第199話 最近の近所づきあいなんてそんなもん

 8月24日月曜日、午前9時10分、天気は雨。


「歩きづれーなこれ……」

「文句言わないの。骨に異常なかっただけよかったじゃない」

「おー……」

「ほら、滑ると危ないからちゃんと足元見て」

「はいはい……」


 ゆっくりと一段一段気を付けながら登る俺のペースに合わせて、傘を差してくれているだいもゆっくり進む。

 ほんとね、今の俺は両手が自由じゃないので、傘差してくれるのはありがたい。


 でもまぁ、異常なかったって言うけど踏んだの君なんだけどな。

 というのは秘密だけど。


 あ、ちなみに今に至るまでを説明するとね、亜衣菜の家から帰宅し、着替えやらなにやらを済ませた俺はだいとともに整形外科を訪れた。

 そこで下された診断は案の定捻挫。でも俺の痛がり方から、軽く靱帯も傷ついているかも、というそんな感じのことも言われた。そのため現在俺の右足首はギプスで固定され、さらには歩行も松葉杖をついて、という形になっている。

 捻挫程度で……と思って「そんな大げさな」って松葉杖を進めてきた看護師さんに言ったら、付き添いでずっとそばにいてくれただいに怒られたので俺は渋々松葉杖を使うに至っている。


 でもその時はちょっと面白いこともあった。俺の松葉杖に対するぼやきにだいが怒った時、その光景を見た看護師さんが「奥様の言う通りですよ」なんて言ってきたんだよね。

 その瞬間、完全に怒りモードだっただいが一瞬でのぼせたように顔を赤くして沈黙した。

 いや、俺もちょっと恥ずかしかったけど、だいの反応を見たら何か逆に笑えてしまったから、その言葉に否定もせずに「すみません」なんて言っちゃったよ。

 

 その後のだいは、たぶんちょっと上機嫌モードで可愛いんだけどね。


「しかし、今日の仕事どうすっかなー」

「雨なんだし、外出るのは危ないでしょ? お休みすればいいじゃない」

「まー……部活ないと確かにそんなやることないんだけど」


 ゆったりと階段を上がっている間に濡れてしまった身体を拭いてもらってから、俺は片足でけんけんしながらベッドへ移動し腰かける。

 その様子をだいは呆れて見ていたようだったけど、いや、俺はただ外で使ってた松葉杖を家の中でつきたくなかっただけですからね。


 ちなみに病院に着いた頃に一度学校には電話して、ちょっと怪我をしたので午前中は休む旨は伝えている。

 うちの管理職は割と緩めだから「はいはーい。お大事にー」くらいしか言われなかったから、たぶん半休を全休にしても何か言われることはないだろう。

 市原にも連絡したから部活についても今日は大丈夫だろうし。


 たしかに外も雨だし、松葉杖で階段降りるのはちょっと怖いかなぁ。


「仕事終わった後も来るから、今日くらいは安静にして待ってなさいよ」

「いや、そこまで迷惑かけるのは……」

「ふーん。じゃあ私を頼らないで、誰を頼るつもりなのかしら?」


 そう言ってちょっとだけ拗ねた感じの表情を見せるだい。

 甲斐甲斐しくも仕事が終わったら来てくれるとか言ってくれるけど、何から何まで頼りっぱなしだなぁなんてちょっと気を遣ってしまったが……そっか。

 彼女なんだし、頼ってもいいんだよな。

 しかもさっきは「奥様」とかって思われたくらいだし。


「ありがとう。じゃあ悪いけど今日はよろしく頼むよ」

「ん、よろしい」


 でもやっぱり全部が全部頼りっぱなしというのは、ちょっと落ち着かない。

 かといって気楽に動けず、もどかしい気持ちのままベッドに座る俺をよそに、だいはテキパキと片付けをしたり俺の着替えを用意したり。


 なんか、まるで……。


「じゃあお昼分も含めてご飯作れるように、ぱっと買い物いってくるから、ゼロやんはいい子にして待っててね」


 おかんかよ!


「小さい子か何かか俺は……」


 ちょっとだけ笑いながら、ベッドに腰かけた俺の頭を撫でてくるだいに少し照れながらツッコむけど、たしかにそう言われれば腹が減ったな。

 冷蔵庫に何か残ってればよかったんだけど、あいにくこの展開は予想してなかったので、だいが一昨日に色々と買ってきてくれたりした食材も既にほとんどすっからかん。

 なのでだいが買い物に行ってくれるというが、いやぁほんとは俺も行きたいけど、すまんな……!


 でも今の俺がついてったら、邪魔でしかないだろうから。


「気を付けて行けよ」

「うん、いってきます」


 ひょこひょこと片足で移動し、玄関からだいを見送る俺。

 なんか見送るって、変な感じだなぁ。


 そして再びひょこひょこと先ほどまでの定位置に戻る俺。

 しかしまぁほんと、普通に歩けないというのは不便なものだ。

 折れてなくてよかったちゃよかったけど、どのくらいで治るのだろうか……。


 新学期まであと1週間。

 さすがにそれまでには……って思うけど、色々調べると2,3週間って書いてる情報が多いな……。

 うーん、早く治ってくんねーかなー。


 ベッドに腰かけ、スマホで色々検索して出てくる情報に俺は少しげんなり。


武田亜衣菜>北条倫『りんりん大丈夫だった?』9:32


 っと、そうだ亜衣菜に連絡してなかったや。

 さすがに心配してくれてたし、連絡くらい返さないとな。


北条倫>武田亜衣菜『捻挫だって。骨には異常なし。でもしばらく松葉杖だってさ』9:33


 返信っと、って。


武田亜衣菜>北条倫『折れてなくてよかった!』9:33

武田亜衣菜>北条倫『早く治るといいね!』9:33


 打つのはえーなー、あいつ。


北条倫>武田亜衣菜『ありがとな。ルチアーノさんたちにもよろしく』9:34


 これでよし、っと。


 その後もちょこちょこ来ていた連絡を返したり、昨日もらったPCの配置を考えたり、職場に今日は全休でと伝えたりしながら、俺はのんびりとだいの帰りを待つのであった。





「ただいま」

「おう、おかえり。雨の中ありがとな」


 だいが帰宅するや、俺はまたひょこひょこと移動し、だいから食材の入ったビニール袋を預かりつつタオルを用意していたタオルを渡してあげた。

 靴とかもちょっと浸水してる感じがあるし、けっこう外は強い雨が降っているのだろう。


「ううん。そういえば今お隣さんに会ったけど、女の人だったんだね」

「あー、205?」


 タオルで身体を拭きながらのだいが、何気ない口調でそんなことを言ってくる。

 うちのアパートの階段側から見て奥から201,202,203,205号室と並んでいるのだけれど、たしか俺の記憶だと205号室は女の人が住んでたような。

 特に引っ越しの挨拶とかもなかったから話したこともないけど、たまにゴミ出しとかですれ違う時に会釈するくらいしか面識がない、なんか真面目そうな女の人ってイメージだ。


「えーと、奥側の部屋に入って行ったから、202号室かな?」

「え?」


 と、俺がほとんど思い出すこともない205号室の人のことを思い出そうとしていると、まさかの202号室発言。

 いや、そこは俺より長く住んでるサラリーマンさんのお住まいだぞ……いや、でもあれか? あの美人さんか……?


「あー、茶髪の気が強そうな人? ならたぶん、彼女さんじゃないかな。202号室の住人は男の人だぞ」

「え、黒髪の優しそうな人だったけど……。向こうから「こんにちは」って言われたんだけど……」

「え?」


 むむむ? どういうことだ?

 あの茶髪さんスーパーイメチェン?

 あるいは……申し訳ないがあの冴えない感じの202号室の人が、二股!?

 いやいや、あの女の人めっちゃ綺麗だったのに……。


「ゼロやんが帰省してる間に引っ越した、とか?」

「いや戻ってきてから喧嘩してる声とかも聞こえてきたし、業者が入ってる様子も見たことないぞ……」


 もしやあの時の喧嘩が原因で別れて、新しい彼女できたのか!?

 そうだとしたらすごいな202号室の人。

 うーん、人は見かけによらないな……。


「まぁ隣が誰だろうと、俺らには関係ないか」

「それもそうね。うん、じゃあ朝ごはんとお昼ご飯と作っちゃうから、もうちょっと待っててね」

「おう、ありがとな」


 そう言って隣人トークもそこそこにだいはキッチンで作業開始。

 こうなると俺は手を出せないので、ちょっと隣人さんについて思い返してみるけど、うん、どう考えても二股するようなイメージはない人、それが202号室の人なんだ。


 たまにゴミ出しとか、帰宅した時に会ったりしてたけど、ぼさぼさというか、伸びた前髪で目元があんまり見えないくらいだし、何となくスーツもよれよれなことが多いし、背はそこそこあった気がするけど、いつも猫背気味でひょろひょろした細身。

 なんというかね、陰鬱とした感じが漂うイメージだったんだよな。

 まぁ会ったら挨拶くらいはしてくれるけど。


 まぁ、名前も知らないんですけどね。


 でもまさか、あの人が二股かぁ……。人は見かけによらねーんだなぁ……。


 耳をすませばキッチンの方からはだいが料理をする音が聞こえてくる。

 うん、俺は絶対ね、二股とかしないから。

 だいがいるんだから、当たり前だしね!


 そんなことを考えながら、俺はだいの料理の完成をのんびりと待つのであった。





 そして、10時30分頃。


「ご馳走さまでした」

「うん、じゃあまた夜にね」

「おう。何から何までありがとな。気を付けて」

「うん、ゼロやんも転んだりしないようにね」


 だいの作ってくれた朝ごはんを一緒に食べ、洗い物やら何やらを終えたらすぐにだいは帰宅の準備を開始。

 そしてハグを求めてきただいにギュってしてあげてから、俺はだいを見送った。


 ほんと、振り返るめちゃくちゃ慌ただしい朝だったけど、とりあえずこれでひと段落か。

 でも一日オフ、かぁ……安静にしてなきゃだし、うーん……。


 まぁ、やることといったら一つ、か。


 ということで俺はいそいそとLAを起動するべく、今までのPC、ではなくノートPCを起動。

 今まで使っていたコントローラーをノートの方に付け替え、準備完了。


 歩くのも楽ではないし、外は雨だし。

 うん、こんな日はLAにログインするしかないだろう。


 平日の午前中なんて活動してる人少ないから、ソロで何かやるしかないけど。

 とりあえずの手持無沙汰な時間を、俺はそうやって浪費するのだった。





 14時20分。


 LAに入ると時間の経過があっという間なのは何故だろうか?

 ということで気づいたら14時を回っていたこともあり、俺はだいが作ってくれた昼食の炒飯を食べようと冷蔵庫へ向かった。

 だがそこで気づく。冷蔵庫にお茶がないということに。


 お茶くらいね、水道水で我慢しろとか思うかもしれないが、その時の俺は無性にお茶が飲みたくなったのだ。

 幸いにも気づけば窓からは光が差し込み始めていたし、雨は止んだ気配がある。


 ということで、俺は少しくらい身体も動かした方がいいだろうと自分に言い聞かせ、近くのコンビニまで行くことを決意。

 どうせならだいにお礼用のスイーツでも買っといてあげたいし。


 となれば善は急げ。


 俺は財布とスマホを持ち、玄関に置きっぱなしにしていた松葉杖を両脇に挟み、家を出る。

 まだまだ歩行は慣れないけれど、玄関前の廊下を進み、数メートルでやってくる階段の前で、俺は一呼吸。

 うん、あれだな。上りより下りのほうが、ちょっと怖いなこれ。


 でも、毎日だいの世話になるわけにもいかないし、学校にはエレベーターなんてないのだから、少しずつ慣れるしかないだろう。

 そう決意し、俺は意を決して階段を下りだす。


 一段、また一段とゆっくり下っていく俺。

 うん、なんだ、意外といけるじゃん。


 そして階段も残り2段となった時。

 これならもう一気に行けるんじゃね? とかね、ちょっと油断したよね。


 ちょっと前まで雨が降っていた階段は、滑りやすいんだよなぁ。


「あ」


 ということで1段下の段に左足を下ろそうとした時、見事に松葉杖がつるんっ、と俺が降りようとしていた段よりもさらに1つ下に落下。


「あっ!!」


 もちろんその事態に俺の身体は前のめりになり、大きくバランスを崩す。

 その焦りに一人でに声が漏れるけど、それで何か起きるわけでもなし。

 普通ならここで右足を出して踏ん張ればいいんだろうけど、今はそれもかなわず。


Majiまじの転倒2秒前。


 両手は松葉杖に取られてるから、これはもうもう顔面からいく未来が見えて……。

 あー、くそ痛そう……。これ以上怪我したくねーんだけどなー……。

 とかね、開き直って俺は冷静に転倒の衝撃に備えたんだけど。


「うおっ!?」

「っと、危ないっすよー」


 予想した衝撃は、想像以上に柔らかかった。

 というか、全く痛くない。


「あっ、すっ、すみません!」

「いーえー」


 焦りに焦った俺の耳に入ったのは、ちょっとだけしたっ足らずな感じもある女性の声。

 コンクリートの地面に打ち付けられることを予想していたのに、俺がぶつかったのはおそらく、この声の主。


「怪我ないっすか? って、もうしてるかー」


 不意に現れた女性は倒れてくる俺の身体を抱きとめる形で、支えてくれた。

 しかも現在俺の顔は今女性の胸あたりに……。


 だいや亜衣菜には及ばないけど、うわー、やわらけー……って、違う!?

 こ、この位置はまずい!?


「だ、大丈夫です! すみません!!」

「あいあーい」


 そして俺を助けてくれた人はそっと俺の肩を押して身体を離し、そのまま肩を支えながら俺が姿勢を立て直すのを手助けしてくれた。


「すみませんすみませんすみません! ほんと助かりました」

「いーえー。……おにーさんには、いつぞやご迷惑かけちゃいましたから」


 そう言って女性がニカッ笑う。

 その時ちらっと見えた、印象的な八重歯。


「え? あっ!」


 俺を助けてくれたのは、どうやらいつぞやの酔っぱらい美人さん。

 202号室の人の彼女と、俺が思っていた人。

 今日はこの前みたい不機嫌モードではなく、にこにこ顔というか上機嫌そうな感じで、やっぱり時折見える八重歯がちょっと可愛いかったり……。

 表情豊かだなぁ。

 あ、でもやっぱり髪は茶髪じゃん。


「じゃ、気を付けてくださいねー」

「あ、ありがとうございました……って!」

「え? 何すか?」

「あ、いや、何でもないです! ほんと、ありがとうございました」

「んー?」


 今202号室いったら、だいが見たっていう黒髪さんと鉢合わせて修羅場なんじゃ!? とかちょっと思い立ったけど、さすがにそれは言えなかった。


 不思議そうな顔を見せたのも束の間、すぐに階段へ向き直して美人さんはぱっぱと階段を上がっていってしまう。


 でもほら、姉妹とか兄妹とか、普通の友達かもしれないし。

 うん、むしろその可能性の方が高いよね。


 まぁ平日の昼過ぎにやってくるって、どういう仕事してんだろうとは思うけど。

 

 とりあえず、どうか修羅場にはなりませんように。


 俺を助けてくれた美人さんに心の中で感謝しつつ、俺は慣れない松葉杖を使いながらコンビニを目指すのだった。






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以下作者の声です。

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 全治2週間くらいのようですよ。


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本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉がこそっとスタートしました。

 お時間あるときに、興味がお有りの方はそちらも読んでいただければ幸いです!

 更新は亀の如く。いや、かたつむり……。

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