第208話 普段とのギャップ

 8月28日金曜日、午後3時半頃。

 だいぶ足は良くなってきたが、念のためということで俺はまだ松葉杖を使いつつ、午後休暇を出し、いったん帰宅してちょっとフォーマルめいたスラックス姿に着替え、ゆめの発表会を見に行くべく一人横浜へとやってきた。


 清々しい快晴の中、山下公園とか行ったら気持ちよさそうだなぁと思いつつ、俺はだいから教えてもらった発表会の会場へと向かう。

 ちなみにゆめには俺が行くことは伝えていない。

 なんちゃってサプライズ的にね、びっくりさせようという魂胆なのである。

 もちろん手土産も用意し、事前にだいとも相談して決めた、パステルカラーを中心とした小さめのフラワーアレンジメントを買ってきた。


 結局俺しか来れなかったけど、みんなの分も含めてしっかり聴かないとな!


 そんな思いで足を動かす。


 あ、ちなみに一昨日の202号室水上さん家訪問以降、風見さんに動きはなかった。

 これが果たして彼の言葉によるものなのか、風見さんの気まぐれなのかは分からないが、とりあえず火曜に続き、俺は水曜木曜と穏やかな夜を過ごすことができたぞ。


 このまま平和に過ごせればいいんだけどね、ほんと。

 

 そんなことを考えながら、ひょこひょこと目的地を目指す俺。

 最寄り駅からはだいたい徒歩15分ということで、松葉杖の俺にとっては少々しんどい道のりだが、ゆめのためだしな、弱音は吐いていられない。

 ギルドの活動日まで休んで集中して練習してたんだし、きっといい演奏をしてくれるだろう。

 まぁ、音楽とか正直詳しくないんだけどね。


 果たしてどんな演奏会なのか。

 期待に胸を躍らせつつ、俺はだいから送ってもらった案内図を見ながら、目的地を目指すのだった。




 ここか。

 

 辿り着いた会場は、かなり小さめのホール、というかサロンみたいな感じだった。

 入口には神奈川県音楽科研究会ピアノ演奏会という小さめの看板が置いてある。


 うん、ここで間違いないだろう。


 ガラス扉の奥には長机が見え、その机のそばには二人のスーツ姿の女性たちが座っていた。

 

あ、受付とかあるのかな?


 そんなことを考えながら俺はガラス扉を開き、中へと入る。


「こんにちは」


 そして俺が中に入るや、受付に座る俺と同い年くらいであろう女性の方がにこやかに挨拶をしてくれた。


「こんにちは」


 それに合わせて俺もにこやかに挨拶。

 うん、挨拶は人としての基本だからね。


「ご来場ありがとうございます。こちらにお名前と、ご所属、どなたのご紹介かをご記入お願いします」

「わかりました」


 そして机の上に置いてあった受付に、自分の名前と勤務校、招待してくれた相手であるゆめの名前、平沢夢華を記入する。


「あ、夢華のお知り合いの方なんですか?」

「あ、はい」


 そして俺がゆめの名前を書くや、最初に挨拶をしてきた方ではない、俺よりも少し年下そうな、ゆめと同い年くらいっぽい女性が反応を見せた。


「あ、もしや夢華の……?」

「あ、いや、ただの友達ですからね?」


 そしてその女性がはっとした顔をしたあと、ちょっとニヤニヤ気味になったので、その意味を察した俺はすかさず訂正。

 あれだな、この人たちはきっと看板にあった神奈川県音楽科研究会のメンバーなのだろう。おそらく、専門がピアノ以外なのかな?

 

 初対面というか、会っていきなりなのに割とフランクな雰囲気を出してきた女性から教員の気配を感じた俺は、一人脳内でそう予想する。


 もちろん俺の表情はにこやかなままだけどね!


「あ、そうなんですか? これは失礼しましたっ。夢華の番は会の中盤ですので、おそらく50分後くらいだと思います。席は自由ですので、空いてるお席にお座りくださいね」

「はい、ありがとうございます」


 そして俺が彼氏ではないアピールをしたことで、受付の若い女性の方は勘違いを笑ってごまかしたあと、俺に発表順が書いてある次第を渡してくれた。


 それを見る感じ、発表するのは13人で、ゆめは8番目らしい。

 全員の演目と、勤務校、略歴が書いてあり、なんというか個人情報の開示度が高いように思えたね。


「お怪我されてるのに、ご足労おかけいたしました。差し支えなければそちらのお花お預かりしますがよろしいですか?」

「あ、じゃあお願いしていいですか?」


 そして再び最初に声をかけてくれた女性が俺の持ってきていたフラワーアレンジメントを預かってくれることに。

 うん、正直両腕を松葉杖に取られてるから、持つのも一苦労だったんだよな。

 ありがたい。


「どなたからの贈り物か分かるように、こちらのカードにお名前を頂いてもよろしいですか?」

「ああ、了解です」


 そして渡されたミニカードに自分の名前を書く俺。

 

 そうか、プレゼントとか色々ありそうだもんな。

 どれが誰のか分からなくならないように、こういう配慮もあるんだなぁ。


「お願いします」

「はい、確かにお預かりしました。では中へどうぞ」

「はい、ありがとうございます」


 そしてミニカードを女性へ渡し、俺はまた松葉杖をついてと会場の方へと移動していく。

 受付を見た感じ、まだ来ているのは10人ほどだったけど、ゆめの紹介で来たっていうのは、俺が一人目のようだった。

 さすがにゆめももう大人だし、親とかは来てないのか。


 会場内に入ると、小さなステージの上に1台のグランドピアノが置いてあり、ステージ下には並べられたパイプ椅子が30脚ほど置いてあった。

 俺より先に来ている人たちの年齢幅は様々で、発表者の配偶者っぽい人や、両親っぽい人などが既に席についている。


 だいたいの人が席の中心付近に座っている中、俺はステージから見て向かって左手側、演奏者の表情が見えるであろう端っこの席へと腰を下ろした。

 俺が会場に入った時は松葉杖の人間が来たのが珍しかったのか、ちらちらと俺に視線が集まったけど、それも一瞬のことだったようで。


 一人次第を見ながら、俺は開演の時を待つのだった。




 そして16時ジャスト。

 司会役を務めるという中堅っぽい感じの年齢の男性の紹介で、音楽科研究会の会長というおじいさんが挨拶をし、その後早速トップバッターの人の演奏が始まった。

 演奏者はおそらく30代であろう男性教師。


 演奏者はステージから客席の方へ一礼するのみで、すぐに演奏がスタート。

 その演奏は力強く、なんだか聞いていて心惹かれるような感じがした。


 まぁ、こういう演奏会ってあんまきたことないしな。

 何聴いてもすげぇってなりそうな気はするんだけど。


 そして2曲ほどを演奏し、7,8分くらいで一人目が終了する。

 うん、このペースで8番目って、おそらく50分じゃなくて1時間後くらいなんじゃないか? ゆめの番。


 ちょっと先が長いなぁとか思いつつ、俺はその後も演奏を聴き続け、ゆめの登場を待つのだった。




 時は進み、まもなく17時になろうという頃。


「次は、横浜市立山手中学校の平沢夢華教諭による発表です」


 おお……!


 ついに待ちに待った女性がステージへとやってきた。

 ここまでに観客の数もちらほらと増え、既に客席は半分ちょっとが埋まっている。


 その客席に座る全員が、今はステージに現れたゆめを見てるって、不思議な感じだなぁ。


 ステージに現れて優雅にも一礼して見せたゆめは、紺色のロングドレスに身を包んでいた。ドレスの紺色が、胸元と肩から腕にかけて見えているゆめの肌の白さを際立たせており、いつもとは全く違う雰囲気に見える。

 いつもは可愛いっていう印象が強いゆめも、今日の恰好だと綺麗、という言葉が適切だろう。

 うん、正直出てきた瞬間は、思わずドキッとしてしまった。


 そして一礼を終えたゆめは、全体をなんとなく見渡したのだろう。

 小さな会場だったのもあり、俺の姿にも気づいたゆめは一瞬だけ驚いた様子を見せた気がしたが、すぐに切り替えて小さく笑った後、振り返ってピアノの方へと移動していった。


 そして椅子に腰を下ろし、一度目を閉じ深呼吸をしてから、今まで見たこともないような真剣な顔つきになったゆめの演奏が始まる。


 曲目はドビュッシーの『月の光』。


 小柄な身体が奏で始めた音は優雅で、なんだか少し切なく、それでいて優しい気持ちのもさせてくれるような、美しい演奏。

その音を生み出すゆめの姿は、一言で言うならば、カッコよかった。


 美しいドレス姿も印象的だが、それよりもその表情が心を惹きつける。

 彼女が本当にピアノが好きで、ずっと続けてきたのは、素人の俺でも十分に理解できた。


 ここまで既に演奏を披露してくれた7人の方々の演奏中は、正直うつらうつらすることもあったんだけど、ゆめが奏でる旋律は、確実に俺の胸に響いてくるように感じられた。


 普段はお茶らけているというか、あざと可愛いを演じるようなゆめが、まさかここまでカッコよく見えるとは。

 俺だけでも来れてよかった。欲を言うなら、みんなも来られればよかったのに。


 本性はね、ちょっと凶悪というか、恐ろしい一面も秘めているゆめではあるんだけど、こんな一面もあったんだなぁ……。うん、また新たなゆめの一面を見ることが出来た。

 帰ったらだいにもカッコよかったよって伝えてあげよっと。


 そして1曲目が終わり、2曲目。

 次第を見ると、1曲目は真面目というか、ああ、ピアノの発表会だなぁという曲目がチョイスされているのだが、どうやら2曲目は各々の好きな曲をアレンジして弾くことになっているらしい。


 ここまでの7人は皆海外の映画音楽だったり、JPOPをアレンジしたものだったけど、ゆめがチョイスしたのは某有名RPGに登場する地名にてという、俺からすると「おお!」と思ってしまうようなチョイスだった。

 いや、たしかにあの曲は人気が高いしな……!

 教科書にも載るレベルの曲ってのも聞いたことあるし。


 でもこの曲を選ぶとは、さすがゲーマーだな……!



 そして色々とゲームをプレイしてた当時の記憶とともにゆめが奏でる2曲目を楽しみながら聴き終えると、客席からは拍手が沸き上がった。

 もちろん俺も会場の中で一番大きく拍手するくらいの気持ちで拍手を送る。


 演奏を終えたゆめは一息つき、緊張から解放されたように真剣だった表情に微笑みを浮かべ、そっと席を立ち、再度ステージの前に立ち、一礼。

 今度は俺がいることが分かっていたからだろうが、ばっちりと俺の方に目線を送って笑ってくれた。


 その笑顔は正直めちゃくちゃ可愛くて、うん、ゆめのことを何も知らなかったら騙されてコロッと好きになってしまいそうなレベル。


 そしてステージからゆめが去っていき、司会の人が次の発表者を紹介していく。


 贔屓目かもしれないけど、ここまでの発表者の中で一番レベル高かったんじゃないかな……!?

 正直それほどまでに、ゆめの演奏は心地よかった。

 いやぁ……ゆめってすごかったんだなぁ。

 さすが、留学もしたってだけあるな。



 そしてその後も演奏は続き、ゆめの演奏終了から35分後ほど、俺は13番目、最後の発表者の演奏を迎えるのだった。







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以下作者の声です。

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 穏やかな回になりました。

 ちなみにもちろんお分かりと思いますが、2曲目は「ザ」で始まるあれです。

 名曲です。


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本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉はちょっと途中で停止状態ですが、1,2作目掲載中です。 

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