第185話 懐かしさを感じても

 8月23日、日曜日、午前11時20分。

 

「じゃあ、頑張ってね」

「おう……いや、でも、あの」

「何よ?」

「それ、ほんとに持ってくの?」

「うん。だってこのままにしてたら、ゼロやん捨てられないだろうし」

「いや、捨てるって」

「ダメです。責任持って私が捨てます」

「はぁ……まぁ、捨ててくれるならいいけどさ……」

「うん。じゃあ、亜衣菜さんと会ったら、また連絡するね」

「おう。そっちこそよくわかんないけど、頑張ってな」

「うん。またね」


 俺が捨て忘れていた段ボール災厄を抱えて、だいは笑って帰宅していった。

 俺からすれば気が気じゃないけど、でもなんというか、全てを話した上だからこそ、不思議とまぁいいかと思えているのも事実。


 ほんと、見つかった時はどうなるかと思ったけど、蓋を開けてみれば見つかってよかったのかもしれない。

 だいとの修羅場も覚悟したけど、雨降って地固まる的なね、そんな感じだし。


 うん、昨夜のだいも可愛かったしな……っと。

 

 だいが帰った家で一人になり、昨日のことを思い出していると、スマホに何か通知が来た。

 この時間だと、たぶん、だよな。


武田亜衣菜>北条倫『やっほー。12時ちょっとに高円寺着くよー』11:27

武田亜衣菜>北条倫『お昼ご飯どうしよ!』11:27


 うん、予想通り。

 しかし、昼食か……うーん、流石にこれからする話、飯食いながらする話でもないけど……でも、それでも腹って減るもんだしな。

 さて、どうするか……。


 俺がなんと返すか迷っていると。


武田亜衣菜>北条倫『久々にりんりんが作ってくれてもいんだよ?』11:28


 マジかよ!?


武田亜衣菜>北条倫『オムライス希望!』11:28


 続けざまにくるまさかの要望。

 いや、たしかに昔から亜衣菜はこういう奴だったけど……。


武田亜衣菜>北条倫『腹が減っては戦はできぬ!』11:29


 いや、戦ってなんやねん!

 ……え、これからの話、想像してるのか……? いや、まさかな。


 でも、人目につきたくないからって呼んだんだし、どっかに食べに行くは、ないよな。


北条倫>武田亜衣菜『時間了解。飯はデリバリーじゃダメなのか?』11:30

武田亜衣菜>北条倫『えー。やだー』11:30


 なんでだよ!

 

 と、一人脳内でツッコむも、当然それが亜衣菜に聞こえるわけもなく。

 

 やむを得ん……。これが亜衣菜の、最後のわがままってことにするか……。


 ため息をついてから、炊飯器を高速炊きでセットし、俺は先に買い物を済ませておくべく、出発するのだった。




「お待たせ~」


 12時4分、高円寺駅の改札前で待っていた俺に声をかけてきた、セミロングの茶髪を後ろで束ねた女性が一人。

 マスクに黒ぶちの伊達眼鏡をかけ、黒のキャップをかぶり……水色のワンピースを着たその人は、もちろん亜衣菜に他ならなかった。


 素肌をのぞかせる白い肌は、触れればすべすべしていそうな綺麗な肌で、あまり顔が見えないその装いでも、可愛いなと思わせるに十分足る雰囲気があった。

 いやまぁ、可愛いんだけどね、もちろん。


 でも、もうその可愛さに食らう俺ではない。


「うん、来てもらって悪いな」

「まぁねぇ、他ならぬりんりんのお願いだからさー」

「はいはい」

「あ、買い物してくれてんじゃーん。相変わらず優しいねっ」

「いや、お前が駄々こねるからだろ……」

「あははっ。そう言えば、この前あたしが菜月ちゃんを遊びに誘ったの、びっくりしたでしょ~」

「えっ、そりゃ、うん。ってか、亜衣菜予定あるって言ってたのに……!?」

「ふふーん。仲間に入れてほしいなら、その時言えばよかったのにー」

「え、いや、それは……」

「ま、りんりんも呼ぶかどうかは、今日の態度次第かなー」

「え、それどういう――」

「とりあえず、こんなとこで話すのもなんだし、りんりんのお家いこっ。あ、歩くんだっけ?」

「え、あ、ああ。10分くらい」

「じゃあ暑いからタクシーでっ」

「マジかよ」

「いいじゃんかー。タクシー代はあたしが持つから」


 そう言ってタクシー乗り場で移動する俺たちだったが、今日、だいと会う予定に、俺が入れるかどうかが俺の態度次第って、どういうことだ……?

 

 でもそれを考えても分かるわけもなく。

 出会って早々、終始亜衣菜のペースになっていることに少しだけ先の不安を感じつつも、俺と亜衣菜は贅沢にも徒歩10分の距離を、タクシーに乗って移動するのだった。




「あー暑かったっ」


 うちに入るや否や、変装用であったろうマスクと眼鏡、帽子を取る亜衣菜。

 改めて俺の前に現れたその顔は、あの頃から7年ほどの歳月が経っていても、相変わらずの可愛さだった。

 いや、大人になって、見られる仕事をするようになって、当時よりも魅力的にさえ見えてくる。


 俺が思わずその顔に見入っていると。


「ん~?」

「あ、いや、なんでもないっ」


 昔と同じように、素直な表情で首をかしげてくるもんだから、思わず照れてしまい俺は慌てて顔を逸らすしかなかった。


 い、いかん。落ち着け、落ち着け……!


「とりあえず、あがれよ」

「うん、おっじゃましまーす……あー、なんだろ、このお家初めて来るのに、懐かしい匂いがするー」

「いや、何だよその匂いって」

「うーん、りんりんの匂いってやつ?」

「……俺にはわかりません」


 玄関先でいきなり、そんなことを言ってくる亜衣菜。

 ほんと、無邪気というか天真爛漫というか、俺一人これからのことを考えて緊張してるってのに、なんだかなぁ。


「前の家より、ちょっと広いねー」

「そりゃもう学生じゃないからな」

「それもそっかー。あの頃はまだ、学生だったもんねー……」


 玄関からキッチンを抜け、部屋の方に入った亜衣菜は、俺の部屋を見渡すなりそう言った。

 なんとなく、少しだけあの頃を感じさせるような甘い空気を感じた俺は、あえて部屋の方には行かず、そのままキッチンにとどまり買ってきた食材たちを調理台の方に並べていく。


 学生の頃は確かに楽しかった記憶もあるけど、いつまでもその記憶に浸っているわけにはいかないのだ。俺も、亜衣菜も。

 だから今日、ちゃんと話すんだ。


「ぱぱっと作るから、適当に座ってていいよ」

「えー、あたしも手伝うよー」

「え、亜衣菜が?」

「あ、貴様亜衣菜ちゃんを馬鹿にしておるなー? これでも少しは料理するようになったんだぞっ?」


 そう言って頬を膨らませつつ部屋の方から戻ってきた亜衣菜は、キッチンに立つ俺の横で腕を組んで仁王立ち。


 おおう……!

 その表情も可愛かったけど、それ以上に、目がいくところが……。

 腕を組んだその姿勢に、学生の頃も大きめだったけど、より大きくなったように感じる二つの山が、圧倒的な存在感を示しているではありませんか。


「あ、えっち」

「え、いや、見てないって!?」

「その答えがもうみてんじゃーん」


 両腕で胸を隠すようにするけど、全然隠せてないよ、とか言えるわけもなく、俺は上目遣いに睨んできた亜衣菜に対して両手を振って否定アピール。

 つーか、見るなって方が無理だし!


「もー……見たかったら後でゆっくりとね?」

「見ねーわ! 変なこと言うなっ」

「ちぇー、減るもんじゃないのに」

「それ女が言うセリフじゃねえだろ!」


 恥じらいも何もない亜衣菜に、俺が全力でツッコミをいれ、亜衣菜が楽しそうに笑う。

 この感じは昔と変わらない、まだLAを始める前の、幸せだった頃に、似ているような気もした。


「相変わらずりんりんは面白いなー」

「お前も全然かわんねーな……ったく」

「りんりんは、ちょっと言葉遣いが男らしくなったけどね」

「え? そうか?」

「うん。昔はもうちょっと言い方優しかったかな?」

「うーん、普段は高校生相手に喋ってるからかな?」

「あ、偉ぶってるなー?」

「いや、言い方」

「でも、今のりんりんの話し方も、あたし好きだよー?」

「……そんな軽々しく好きって言うなって」

「えー、だって気持ちはこの前伝えてるじゃん?」

「いや、そうだけどさ……ああもう! とりあえず飯作るから、あっちで待ってなさい!」

「怒られたー」


 俺が少し声を大きくしても、亜衣菜は悪びれる様子もなく。

 でも、意外にもすんなりと部屋の方に戻ってくれた。


 ……ったく、ほんと昔と変わんねーなこいつ。

 って、いかんいかん。懐かしんで流されるなよ、俺……!


 ほんの少し前まではだいといた家に、今は亜衣菜といる不思議。

 亜衣菜が生み出す空気感は、別れてから何年も経っているのに変わってなくて。

 ……俺がそう感じるのはきっと、別れてからも、お互いがお互いのことを忘れられていなかったから、なんだと思う。


 でも。


 今はもう、そのままではいられない。いちゃいけない。

 俺の心には、もうだいがいるから。

 あいつが、一番だから。


 手元では玉ねぎ刻みながら、一人頷き、覚悟する。

 俺も亜衣菜も、いい加減ちゃんと前に進まなきゃいけないのだ。


「りんりんさー……」

「ん?」


 俺が一人やるべきことを確認していると、不意に部屋の方からひょこっと顔を覗かせた亜衣菜がこちらを見ていた。

 その表情は、何か聞きたそうな、そんな感じに見えたけど。


「どうした?」

「あっ、ううん! 何でもないっ!」

「なんだよ? 食べたいもの変わったとかいきなり言うなよ?」

「そんなことは思いませんー。あ、そだ。なんか飲み物あるー?」

「おう、冷蔵庫にあるの、適当に取っていいよ。コップは待ってな、今取るから」

「ありがとっ」


 珍しく歯切れの悪い亜衣菜に俺は少し疑問を抱いたけれども、よく分からないからあえて追求はしないことにした。

 そして冷蔵庫からお茶の入ったペットボトルを取り出した亜衣菜へ、俺は調理する手をいったん止めてキッチン下にある収納からコップを二つ取り出して渡してやった。


「ほい」

「うん、ありがと……」

「ん? まだ何かあるか?」

「あっ、ううん! りんりんのご飯、楽しみっ」

「子どもかお前は」


 俺が収納からコップを取り出すところをじっと見ていた亜衣菜は、またしても不思議なリアクションを見せたけど、何か言うでもなく部屋の方に戻っていく。

 うーん、何だろう……。


 でも、考えても分からないことは、諦めるしかあるまい。

 懐かしい空気感があるとはいえ、7年も離れてたのだ。全てが記憶通りというわけにはいくまい。


 今日が終われば、それぞれが違う道を歩むんだから。


 俺は調理を再開し、亜衣菜ご要望のオムライス作りを続けるのだった。




―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―☆―★―

以下作者の声です。

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 まずは前哨戦、ということで。


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本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉がこそっとスタートしました。

 お時間あるときに、興味がお有りの方はそちらも読んでいただければ幸いです!

 更新は亀の如く。

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