まりつつ、だいの腰に手を回す。
俺が手を回すと、さっきまで不機嫌だっただいもぴたっと俺の方に身を寄せてくれるのは、正直かなり可愛くて嬉しかった。
「やっぱ中央線は混んでるな」
「そうね、金曜だものね」
そしてさっきまでの話題を逸らすように、俺は小さな声で「今日はいい天気だなぁ」と同じくらい意味を持たない言葉を口にする。
でも、それに答えてくれただいの口調は、先ほどまでと比べるとだいぶ棘がなくなっていた。
「……ごめんね」
「うん?」
「いつもなら別に気にならないのに、私は明日仕事なのに、ゼロやんが他の人と楽しんでるって思ったら、なんかもやもやしちゃって……」
囁くようなだいの声は、密着俺ですらよく聞かないと聞き漏らしてしまいそうなほど小さかった。
「言ったろ? 会いたいときはいつでも言えって。会いたいって言ってくれてたら、飲み会行かないで会いに行ってたよ」
だいの小さな声に答えるように、俺も小さな声でそう返しつつ、腰に回した手に少し力を込める。
だいが安心できるように。
心配性なこいつが、落ち着けるように。
「……うん」
そしてその小さな返事は、まるで家にいる時のようなトーンで、それが俺にも安心感を与えてくれた。
金曜の夜に同僚と飲みに行くのもいい発散だけど、やっぱこいつといる方が回復するな、なんて思ったりするほどに。
……まさか大和はここまで計算して……?
いや、さすがにそれはないか。
「帰り歩き?」
「ううん。学校から直接阿佐ヶ谷に行ったから、駐輪場に自転車がある」
「了解」
二人でいる時間というのはほんとに早いもので、電車はあっという間に阿佐ヶ谷駅に到着し、俺はだいの手を引いて一緒に下車。
そのままだいと手を繋いだまま、俺たちは改札へと向かう。
「そういや、大和の相談って何だったの?」
「あ、うん。13日のオフ会、ぴょんが幹事やってくれるみたいだけど、お店に連絡取り合ってゆめとせんかんのためのケーキ用意してもらってるんだって。で、ぴょんから苦手なケーキあるか、ってせんかんが聞かれたらしいんだけど」
「すげえなぴょん。大和に対してはサプライズ要素なしかよ」
「ね。それを聞いて、逆にせんかんもみんなの前でぴょんを驚かせたいって言うからさ、ぴょんが好きなケーキとかあるかなって」
「ほほう」
「やりとり見る?」
そう言ってだいから、大和とのやり取りが表示されたスマホが渡される。
どれどれ、っと。
田村大和>里見菜月『仕事おつかれさま!さっきぴょんから13日のゆめと俺へのサプライズケーキ(笑)について、苦手なのあるかって聞かれたんだけど、逆に俺もぴょんに仕掛けようと思うんだよね。好みとか分かるかな?』17:52
里見菜月>田村大和『おつかれさま。サプライズの定義を疑うわね……』18:37
里見菜月>田村大和『チーズケーキが好きっていうのは、聞いたことあるよ』18:37
田村大和>里見菜月『定義についてはノーコメントで。笑』18:42
田村大和>里見菜月『チーズケーキか!ありがとう!』18:42
里見菜月>田村大和『どういたしまして』18:50
里見菜月>田村大和『今日、ゼロやんたちと飲み会なんだよね?』18:51
田村大和>里見菜月『おう!倫から聞いたのかな?俺ももうちょっとしたら向かうとこ!』19:01
田村大和>里見菜月『サプライズで来る?笑』19:01
里見菜月>田村大和『うーん、もうすぐ帰れるけどまだ学校だし……。女の先生もいるの?』19:03
田村大和>里見菜月『そうかー。残業おつかれさま!』19:05
田村大和>里見菜月『女の先生もいるけど、心配か?笑』19:05
里見菜月>田村大和『別にそういうわけじゃないけど……』19:06
田村大和>里見菜月『私も会いたいなってことか。笑』19:07
里見菜月>田村大和『別にそういうわけじゃないけど……』19:08
田村大和>里見菜月『リピート!?笑』19:16
田村大和>里見菜月『何かあったら俺が倫を守るよ。笑』19:17
里見菜月>田村大和『なんかそれも変な話ね……』19:24
田村大和>里見菜月 田村大和が写真を送信しました 20:21
田村大和>里見菜月『すまん、タゲ管理ミス!笑 倫ピンチ』20:21
里見菜月>田村大和『え、どういう状況?』20:23
田村大和>里見菜月『場所はここだよ。笑』20:24
田村大和>里見菜月 田村大和が位置情報を送信しました 20:24
里見菜月>田村大和『わかった』20:25
……なるほど、来た経緯も兼ねて見せてくれたのか。
しかし大和のやつ……これはさすがにお節介というか、うーん……ちょっと悪ノリが過ぎるな……。
ちなみに俺の彼女と連絡取り合いやがって、みたいな感情は一切ない。この前大和が相談頼んできたのも知ってるし、なんたってだいと大和だからな。
とはいえ今回の件はね、もうちょっと気を遣ってあげるべきだったと思うよ。
っと、なんだ?
田村大和>里見菜月『会えて元気出たかな?笑』21:27
田村大和>里見菜月『心配なる写真送ってごめんな!でも言いたいこと言えなさそうなレディへ、最近相談乗ってもらってるお礼ということで』21:27
田村大和>里見菜月『また聞きたいことあったらよろしく!じゃあ文化祭頑張って&倫によろしく!』21:28
「あ、大和からだよ」
「ほんとだ」
俺がだいと大和のやりとりを見ていると、ちょうどよく大和からだいへ通知が来た。
しかし『言いたいこと言えなさそうなレディ』って、それだったらだい呼ぶんじゃなくて俺を帰せばいいのに……。
……いや、でも大和から「だいが倫に会いたがってるから帰れよ」的なこと言われるのは、なんかそれはそれで釈然としないけど……。
とりあえずスマホをだいに返すと、俺のスマホにも何やら通知がきたようだった。
田村大和>北条倫『おつかれ!急に呼んじゃって悪かったな!』21:28
田村大和>北条倫『だいから話は聞いたかな?聞いてないなら聞いといて!笑』21:29
田村大和>北条倫『島田さんが、あの後10回くらい爆発しろって言ってるよ。笑』21:29
とのこと。
なんか、大和の手のひらで転がされてる気がしなくもないけど……とりあえず島田さんについてはノーコメントで。
「俺にはだいから聞いたか? だってさ」
「読み通りの展開になっちゃったね」
「そうなぁ……。あいつこういう経緯で写真撮ってたのかー……」
「でもたしかに、あの写真なかったら行ってなかったかも」
「となると、ほんと大和の手のひらの上か」
だいと会えたのは嬉しいけど、何となく釈然としない気持ちのまま、俺はだいと改札を抜けた。
そして駐輪場でだいの自転車を回収し、金曜の夜らしく周囲には千鳥足のサラリーマンや手を繋いで歩くカップルなども目に入る中、だいの家の方向へ。
「今度飲み会やる時、呼んでね。今日はお話もできなかったし」
「おう。たぶんまた近いうちにあると思う」
「仲良いのね」
「そうな、若い先生も多いからなー」
「うちは、ああいう飲み会あんまりないから」
「進学校だとなー。若い先生少なそうだもんな」
「うん。いないわけじゃないけど、男の先生の方が多いしね」
「そりゃそうか。でも俺に気を遣って行かないって言うなら、気にすることないぞ?」
「うーん、でもいいかな。お家帰ってログインして、みんなに会う方が楽しいし」
「さすがゲーマー」
「その言葉はブーメランよ?」
そう言って、どちらともなく笑う俺たち。
大和については月曜に会ったら立て替えてもらったお金払いつつ、少し苦情も言おうかなって思ってたけど、隣で笑うだいの笑顔に、細かいことはどうでもいいかと思えてくるから、なんだか不思議。
もしかしたらここまで大和は読んでいた……? いや、まさかな。
「家庭訪問上手くいったのよね?」
「おうよ。ばっちり復帰のきっかけは作れたよ」
「よかったわね。結局なんだったの?」
「んー。親子のコミュニケーション不足、かな。そのせいでやる気出せなかったみたい」
「コミュニケーション、ね。……最近の子、親とあんまり話さないって多いみたいだもんね」
「そうなぁ」
「私たちは、そうはならないようにしようね」
「え、お、おう……!」
そして仕事の話から、まるで将来の話のように話が進んだが……。
え、それっと、そういう意味で……?
一昨日の夜のことがちらっと脳裏に浮かび、余計にその言葉がリアルに感じられ、俺は気恥ずかしさのせいで、だいの目を見ることができなかった。
そんな俺の反応を見てか、だいも急に恥ずかしそうに俺から目を逸らし、視線をあちこちへと飛ばしていた。
「……こうして会うようになってからだと、まだ3か月も経ってないけどさ」
「うん?」
お互いが顔を見れない、何ともいえない空気のしばし歩いていた俺たちだったが、ふいにだいが落ち着いたトーンでゆっくりと話し出す。
「
「あー、そうだな。俺が大学3年の終わり頃だったもんな」
「うん。私もまだ10代だった」
「10代……そう聞くと、ちょっと恐ろしいな」
「でも、それだけ長く一緒にいるんだよね。……誰かさんは男だと思っててくれたみたいだけど」
そして悪戯っぽくだいが俺に向けて笑ってくれて、数分ぶりに俺たちは視線を交わす。
「そ、それは謝るしか出来ないんだって……」
このくだり、なんか一生言われそうだなよなぁ……。
「別にそれは気にしてない、というか、そのおかげで一緒にいれたんだから、よかったと思ってる」
そしてまた、だいが落ち着いたトーンで話し出すけど……ん、なんだこの空気?
あれ、なんか……?
「だからね、付き合ってまだ2か月だけど、私は色々先のこともさ、ゼロやんと考えて――」
「ス、ストップ!!」
「え?」
おいおいまるでプロポーズでもされかけるような空気だったじゃん今!
ということで、俺は慌ててだいの言葉に制止をかける。
そこら先はさ。
「俺が言うから」
「え?」
「その先の言葉は、ちゃんとした時に、俺からちゃんと言うから」
そういうことです。
「……うん、わかった。待ってるね」
そして、だいもそれ以上は何も言わずに頷いてくれる。
もはや気持ちは通じ合ってると思うし、あとは言葉だけなんだろうけど、まだまだ俺が成長しなきゃいけない部分があるから。
まさか今日会うなんて思ってなかったけど、大和の手のひらの上で転がされた気分もあるけど。
今こうしてだいと歩く時間は、やはりかけがいのない時間で。
俺からすれば今週も仕事頑張った。
だいは明日からも頑張れ。
そして、近い将来そのタイミングがきたら。
目を合わせれば、そこには「うん?」と首をかしげる大切な人。
そんな色々なことを考えながら、俺はだいとゆっくり、月明かり眩しい杉並区の住宅街を歩くのだった。
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以下
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(宣伝)
本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉はちょっと途中で停止状態ですが、1,2作目掲載中です。
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