第224話 言葉にしたから
「……一人で生きていくのは、そんなに簡単なことじゃないのよ?」
「……っ!」
っ!! 届かないか……!?
「でも」
……いや!?
「ごめんなさい。菜々花がそんな風に思ってたの、気づかなくて」
「あ……」
「お父さんもお母さんも、菜々花が将来困らないようにって思ってたけど、それが菜々花を困らせてたんだね。宗史が言われた通りに勉強頑張るから、菜々花にもそれを強要しちゃってたんだね」
そう言って十河のお母さんがぺこっと娘に対して頭を下げる。
その姿に、ぽかんと口を開けたまま、しばらく硬直する十河。
「別に……お母さんたちの言いたいことも、分からなかったわけじゃない……」
「でも宗史とずっと比べられてたの、辛かったんだよね。ごめんね」
「それはなかったわけじゃないけど……お兄ちゃんは、勉強好きでやってるんだし、敵うわけないもん。前に、宇宙の研究したいって言ってよくわかんないこと語られたし」
少し経って、自分の気持ちが伝わったのが分かったのか、十河はここで初めてお母さんから目を逸らした。それは母親の謝罪をどう受け取ればいいのか分からない、そんな照れ隠しだったのかもしれない。
「え、宗史は研究職に就きたいの?」
「はぁ? 何で知らないの?」
「あの子、行きたい大学と学部しか教えてくれないから」
「何それ。何、お兄ちゃんの話も聞けてないの?」
だが、お母さんの言葉が拍子抜けだったのか、十河は再び目線を戻し、呆れたような表情を浮かべていた。
「大学の名前聞いて、お父さんもそれなら安心だなって」
「いやいやいやいや! 将来就きたい仕事とか、普通聞くでしょ!」
「……そうね、間違ってたのは、お母さんたちだね」
「え、や……うん」
だがあっさりと否を認めた母を前に、十河は矛先の方向を失ったように、戸惑っていた。
でも、親子間での意思の疎通は取れたような、そんな感じはある。
よかったな。
「さっき大学に進学する約束はしないって言ったけど、美大だって大学だよね? 専門か美大かまだ決めてないけど、あたしはそういう道に行きたい」
「じゃあ美大がいいんじゃない?」
「……そこまで大卒に拘るの?」
そんなお母さんの反応に、十河が今日初めて、お母さんの前で笑った。
先ほどまで頬を伝っていた涙の後が眩しいその笑顔に、お母さんも笑って見せる。
うん、今後の進路はこれからだとしても、もう大丈夫そう、だな。
「でも私だけじゃ決められないから、お父さんと宗史が帰ってきたら、今日はみんなでお話しましょう」
「みんなで?」
「ええ。宗史からも何になりたいのかちゃんと話してもらわないと」
「……ちゃんと話聞いてくれるんだよね?」
「お父さんが何か言おうとしたら、お母さんが止めるから大丈夫」
「……うん、わかった」
この家に来た時にあった母と娘の喧嘩も、完全に雪解け。
うん、やっぱりちゃんと話すことって大事だよな。
親子とか、関係が近ければ近いほどかえって話しづらいこともあるけど、やっぱり自分がどう思ってるのか、言葉にすることが大事だな。
……俺もしっかりと覚えておこう。
密かに色々な記憶が蘇り、俺は内心で自分自身にもそう誓う。
「北条先生、さきほど見せていただいたポスターって、まだ学校に残ってたりするんですか?」
「え? ああ、おそらく過去の参考として残ってると思いますよ。月曜日に探して――」
「ある」
「え?」
「自分で描いた作品だもん。もらって、取っといてあるから」
「あら。じゃあ見せてくれればよかったのに――」
「どうせあの時見せたって、そんなの作る暇あったら勉強しなさいって言ってたでしょ?」
そう言って頬を膨らませて不満を示す十河に、今度はお母さんが苦笑い。
でもきっと、十河の言う通りのことになってただろうな、聞く限りの去年の状態じゃ。
「じゃあ後で持ってきてよ。この部屋に飾りましょ」
「はぁ? 何で今さら?」
「だって素敵な絵だったじゃない。あの絵を見たらお父さんも分かってくれるかもよ?」
「……じゃあ今持ってくる」
お母さんの言葉に十河が何とも言えない顔を浮かべるが、褒められたいって思ってたけど、こうあっさり褒められると、どう受け止めていいか分かんないんだろうな。
……ほんと、難しいお年頃だよ。
でもなんだかんだ部屋に戻ってくとこは、素直だなぁ。
家族のこと、好きだったんだな、こいつ。
「北条先生、ありがとうございました。こうしてあの子と向き合って話すことがなかったら、私は一生あの子のことを理解しないままだったかもしれません」
そして十河が部屋に戻った隙に、お母さんからお礼が送られる。
その表情は、来た時よりもだいぶ柔和になっていた。
「いえいえ、私はただ彼女の背中を押しただけですから。お母さんからするとまだまだ子どもかもしれませんが、高校生はもう立派に自分の考えを持ってる年齢ですからね。それにまだ進路も考えられてない子もいる中で、菜々花さんは将来のイメージを持っている。彼女が望む道が楽じゃないのはたしかですが、それでもやっぱり、やらない後悔はしてほしくない、と思います。もちろん、最終的な判断はご家庭での相談ということにはなりますが……」
「やらない後悔、ですか……。私たち夫婦は、自分の子どもに幸せになって欲しいと思ってたはずなのに、いつの間にか安全な道を進むよう、道を狭めて敷かれたレールを歩くように仕向けてしまっていたんですね……」
「私はまだ子がいる身ではありませんが、それも親の愛の形だとは思います。それに彼女が気づくには、まだ時間がかかるかもしれませんが」
大人だってな、いつだって正しいわけじゃない。
そもそも人生に正解も不正解もないんだから。
それに結果的には、お母さんたちが勧める道の方が安定した生活により幸せになる可能性はあるだろう。
でも、やらなかった後悔、挑戦しなかった後悔は、一生残るかもしれない。
だったらまだ十河は若いんだし、挑戦して失敗しても、いいと思うんだよな。
自分で選んだ道の後悔は、自分でケツを拭けばいいだけだから。
生まれ落ちた瞬間から、その人生はその人のものなんだし。
誰かに全てを決められる人生なんて、面白くないだろう。
俺はその決定を共に悩み、考える存在でありたいと思う。
俺にも色んな過去があって、取捨選択があって、今に至るんだから。
生徒たちにもね、自分の道を切り開いて行って欲しい。
「ゆっくり見守ってあげてくださればと思います」
「……そうですね。分かりました」
ゆっくりと頷くお母さんの表情に、俺は改めて今日家庭訪問に来てよかったと実感する。
「あったよ。これ」
そして部屋から戻って来た十河は、1枚のポスターをお母さんに差し出していた。
くるくるとロール状になっていたみたいだが、その絵は先ほどお母さんに見せたスマホの画像よりも10倍以上大きな、立派なものだった。
「こうして実物を見ると、凄いわね」
「まぁね。3日くらいかけて描いたんだし」
「1枚の絵に、そんなに時間がかかるの?」
「かかるよっ! 構図考えて、色彩考えてってやるだけで時間なんてあっという間なんだから!」
「……そうなのね」
自分のデザイン論に触れられたためか、十河は食って掛かるようにお母さんに対して大きな声を出していたが、きっとそれは彼女が絵やデザインが好きだというプライドから来たのだろう。
そしてポスターを預かった十河にお母さんは、マジマジと眺めたあと、にこにこした顔を浮かべリビングの壁にそのポスターを貼りに行った。
「え、ここに貼んの!? ……恥ずかしいんだけど?」
「ダメよ。菜々花が頑張って描いた絵だもの。いつでも見れるようにしないと」
「でもそれ、書いてる日程去年の文化祭だよ?」
「関係ないの。菜々花が描いたんだったら、それでいいの」
「……あっそ」
まだ素直に褒められたことを喜べないような十河だが、その表情はツンツンしながら、明らかに喜んでいるのが分かった。
年齢よりも少し幼く感じるが、やはりいくつになっても、子どもは親に褒められるのが嬉しいのだろう。
そんな様子に俺もほっこりした気分になるってもんだ。
「とりあえず一件落着、だな? じゃあ、来週からはちゃんと学校来てくれるかな?」
あとは家族でどう話すかだし、俺の役目はもう必要ないなと判断し、俺は頃合いを見て俺が来た理由でもある本題、十河の不登校改善に話を戻した。
そんな俺に、十河は力強く頷く。
「うん。行く」
「ん、その言葉を待ってたぜ」
「進学するには高卒取らなきゃだし……倫ちゃんに会うには星見台に残んなきゃいけないもんね」
「はい?」
「3年なってクラス替えってあるの?」
「え、いや、まだ決めてないけど……」
「じゃあ、来年も担任の予約よろしくっ」
「いっ!?」
「北条先生、手間のかかる子ですけど、今後ともご指導頂ければ幸いです」
「えっ!? あ、はい! ……頑張ります」
「ちゃんと卒業して進学するから、応援よろしくっ」
そして俺に向けられる、親子の笑顔。
いや、来年のクラスとかまだ何も話してないけど……うーん……まぁ十河が復活するなら、いっか。
俺に会うためとか、まるで市原みたいなこと言い出したけど、本人は自分で自分のことを「馬鹿」って言ってるが、市原と違って十河はうちの学校からすればそこまでじゃないしな。変なことにはなるまいて。
「北条先生、本当にありがとうございました」
「来てくれてありがとねっ」
「いえいえ。じゃあ、また学校でな」
「うんっ! あ、待って!」
「ん?」
そして玄関先にて十河とお母さんに見送られ、俺が十河の家を後にしようとした時、不意に十河が俺のことを呼び止めた。
そして俺の方に近づき、何やらひそひそと耳打ちをしてくる。
「……マジ?」
「マジマジ」
「わかった。頑張れよ」
そしてあることを俺に伝え、十河はニっと笑っていた。
その笑顔は、もう大丈夫だというのをハッキリと伝えるような、そんな笑顔。
まぁ、別に今言われたことは叶えられるだろう。
「今日はありがとねっ」
「いえいえ。では、お邪魔しました」
時計を見れば18時23分。
1時間半弱の残業にはなったが、2時間ほど続いた家庭訪問もこれにて終了。
十河の表情を見るに、あれならきっと大丈夫。
オンラインゲームへの名残はありそうだったが、あれはきっとあいつにとっての逃げ場なだけだったんだろうし、学校に通い出してもログインできないわけじゃないからな。
ログイン率は減ったとしても、まぁきっと上手くやるだろ、たぶん。
十河の家を出て、通路を歩き、エレベーターで階下に向かいながら俺は今日のことを振り返る。
両親が忙しいからって、コミュニケーションが不足してる親子って多いからね。
問題がある生徒の場合、結局はそこが原因なことって、多いんだよなぁ。
もちろん働くことは家族を守るためだけど、それだけでいいってわけじゃないんだろう。
子に親は選べないが、子には子の人格があり、人生がある。
敷かれたレールが合う子もいれば、合わない子もいる。
子育てってのはほんと、正解がないもんだ。
……俺はまだその土俵にも立ってないんだけど。
もし俺に子どもが出来たら……とかそんなことに考えが脱線しつつ、俺はマンションのロビーを出たとこで、出張終了の旨を学校に報告すべくスマホを取り出す。
ん、帰り際なんて耳打ちされたかって?
別に変なことを言われたわけじゃないぞ。
あいつが俺に言ったのは『次の席替えで私も教卓の前にいきたい』って、それだけ。
まぁ遅れてた勉強とか取り戻したいのだろう。
ここにきてね、やる気を見せてきたってわけだ。
だったらね、是非とも頑張ってもらいたい。
それが担任としての願いである。
Prrrr.Prrrr.
「お疲れ様です。北条です」
『おー、おつかれさーん』
そして学校に電話するや、副校長が電話に出てくれた。
「今家庭訪問終わりましたので、終了報告を」
『はいはい。おつかれさまでした。気を付けて帰ってねー……って……ん? 代わる? はいはい。あ、北条先生、ちょっと待ってね』
「はい?」
簡単に報告して、2学年の先生がいれば代わってもらおうと思ったのに、代わりたいって、誰だ?
久川先生か?
『おっす! 家庭訪問おつかれ倫!』
「へ? 大和?」
『おう! せっかくの金曜だから飲みに行こうぜって、島田さんが若手に声かけてさっき出発したんだけど、倫も行くか?』
「島田先生が? うん、行けるけど……メンバーは?」
『先発で行ったのが島田さんの他に、久川さんと
「ふむ。俺行かなかったら3:3の合コンじゃん?」
『あ、たしかに合コンっぽいな。じゃあ倫は欠席するか? ……え、あ、あいつに彼女いるかって? そりゃ本人に聞いてくださいよー』
「え、あ! お前そこ副校長の席の電話……!」
『おうよ。週明け報告しろだってさ! じゃ、店は今送るわ!』
「マジかよ……はいはい」
『あ、あと2学年の先生はもうみんな帰ってるよ、だって』
「いや、それは先に言ってよ! ……わかりました、ありがとうございます、って伝えといて」
『あいよ。じゃあ俺らももうちょいで出るから、またあとでな!』
「はいはい」
ガチャ
ったく、管理職のそばだってのに大和はよくあんなラフに電話できるな……。
いや、合コンなんて変な単語出したのは俺が悪いかもしれないけど……。
っつーか、結局最後大和との電話みたいで終わったけど、ほんとうちの副校長は適当だな……。楽でいいんだけどさ。
ちなみに参加するメンバーの内、大和と島田先生、久川先生については言わずもがな、他に先発で出発したと言われる将斗というのは、今年新規採用で入ってきた体育科で生活指導部の
そして宮ちゃんこと
最後に笹戸さん、笹戸
とまぁ参加メンバーを補足するとこんな感じなんだけど、とりあえず島田先生が行っているなら、俺に行かない手はない。
色々と手助けしてもらったし、今日のことも報告したいから。それに久川先生がいるならなお一石二鳥。来週からもう大丈夫ですよって伝えよう。
そして俺のスマホ、大和から飲み会の店が送られてくる。
それは中野駅近くにある、俺らがよく使う個室居酒屋だった。
じゃ、行きますか。
北条倫>里見菜月『仕事おつかれ!家庭訪問無事終了。これから大和とか、若手のメンバーで飲み行くことなったから行ってくる!』18:31
だいに一言連絡を入れておき、俺は無事に家庭訪問を終えた達成感を胸に、新学期1週目を終えた仲間たちの下へと向かうのだった。
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以下
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最近登場キャラがまた増えてきてるので、久しぶりにそのうち、キャラ紹介作成しようと思います。
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本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉はちょっと途中で停止状態ですが、1,2作目掲載中です。
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