第187話 さよなら大好きな人

「ずるいよ」

「え?」

「あの子はずるい」

「あの子……?」


 え、あの子って……だいのこと、か?


 ずるいって、何がだろうか?


 顔を上げた亜衣菜は、苦笑いを浮かべるような表情で俺を見つめている。

 だが、俺には「あの子はずるい」の意味が分からなかった。


 俺は続けられるであろう、亜衣菜の言葉を待つ。


「せっかくりんりんに会えたのに、その隣にはすっごい美人で可愛い子がいるなんてさ」

「あー……」


 口を開いた亜衣菜は、苦笑いから少しだけ拗ねた表情にチェンジ。

 その表情に何か少し違和感があったけど、 たしかにね。亜衣菜も可愛いけど、系統は違うがだいもすごい美人だよね。


「あたしは一人テンション上がってたのに、もしかして彼女かなって思って、がっかりもしてた。でも紹介がさ、仕事の関係者って言うからさ、少しだけ期待も込めて、うちに誘ったんだ」

「なるほど……」

「あ、ちなみにやまちゃんがりんりんの教え子だったのは本当に知らなかったからね? ……それも、奇跡ったら奇跡か」

「あー、うん。俺もびっくりした」


 山下さん、うん、あの恐怖は忘れないぞ。


「でさ、うちで話してたら、菜月ちゃんが〈Daikon〉さんって知るわけじゃん? その時からね、ちょっと思うところはあったんだけど」

「え?」

「話してて、菜月ちゃんがりんりんのこと好きだろうなってのは、すぐわかった」

「え……?」

「というか、気づかない方がどうかしてる」

「い、いや、あの頃のだいめっちゃ冷たかったけど……」

「どんだけ鈍感なのさー。……って、あの頃ってことは、今はもっと仲良くなってるのかなー?」


 そう言って亜衣菜がくすくす笑う。

 っていうか、だいが俺のこと好きかもって気づいてたって、こいつ……!?


「え、あ、そのこと――」

「まぁいいや、まずそれは置いといて」

「え、おい!?」


 ここぞってタイミングだと思ったのに、まさかの俺の言葉を遮る亜衣菜。

 いや、俺のターンも欲しいんだけど!?


「あー、この子りんりんのこと好きだろうなーって思ったから、あたし、菜月ちゃんと二人で話したじゃん?」

「う、うん。話してたな」

「何話したと思う?」

「え……うーん……あの後二人が仲良くなってたから、女ゲーマー同士友達になろう、とか……?」

「はぁ……」


 うわ、こいつ思いっきりため息つきやがった!


「君は馬鹿かね?」

「な、なんだよ!?」

「まぁ、さすがりんりんって感じだけど」

「だから何だよ!?」

「友達になったのは結果論だけど、あたし言ったんだ。『あたしたちはライバルだね』って」

「え?」

「菜月ちゃんも、恥ずかしそうだったけどすぐ認めてくれたよ?」

「え、そうなの……?」

「うん。それでね、『ライバルとして正々堂々戦おう』って話してね、連絡先交換して、もし何か進展があったら報告し合おうってことを約束したの」

「マジか……」

「うん。あと、直接どっちが好きか聞くのはなしってことと、告白しても、告白したことも、結果も教えないってことも約束した。約束したっていうよりは、あたしが決めたに近いけど」

「え、な、なんで?」

「……その報告は、直接聞きたかったから」

「ん?」


 いや、声小さすぎて聞こえねーよ!

 今の、大事なとこだよな!?


 変な汗をかき始めた俺を、亜衣菜は楽しそうな笑顔で見つめていた。

 でも、その様子からは先ほどまであった寂しさが、消えているような……?


「直観的にさ、分かってたんだろうなぁ。ほーんと、相手が悪かったなー」

「え?」

「あたし性格悪いからさ、菜月ちゃんにりんりんのことたくさん教えてあげたんだよ?」

「ん……それが、性格悪い?」

「うん。だって性格悪いでしょ。元カノって立場を思いっきり使ったんだもん。好きな人のこと、これでもかってくらい元カノに教えられるんだよ? リアルで知り合って間もない菜月ちゃんからすればさ、あたしはりんりんのことこんなに知ってるんだぞーって、普通嫌味でしかないじゃん?」

「あ、なるほど……」

「あたしだったら、それは自分で聞いて、自分で見つけていきたいって思うし。でもあたしはそういう機会を奪おうと、たまに菜月ちゃんと会って、菜月ちゃんにぜーんぶ教えてあげた」

「え、会ってたの!?」


 そんなの聞いたことないんですけど!?


 だが、驚く様子の俺に亜衣菜は、けらけらと笑い出した。

 その様子を俺はどんな気持ちで見ていればいいのだろうか。


「青いワンピース着て来たりさ、髪を束ねたり猫耳つけたり色々してくれたんでしょ?」

「……っ!!」

「その様子だと図星だよね。りんりんの好み、全部教えたのはあたし。夜の話なんかもしたんだよー?」

「え、お、おいっ!?」

「りんりんのいいとこも、悪いところも、たくさん教えた」

「マジかよ……」

「うん。……でもさ、普通そんなこと言ってくる女がいたらさ、気味悪がって離れるとかさ、ムキになって自分で考えて、りんりんの好みじゃないことしたりすると思うじゃん?」


 たしかに……ちょっと聞いてて引くレベルの話だよな、それ……。

 まさか、あの亜衣菜がそんなことしてたなんて……。


「こっちはなかなか会えない立場だから、嫌がらせ的にマウント取って諦めさせようと思ってたんだけどさー……。でもほんと、あの子はずるいよ」

「え?」

「あたしが色々嫌味で教えてんのに、あの子なんて言ったと思う?」

「え……」

「教えてくれてありがとね、って。可愛い笑顔で言われちゃったよ」

「あー……」

「元カノが言ったこと、アドバイスだと思って受け入れて、言われた通りに実践して。喜んでくれたよって言われる身にもなってほしいって」

「あー……」

「マジなんだこいつって思ってたもん。でも結局さ、そういう子だから、会ったこともないりんりんにずーっと片想いできたんだろうし。……あたしみたいな性格悪い女じゃ、あの天然さんにはかなわなかったよねー」


 そう言って亜衣菜は、再び苦笑い。

 ……そうか、こいつ、もう、そうなんだな。


「それでもね? あたしだって、やっぱりりんりんが好きだったからさ? 少しでも会ったりしなきゃって、たまたまりんりんがお義姉ちゃんが主催したスキル上げに参加してきたから、教えてもらってすぐに飛び乗って、そのままご飯誘って、久々にデートもしたじゃん?」

「〈Yakinikuやきにく〉さんの時か」

「うん。あの日は楽しかった。手繋いでくれるとかさ、あれ、まだりんりんあたしのこと好きかなって、期待もしちゃった」


 その日のことは、ちゃんと覚えている。

 手を繋ぐのは普通恋人同士だよって、言われたあの日。

 やっぱり亜衣菜可愛いなって、思ったりしたあの日。


 ……どっちとも付き合えたらとか思ってた、クズだった頃だな……。


「でも、りんりんのギルドオフ会増えるしさー、なんか毎週ご飯行く日なんだよとかって言われるしさー。菜月ちゃん、毎回律儀に、素直に言って来るからさ、なんかもう、色々突き抜けて、笑えてきちゃった」

「だいのやつ……そうだったんだ」

「うん。だからね、りんりんを好きって気持ちはずっと残ったままだけど、これは勝てないって、正直分かってたんだ。あんな素直な子、あたしの人生で会ったことなかったし。なんていうか、逆に毒気が抜かれたっていうか、むしろあたしの方が菜月ちゃんのこと好きになっちゃったくらい」

「……そう、なんだ」

「そりゃ、嫉妬もいっぱいあったけどさ? でも、うん、だからさ?」


 そこで一度、亜衣菜が深呼吸。


「もう分かってるんだ。ごめんね、話長くなっちゃって」

「いや、うん、大丈夫」


 改まった表情で、見たこともないくらい真剣な表情で、亜衣菜が俺を見る。


 ……色々驚くことばかりだったけど、今、だよな。


「だから、りんりんから言って?」

「……わかった」


 こんな展開予想もしてなかったけど、俺も改めて亜衣菜の目を見て、口を開く。

 

これを言えば、もう後には戻れない。戻らない。


「俺、だいと付き合ってるんだ。だから、もう亜衣菜の気持ちには応えられません」


 色々決意を込めたその言葉は、いとも容易く口にできた。

 ずっと言わなきゃって思ってたのが馬鹿らしいほどに、簡単に。


 それは亜衣菜の想いを拒絶する言葉で。


 俺とだいが、ちゃんと二人で進んでいくための、必要な宣言で。


「うん。教えてくれて、ありがとね」


 俺の言葉を聞いて、にこっと微笑む亜衣菜。


 泣かせて、傷つけるかと思ってたけど、どうやらそんなことにはならないよう、かな?


 というか、だいのやつも言ってくれてればよかったの……って、それは亜衣菜との約束を破ることになるから、だいもずっと黙ってたのか。

 うーん……今なら教えてくれるかな……。


「まぁね、あたしも馬鹿じゃないしさ、りんりんから話があるって言われた時から、ずっと分かってた。覚悟もしてた。この家にきてすぐ、確信に変わったし。このお家、菜月ちゃんの匂いもするもん。それにさ、食器とかそういうの、明らかにペアのものもあったし」

「あ、気づいてたの、か……」

「女の子はすぐ気付くんですー」

「は、はい……」

「この鈍感男め」

「す、すみません……」

「ちゃんと幸せにしてあげるんだぞー?」

「わかってるって……」

「それと、ちゃんと言いたいこと言って、不満も全部ぶつけ合わないとダメだよ?」

「それは身をもって学んでます」

「うむ。あたしに感謝してねっ」

「はいはい……」


 失恋した直後、なんだろうけど、俺が抱えてた不安や心配を感じさせずに、亜衣菜は今までと変わらない口調で話してくれる。

 

 その後しばらく、あの時の俺はどこが悪かっただの、付き合ってた頃の不満というか文句を、今さらに言われるという、ほんと今さらな時間がしばし続き。


 色々言われたけど、気兼ねなく話してくれる様子に俺も一件落着かな、とか思い出した。


 そう思ったんだけどね。


「あー、言い切った!」

「お、おう」

「うん、りんりんさ」

「ん?」

「色々言っちゃったけど、やっぱりね。うん。今まで……好きでいさせてくれて、ありがとね」

「え、いや、うん、俺も楽しかったよ……って、え?」


 亜衣菜の声は、どこかすっきりしたように感じてた、はずだったんだけど。


「でも、ほんとのほんとはね……やっぱり、りんりんの隣にいたいんだけどね……っ」

「あ」

「……ごめんっ」

「お、おい!?」


 平和に終わりそうでよかったなぁとか、油断した矢先。


 さっきまで平然とした様子だった亜衣菜の様子が、一変。


「あーもう……笑って、ばいばい……したかったのに……っ」


 両手で顔を覆って俯く亜衣菜の声は、不意打ちさながらに俺の胸に刺さってきた。


 亜衣菜の泣く姿を見るなんて、初めてだったから。


「ほんと……あたし、あー……後悔ばっかり。菜月ちゃん……羨ましいなぁ……っ」


 堰を切ったように溢れ出す亜衣菜の涙。


 だが、何と声をかければいいのだろうか?

 「泣くなよ」なんて、言うのは簡単だけど、その言葉は違う気がする。


 でも、震える肩を抱きしめることは、もう俺には出来ない。


 ただただ黙って、亜衣菜が泣く姿を見ているしか俺には出来なかった。


 7年の想い、それは相当なものだろう。 

 俺も亜衣菜と同じように、7年間想いを抱えていたから、分かる。

 

 もしだいと出会わずに、俺の想いが変わらないまま亜衣菜が誰かと付き合っていれば。

 どうしようもないと諦めもしたんだろうけど、やはり、苦しく思ったことには違いないだろう。

 全ては巡り合わせだと思うけれど、そう言ったところで亜衣菜には何の意味もないだろうから。


 だから、泣くことで少しでも亜衣菜の苦しさが和らぐなら。

 今ここで、いくらでも泣かせてあげよう。


 亜衣菜なら必ずまた歩き出してくれる。

 俺にはそう信じるしかできないから。


「……ありがとな。好きでいてくれて」


 出てきた言葉は、感謝だけだった。


 きっと、俺と亜衣菜が付き合って、別れて、すれ違ったまま想いを重ねてきた日々にも、何かしらの意味があるんだと信じて。


 これで俺は前に進める。

 きっと、亜衣菜も前に進める。


「最後にありがとうって……もう……相変わらずだなぁ……」


 そう言って、大粒の涙を流しながら、亜衣菜は顔をあげてくれた。

 その表情は、切ないほどに綺麗で。


「さよなら……。あたしの大好きな人」


 告げられた、笑顔のさよなら。

 その言葉はきっと、亜衣菜自身の心に向けたものだったのだろう。


 でもその言葉は、俺の胸にも様々な思いをもたらしてくれた。


 傷つかず、泣かせずなんて、出来なかったけど。

 もう、これで終わり。


 エアコンの音と亜衣菜のすすり泣く音のみが響く静寂の中、まだ泣き止むことはなさそうな亜衣菜を、俺はただただ見守り続けるのだった。








―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―

以下作者の声です。

―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―

 18歳で出会って、付き合って、21歳の頃に別れて、27歳で再会して。

 そんな二人の物語もこれにて終幕。

 

(宣伝)

本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉がこそっとスタートしました。

 お時間あるときに、興味がお有りの方はそちらも読んでいただければ幸いです!

 更新は亀の如く。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る