第216話 難しい年頃

Prrrr.Prrrr.


『はい』

「こんばんは。星見台高校の北条ですが、十河さんのお宅でよろしいでしょうか?」

『あ、先生。いつも娘がお世話になっております』

「あ、いえいえ」


 2学期初日の18時過ぎ、まばらになった職員室にて俺はようやく十河の家とコンタクトを取ることが出来た。

 電話に出たのは十河のお母さん。三者面談の時も来てくれた、気弱そうだったけど学校に協力的な保護者だと思う。


「菜々花さんは今お家にいらっしゃいますか?」

『え、あ、もしかしてあの子今日行かなかったんですか?』

「あ、ご存じなかったですか。実はそうなんですよね。今日から2学期が始まりましたけど、夏休み中に何かあったのかなと思いまして」

『すみません、学校が近い分、家を出るのはあの子が最後なので……。今呼んできます』

「はい。お願いします」


 その言葉の後、俺の耳に届きだす保留音。

 しかしまぁ、なんとなくだがこの流れは予想はしていた。

 今の時代共働きは珍しい話じゃないからもちろん保護者を責めることはできないし、十河の家は学校から自転車で10分くらいって面談シートにも書いてたしな。


 保護者からケツを叩かれて学校に行かされる生徒もいる中、あいつはサボろうと思えばサボれる状況にあるわけだ。

 楽な方に流れたがる気持ちは分かるけど、今のままじゃいけないって、どう気づかせるかなぁ……。


「電話繋がりました?」

「あ、うん。家にいるみたいですよ」

「そうですか。家出とかじゃないみたいで、まずは安心ですね」


 そしてまばらになった職員室の中で、まだ残業を続けていた久川先生が、おそらく電話が保留になったのを察したのか、小さめな声で俺に話しかけてくる。

 その表情は心配の色を浮かべていたんだけど、俺の言葉に少し安堵の表情に変わったのがすぐ分かった。


 やはり十河のことをかなり心配してるみたいだなぁ。


 その気持ちは理解できるし、俺にとっては少し懐かしい記憶を思い出させた。


 うちの学年は入学時240人いたのだが、1年の間に来なくなって退学したり、全く勉強に力を入れなかったせいで進級できず退学したり、暴力沙汰で進路変更を申し渡されて退学したり、学校が合わないや人間関係のトラブルが理由で他校に転校したり、そんなこんながあって2年に進級できた生徒は230人。

 1年間で10人の生徒が減ったのだ。


 これは星見台高校からすれば、他の学年を見ても平均的な減少数ではあるみたいだけど、久川先生のクラスは彼女の熱い指導により昨年度唯一学年でクラス全員が進級した。

 俺も前の学校で初担任をしたときは、何が何でも全員進級・卒業させるんだと意気込んで、1年から2年には全員進級させたから、彼女がどういう気持ちで去年取り組んでいたかは理解できる。


 でも結果としてこの判断が良かったかどうかは、何とも言えない。担任の熱意で1年から2年にはなれても、クラスが替わったことで2年から3年の間で気力が折れたり、抱えてた悩みを教師に言えなくなり不登校になったりと、俺が1年の頃に担任していた生徒は、全員が3年へと進級できたわけではなかったからだ。

 その時当時の学年主任の先生に言われたんだよな。「人間だから合う合わないがあるのは当たり前なんだ。自分が出来るからお前もやれは生徒全員には通用しない。本気で向き合った末、合う環境を考えてあげるのも教師が生徒を想ってすることに違いないぞ」って。


 結果としてこの言葉は正しくて、俺が2年の時に担任として他校へ転校した生徒は新しい環境ではちゃんと頑張れたみたいで、無事卒業して就職も決めたみたいだった。俺の異動直前の3月にその子が会いに来てくれて、「北条先生が一緒に考えてくれた学校に行ってよかったです」って笑って報告してくれたんだよな。


 だから入学させたら卒業まで頑張らせたい、それを支えたいって気持ちは分かるけど、俺は久川先生の熱意が絶対に正しいとは正直思っていない。

 もちろん最初から投げやりにするような人と比べたら1000倍マシだけど、想いだけで何十人もの人生を導くのは不可能に近いと思う。

 これがもし進学校で、1年から3年までほぼ全員が進級・卒業するような、高校を大学への通過点と考えている生徒が多かったらまた違うんだろうけど。

 やはりうちみたいな、親や中学校の先生に行けって言われたから高校に来た生徒が多かったり、卒業後の就職や進学が目的として定まっていないような生徒が多い学校では、久川先生のやり方は難しいだろう。


 俺のクラスも昨年度は無気力と人間関係のトラブルで2人が私立通信制高校に転校してったしな。


 もちろん三者面談の結果一時は学校に来るようになった十河だから、いきなり環境変えてみるか、なんてことは考えてないけど、もし彼女が深刻な悩みを抱えてるんだとしたら、当然話は変わってくる。


 ケースバイケース、十人十色の対応が必要だと俺は思うよ。


『倫ちゃんこんばんは』

「あ、十河か? 久しぶり。今日はどうしたんだ?」


 そして数分間の間を置いて、電話越しに聞きなれた生徒の声が聞こえてきた。

 そして電話越しの遠くから「北条先生でしょ」と注意するお母さんの声も聞こえてくる。


 とりあえず声の感じ、生気がないとかそういうわけではなさそうだな。

 安心。


『あー……なんかやる気でなくて?』

「そっかー。明日はやる気出せそう?」

『うーん、それはその時次第かな』


 何とも要領を得ない答えに、またしても遠くから「ちゃんと行きなさい」と叱責する声が聞こえてくる。

 こういう保護者の声ってすごい大事なんだけど、当の本人からするとけっこうプレッシャーみたいなんだよなぁ。

 自分でも分かってることを改めて言われると、理屈じゃなく反発したくなる年頃だし。


「その時次第かー。じゃあ、十河は今何ならやる気出るんだ?」

『え? あ、うーん……』


 答えない、か。でも何かはありそうだな……。

 でも言わないってことにも理由はあるんだろうし、今無理やり問い詰めるのもよくないな。

 話題変えるか。


「今日はずっと家にいたの?」

『あ、うん。そうだよ。夏休みもほとんど外出てないよ』

「あ、そうなんだ。篠原とか別所とか、心配してたぞ?」

『え? そっか。そういえば連絡も返してないや。うん、そこはちゃんと連絡しとく』

「うん、そうしてやってくれ。友達は大事にしないとな」

『うん。分かってる。あの二人は優しいもんね』

「うんうん。きっと学校にも来て欲しいなって思ってると思うよ」

『うん、あたしもそう思う』

「じゃあ、明日学校来るやる気出してくれるかな? 俺も久々に十河に会いたいしさ」

『えー、そんなこと言ったら市原さんに怒られるよー?』

「そんなことあるわけねぇだろ……今日は十河以外みんな来たからさ、やっぱクラスの奴らみんなに会いたいじゃん?」

『うーん、やる気出ればねー』


 ふむ……。なかなか約束はしてくれない、か。

 まさか十河に市原のことでいじられるとは思ってなかったけど、これはちょっと手強いな……。友達の名前出しても、そこまでって感じだし。

 いじめとかそういうのの可能性はなくなったとは思うけど、これは何か本人に問題がある状態か……?


 と、俺が次の話題をどうするか考えていると。


「代わってもらってもいいですか?」

「あ、ちょっと!?」

『ん? どしたの?』


 俺と十河の会話を聞いていたであろう久川先生がパッと立ち上がり、俺から許可を取る間もなく受話器を奪っていく。

 俺の声に十河の不思議そうな声が聞こえるも、当然それに答えることはできなかった。


「菜々花? 私学校で待ってるからね! 学校来たらまた色々お話しましょう!」

「いや、久川先生ちょっと!」

「悩んでるなら何でも言ってね!」


 そして俺がどうしようかと困惑してる間に、久川先生の発言は続き。


「切られちゃった……」


 この一言である。


 あーもう、やってくれんなぁこの人……。


「はあ……十河、なんか言ってました?」

「明日行きますって最後に言ってましたよ」


 俺が大きくため息をついたからか、久川先生はいつもの真面目そうな顔で俺にそう言ってきたけど、どう考えてもその言葉は信用できるわけがない。

 電話が切られたってことは、久川先生から逃げようとしたってことに他ならないだろうし。


 いやね、元担任として十河のこと心配してくれてるのは分かるしありがたいけど、さすがに今のやり方はどうかと思うよ。

 

 そう思ったからこそ、俺が苦言を呈そうともう一度ため息をつくと。


「久川先生、北条先生のやり方に口出しするのは、さすがにいかんでしょ」

「え、でも」

「いくら去年担任だったからって、今は北条先生のクラスの子なんですし、北条先生には北条先生の指導があるんですから」


 そしてここまで存在感を消していたが、俺と久川先生以外に残っていた学年団のもう一人、島田先生が俺と久川先生の会話に入ってきた。

 その言い分は、まさに俺が言いたかったことそのものです。


「学校来たくない子にはその子なりの理由があるんですから、話聞いてあげてた北条先生が言うならまだしも、一方的にいきなり久川先生が「待ってるね」じゃただのプレッシャーですよ」


 立ち上がった島田先生は眼鏡の位置を直しつつ、さらに久川先生に追撃を放つ。

 俺と久川先生は目線の高さが同じくらいだけど、島田先生は体格がいいわけじゃないけど俺らよりも少し大きいから、ちょっと威圧感もあるなぁ。


「ねえ北条先生?」

「そうっすねー……俺としてはもう少し十河の考えてること探りたかったかな」

「……申し訳ありません」


 そして先輩教師に当たる二人に責められる形となり、珍しく久川先生が肩を丸めるようにしゅんとしていた。

 カッコいい系の顔立ちの女性だけど、この感じはやっぱ女性だなぁと思わせてくるから、そんな姿に何となく罪悪感が募ってしまう。


「道示すだけじゃなく、道を探してあげるのも俺らの役割っすから、久川先生も十河のこと心配かもしんないですけど、ここは任せてくださいよ」

「……はい」


 彼女からすれば初担任の学年で、受け持ってたことのある子の状況に心配な気持ちになるのは分かるけどね。

 アルバイト始めたての店員も、客からすれば等しく店員なのと同じように、生徒に先生は選べないんだから、経験値とか関係なく、プロとして対応できるようになってもらわないと。

 そんな気持ちを込めて、俺も落ち込む久川先生に先輩としてそう伝える。


 とりあえず起きたことはしょうがないけど、同じことを繰り返さないようにはしてもらわないとだしな。


「ま、これで明日十河がちゃんとくれば結果オーライですけどね」


 そして生徒への対応よろしく、フォローも忘れずに。


「こっからは文化祭もありますし、久川先生はC組の指導しっかりよろしくお願いしますよ」

「……はい、分かりました」


 島田先生はもう少し何か言いたげだったけど、俺がこの場を収めようとしたのを察したのか、それ以上は何も言わずまた自分の席に座ってパソコンに向き合いだしていた。

 その姿を確認してから、俺も電話中に取っていたメモを回収し、自席に戻る。


「……ごめんなさい」

「もういいですって」


 そして俺が座ると、隣から聞こえる弱々しい謝罪の声。

 さすがに今ばかりは、隣の席が久川先生なのはちょっとやりづらいね……!


 だが明らかに凹んでいる彼女に気にすんなと言わんばかりに笑ってあげて、俺は今回の件を終わらせることにした。


 彼女の真っ直ぐさが合う生徒もいるのは確かだし、女子バレー部は彼女が顧問になってから大会でも結果出し始めたんだから、適材適所ってことだろう。


 今回はちょっと彼女と相性が悪い出来事だっただけなのだ。

 それも今回で学んでくれればいい。


 そして先ほどの電話内容を俺がクラス情報をまとめているファイルに転記してから、PCをシャットダウン。


「それじゃ、今日はお先に失礼しまっす」

「おつかれさまでした」

「おつかれーっす」


 俺の言葉に返事をくれた二人は、もう少し残業するのかな。

 あ、大和たちもまだ色々やってるのか。大変そうだなぁ……。


 とりあえず、俺は帰ったらだいにも初担任として、今どんな心構えでやってるのか聞いてみよう。

 学校が違うから、考えとかは違うかもしれないけど。


 そんなことを考えながら、俺は治り切ってない右足のせいで足早にとはいかなかったけど、2学期初日の勤務を終えるのであった。







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以下作者の声です。

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 勤務パートとなりました。

 生徒だけじゃなく、大人への対応も大変そうですね……。


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本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉はちょっと途中で停止状態ですが、1,2作目掲載中です。 

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