第184話 動いた時計と止まった時計

 大学3年の6月、俺は亜衣菜がやりたいと言ったLAを一緒にスタートした。

 お互いがそれぞれのキャラメイクをして、別種族だったから別のホームタウンでスタート。

 最初こそちょっと寂しがってた亜衣菜だったけど、今考えればこれも一つの運命だったのかもな。

 同じところからスタートすれば、ずっと一緒にプレイしてたかもしれないから。


 別の種族のホームタウンに行くにはある程度強くなる必要があったから、隣でプレイしてたとしても、駆け出しの頃はそれぞれ知らない人と組んでたわけだし。

 

 そしてその最初の繋がりというのは強いもので、ゲーム開始1週間くらいで俺たち〈Zero〉と〈Cecil〉はLA内で初めて出会ったけれど、常に一緒に組んだりするようにはならなかった。

 

 俺は生活のためにある程度バイトが必要だったし、サークル活動もあったし、3年からはゼミも始まったから、常にログインしているわけにはいかない。

 でも亜衣菜は元々シフトが少なかったバイトもやめ、時々大学の講義も欠席したりしながら、誰の目にも明らかなほどリアルよりもLAでの生活を優先させていった。


 それでも最初の頃はね、亜衣菜は負けず嫌いだし、楽しそうにしてるからまぁいいかと思ってた。一緒にプレイすることがないわけでもなかったし、夏休み頃までは、すごい熱中してんなーくらいに微笑ましく思ってたんだ。


 でも、3年前期が終わった日。


「倫くん、ちょっといいかな?」

「どうしたの?」

「亜衣菜、今日の試験いなかったんだけど……」

「えっ!?」


 亜衣菜の友達から、亜衣菜がいくつかの試験受けてないって話を聞いて、俺の中の感覚も変わり始めた。

 大学3年ともなれば、教育学部の俺と文学部の亜衣菜で共通の講義なんてなかったから、時間割も別。だから学校に行くタイミングも違うことが多かったんだけど、まさかそこまで大学生活を疎かにしてるとは思わなかったんだ。


 その話を聞いた時は、俺もさすがに怒りというか、悲しい気持ちになった。


「亜衣菜さ、ゲーム楽しいのは分かるけど、学校はちゃんと行かないとダメだよ?」

「うーん……ごめんね。後期はちゃんとするからっ」


 今考えれば、この時もっと強く言うべきだったんだろうな。

 それでもすぐに謝って、甘えてきた亜衣菜にそれ以上強く言えず、LAをする上での約束も何もないままに、話を終えてしまった。


 逆に亜衣菜も、俺のプレイペースに思うところがあったのか。


「りんりんさ、ギルドは別なとこに入って、色んな情報集めよっ」

「ん、わかった」


 そう言われたのだ。

 もしここで俺がそれを断って同じとこに入ってたら、俺も【Vinchitore】に入ってたんだろうけど。

 これも、一つの分岐点だったんだろうな。


 もちろん俺だって当時のプレイヤーの中じゃ、けっこうな時間をLAに割いてたとは思う。

 ただ、亜衣菜のプレイ時間が比じゃなかったんだ。

 

 そうやって、一緒に俺が作ったご飯を食べたり、一緒に寝ることもあったけど、同じ家で暮らしてるのに、確実に俺たちはすれ違っていった。


 あの時、もっと向き合っていれば。

 俺の思いを伝えていれば。


 今考えれば彼氏として、出来たことはあったはずなのに。

 俺は時折顔を出す亜衣菜の可愛さに、何も言えないまま。

 俺が耐えれば亜衣菜が笑ってくれる、そんな勘違いを抱えたまま。


 足元から少しずつ、積み重ねてきた関係にひびが入ってきてるって、気づいていたはずなのに、俺は目を背け続けたんだ。



 そして俺の中で決定的だった日は、俺と亜衣菜の2回目の交際記念日前日だった。

 夏休みは結局デートらしいデートもしないままだったから、その日くらいは一緒にいられると思ってたっけな。

 もちろん文化祭の日に付き合った俺たちだから、その日も大学の文化祭初日だったんだけど。


「明日さ、後輩たちがメインで屋台回してくれるからけっこうゆっくりできそうなんだ。1日ゆっくり文化祭回らない?」


 後輩たちには悪いと思いつつも、思い切って俺は亜衣菜にそう聞いたんだ。


「うーん、何だかんだ文化祭は毎年同じだからなー」


 だが、亜衣菜の答えはこうだった。

 家でログインしていたい、そう言ってるのと何も変わらない答え。


「そっか、まぁたしかに毎年同じったら同じか」


 その答えに俺は愛想笑いしかできなかった。


 サークルにも何も入っていない亜衣菜は、準備も何もないから。

 祭りの準備をして、当日を迎える俺と感覚が違ったのはしょうがないだろう。


 でも、それが俺にはショックだった。

 その日が何月何日かは、あえて言わなかった。

 言えば亜衣菜も、気づいたかもしれない。


 でも、その日の意味に亜衣菜が気づく様子はなく。

 亜衣菜にとって、リアルの日々よりもLAでの日々が優先されてたのは、その答えから十分すぎるほどに明白だったから。

 

「じゃあ、サークルの奴らと回ったりするね」

「うんっ、楽しんでおいでっ」


 明日は記念日だろ! って、怒る気にもなれなかったあたりで、俺と亜衣菜の関係も、俺の心も、もうどこか壊れてたのかもな。


 誕生日とかクリスマスはさすがに亜衣菜も時間を割いてくれたけど、今までだったら1日デートだったのが、大学3年の時は夜だけって感じで、一緒に過ごす短くなった。

 だから年明けすぐにやってくる俺の誕生日1月3日は、いつもなら前日に帰省から戻ってきて亜衣菜と過ごしてたんだけど、この年は高校時代の集まりがあるからって嘘ついて、初めて一緒に過ごさなかった。

 数年ぶりに俺の誕生日を祝えて家族や真実が嬉しそうにしてくれたことに、かえって胸が痛んだけど。



 そしてそのまま日々は過ぎ、何とか後期は亜衣菜も単位を取り終えて、ホッとした春休み。


 その日は唐突に訪れた。


「りんりんさ、ちょっとお話しよ?」

「うん、どうしたの?」


 それは俺のバイト終わりで、帰宅して間もない頃。


 いつもならLAにログインしている亜衣菜から、話そうって言われたのは、いつぶりだったろうか。

 でもその日の亜衣菜はログインしていなかったんだ。


 亜衣菜の表情が真剣だったから、俺は変に緊張したの覚えてるな。


「ごめんね」

「え?」

「色んな子から、言われてたんだ」

「え、何を?」

「りんりん、ずっと元気ないよって」

「あ……」


 たしかにLA開始前までと比べたら、亜衣菜と大学で一緒にいることはめっきり減っていた。周囲から色々言われることがあっても、講義が違うからとかって俺は言い続けて、表面上いつも通りに過ごしていたはずなのに。


「……あたしが気づかなきゃいけないことだったよね、それ」

「別に、俺は元気だよ?」


 そう言って俺は笑ったけど、うまく笑えたかは、ちょっとわかんなかった。


「……りんりんは、優しすぎるよ」

「え?」

「あたしは、いつももらってばっかりだったね」

「え? どうしたの?」

「今までありがとうね。もう十分だよ。りんりんは、自分の幸せを見つけてね」


 最後に見せた亜衣菜の表情は、笑顔だった。


 それは俺が好きだったはずの笑顔で。

 俺が何よりも守りたかったはずの笑顔なのに。


 その笑顔から紡がれた終わりの言葉は、俺の乾いて壊れた心に、すっと入ってきた気がした。

 俺との終わりを告げた後、亜衣菜は色々と思い出とか、感謝を言っていた気がするけど、その時は茫然としてしまって、全然入ってこないまま。


 そして。


「じゃあ、ありがとね。ばいばい」


 それが、俺と亜衣菜の終わりの言葉。


 その言葉を聞いた俺は、何も言えないまま。

 嗚咽するでもなく、俺の頬を静かに伝っていく涙。


 その涙が、悲しみの涙だったのか、安堵の涙だったのか。

 それは今でも分からない。


 立ち尽くしたままの俺の横を、いつの間にか荷物をまとめていた亜衣菜が通り過ぎていった。

 帰宅した時から違和感があったけど、亜衣菜の私物が、もうどこにもなかったのに気付いたのは、この時だ。


 そして去って行く亜衣菜へ、俺は振り返ることもできないまま。


 俺と亜衣菜の時間は、完全に終わりを迎えたのだった。






 まさか、またこの日のこと思い出すなんてな。

 だいと付き合ってから全然思い出さなくなってたけど、亜衣菜と別れてからの俺はほんと抜け殻みたいだった。

 何を気にする必要もなく、楽になったはずなのに。俺は俺と亜衣菜を知る全てから逃げるようになり、むしろ付き合ってた頃以上にLAやったりもしてたっけな。

 まぁ、だいとはそこで出会ったわけだけど。


「こんな感じ」

「うん……」

「えっ!? どうしたっ!?」


 亜衣菜との別れに至った話を終えると、何故かだいが泣いていた。

 涙の理由は分からないが、とりあえず慰めねばと俺はだいを抱き寄せて、頭を撫でてやることにする。


 あ、あれだよな? これ俺が泣かせたカウント入らないよな!?

 内心ちょっと焦ってるのは秘密な。


「なんでだいが泣いてんだよ?」

「……なんか、悲しくなっちゃって」

「え?」

「もし私がゼロやんの立場だったらとか、亜衣菜さんの立場だったらって思ったら、悲しくて」

「いや、だいはだいだろ……?」

「そうだけど……すごい仲良かったはずなのに、終わる時ってそんな風になっちゃうんだね……」

「まぁ、それも運命だったんだろ」

「亜衣菜さん、きっと後悔したんだろうね」

「……さぁな」


 亜衣菜の気持ちなんて分からないよ、って言いたいけど、久しぶりに再会した日、今度は亜衣菜から「好き」と言われて、亜衣菜も後悔してたんだろうなとは俺も思った。

 俺だって、だいと出会うまで、別れてからの日々を後悔することはあったし。


 ……でもそうか、だいと出会えて、俺はちゃんと前に進めたのか。

 ほんと……こいつには感謝だなぁ。


 じゃあ、亜衣菜は……。


 俺の胸に顔を当てて泣くだいを慰めつつ、そんなことを考える。


 俺はだいの頭を撫で続けたまま、しばしの間、俺たちは何も話さなかった。


 そして涙が止まったのか、そっと俺から離れただいは、俺の目を見ながらこう言ってきた。


「ゼロやんはさ、別れてからも亜衣菜さんのこと好きだったの?」

「はいっ!?」


 え、何がどうなったらその質問になんの!?


「だって、経緯はどうあれ、フラれた側なわけなんだし。亜衣菜さんから言われなかったら、ずっとそばにいるつもりだったでしょ?」

「……いや、それは言いたくないんだけど……」

「言いたくないって、答えてるじゃない」


 こ、こいつ!?

 

 俺の言葉に少しだけ、寂しそうな笑みを浮かべるだい。


「……今は?」

「今はって、懐かしいとは思うけどさ、もう好きって思うことはないよ。俺にはだいがいるんだから」

「ほんとに?」

「いや、疑うなって……」

「でも、これ捨ててなかったわけだし……」

「いや、だからね? それはごめんしか言えないけど、ほんとに捨てようと思ってたんだって」


 そう言ってため息をつく俺。

 いやまぁね、俺が悪いんだけどさ?


「俺にとってはもう全部過去のことだから。たしかに過去は変わらないけど、過去に囚われることはないよ。俺はお前と進んでくって、決めたから」


 俺の言葉を聞いてか、真剣な表情に変わっていくだい。


 たしかにね、別れてからずっと亜衣菜のことを忘れられてなかったのは事実なんだけど……そんな俺の心を動かしたのは、他ならぬお前だいなんだぞ?

 って、恥ずかしくて言えないけど……。


「うん、わかった。話してくれてありがとね」

「うん、でもなんか、話したら逆にすっきりしたとこあるかも」

「そっか。うん、でも……私には何でも言ってね?」

「え?」

「それで、これからもっと、スカイタワーとか、東京タワーとか、色んなとこに一緒にいこ」

「お、おう」

「私もLAは大切だけど、それよりもゼロやんとの時間を大切にしたいから」


 その言葉を聞いて、俺は思わず笑ってしまった。

 

 どう考えてもそれ、俺の記憶への嫉妬じゃねぇか。

 可愛い奴め。


 笑う俺に対して、だいは不思議そうな顔を向けてきたけど。


「張り合う必要はないんだぞ?」

「べ、別にそういう意味じゃないし……」


 俺が再び頭をぽんとしてやると、だいは照れたようにそっぽを向いてしまった。


 でも、張り合う必要がないと思うのはほんと。

 今の俺は、あの頃よりも思ったことが言えると思うから。

 

「だいはだいのままでいてくれればいいよ」


 俺にとってこいつの隣は、やっぱ落ち着くからさ。


「明日はちゃんと話す。俺にとって大事なのはだいだって、伝えてくるから」

「うん。じゃあ遅くなっちゃったけど、21時まで時間ないし、急いでご飯作り直すねって……あっ、お醤油……」

「ああ、うん。買って来るよ」

「あ、ありがと」


 俺の過去がつまった段ボールをそのままに、俺はスマホと財布だけを持って家を出る。


 あれがだいに見つかった時はすごい焦ったけど……何だろうか。

 話をする中で改めてあの頃を振り返って、だいに聞いてもらって、だいの表情を見れて、逆によかったかもしれない。


 胸の内が、話す前よりもスッキリしているのだ。

 きっとこれが、俺が前に進めている証、なんだろうな。


 もうあの頃には戻らない。

 今の俺にはだいがいる。

 だいとともに、歩んでいくと決めたから。


 夜空を見ると、多くはないが僅かだけど星たちが見える。

 この空の下に亜衣菜もいて、同じ空を見ているかもしれないけど。


 想うことはもう違うのだ。


 明日は、ちゃんと言う。

 もしあいつが立ち止まったままなんだとしたら、またちゃんと歩き出せるように。


 それがどんなにあいつを傷つけて、泣かせることになっても。

 

 そう心に決めて、俺は夜道を一人歩くのだった。





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以下作者の声です。

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本作スピンオフシリーズである『オフ会から始まるワンダフルデイズ~Side Stories~』。3作目となる〈Yuuki〉がこそっとスタートしました。

 お時間あるときに、興味がお有りの方はそちらも読んでいただければ幸いです!

 更新は亀の如く。

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