第111話 正月じゃないんだけど
もうミーティングの空気を失った俺とだいは、部員たちに着替えてくるよう指示を出した。
全員が楽しそうに更衣室へ向かい出す。
その背中を見送りながら、俺は一つ忘れていたことを思い出した。
「はぎ……珠梨亜。お前はちょっと残れ」
「え?」
「え? じゃねーよ。えじゃ」
「あ、はい……」
全員が立ち止まり、一度振り返る。
だが俺が呼び留めた意味を察した赤城が「行こうぜ」って言ってくれたおかげで、再びみんなが動き出す。やっぱこういう時は頼りになるなぁ。
なんだか遊びみたいな空気になってしまったが、俺は教師でこいつらは生徒。
注意すべきことはしなきゃいけないのだ。
俺の前に背中を丸めてやってくる萩原。
だいは、何も言わず隣にいてくれるみたいだな。
「なんで残されたかは分かってるな?」
「はい……遅刻してしまいまして申し訳ございません」
さすがにこういう時は敬語になるか。
この辺は常識合ってよかった。
「ほんとだよ。なんで遅刻した?」
「い、いやぁ……昨日遅くまで狩りを……」
「だろうと思ったわ」
「面目ない……」
「ゲームをすんなとは言わねぇけど、優先順位を考えろよ? しかもこんな暑い中、寝不足で部活やったら倒れるリスクや怪我のリスクも上がる。あ……鈴奈と明香里の引退に水差したいわけじゃねーだろ?」
「ごもっともです……」
「大会まであとちょっとなんだ。チームの一員の自覚持って気を付けろよ?」
「は、はい……ごめんなさい……」
しょんぼりした顔を見せる萩原。
だがそんな顔されても関係ない。
チームスポーツである以上、遅刻は全体に大きな影響を与えかねないのだから。
ま、今は反省してるみたいだし、今日はこのくらいで勘弁してやるか。
しかしやはり、名前呼びはまだ慣れない……。
「そういえば珠梨亜さん最近見ないけど、どこで狩りをしてたの?」
「え? どういう意味ですか?」
「あっ」
「……お前今日墓穴掘り過ぎてもう地面穴だらけなんじゃないか……?」
気が緩んでたんだろうな。
たしかに以前
でも萩原はそうではない。萩原にとっての里見先生と〈Daikon〉は一致してないのだ。
でも、さらっとお前もうちの部員を名前呼びかーい。
よく覚えてんな……!
「あ、ううん。何でもないわ!」
「……最近見ない……狩り……LA……倫ちゃん……〈Zero〉……」
もうおせーよ。
だいの言った言葉から、萩原の推測が始まる。
「里見先生って〈Daikon〉さんだったんですか……?」
「え、な、何のことかしら……」
「うわ、嘘下手!」
「同感だ」
こいつあれだな、1回緩むともうダメなタイプなんだな。
里見先生がゲーマーだという情報はまだ市原しか知らなかったのになー。
「そうだよ。合同の監督だったのは奇跡的な偶然だけど、こいつが〈Daikon〉だよ」
「……うん、そうなの」
「えっ! すごっ!? こんな美人ゲーマーほんとに存在するの!? ってか、そんな奇跡ってあります……?」
「あったんだからしょうがねぇだろ」
「うわぁ……なるほど、だからもう付き合ったってわけなんですね……」
「あ、あはは……」
自分の発言を後悔するように愛想笑いを浮かべるだいだが、全然何も隠せてないからな、それ。
「私、
「あ、そうなの?」
「うん。ちょっと粘着されちゃって……」
「え?」
「スタートした時は31サーバーで、もぶくんが01サーバーに来れるよう手配してくれたんだけど、最近もぶくんが絡んでくることが増えて」
「あいつか……」
会ったことないけど、俺の〈Mobkun〉へのヘイトは高い。
亜衣菜のコラムのときのメッセージはまだしも、ジャックに嫌な思いをさせたやつだしな。
SNSでの知り合いって言ってたから直接会ったことはないんだろうけど、やっぱゲーム内とはいえ教え子が知らないおっさんに絡まれてるのは、腹立たしい。
「01サーバーには友達と一緒に行ったんだけど、その子も同じように粘着されて、ちょっと怖いから、その子と一緒にとりあえずどこでもいいからって鯖移転したんだー」
「そうだったのか」
「うん。だから今は07サーバーにいるよ」
「ほほう」
「移ったばっかで、とりあえずギルド入ったらそこの活動が金曜だったみたいで、それで昨日は、夜更かしすることになっちゃったんだ……」
「まぁ、入ったばっかだと色々途中抜けとかはしにくいもんな」
「う、うん……」
「リアルの話をギルドに伝えろとは言わないけど、無理なときは無理ってちゃんと言うんだぞ?」
「うん、気を付ける」
「ん、じゃあお前も着替えてこい」
「はーい」
ひょんなことから萩原のLA生活の話を聞いてしまったが、しかしもぶくんか……。
また亜衣菜に言ってもらうしかないかなー。
俺と萩原の関係を伝えるわけにもいかないから、こういう時は同じギルドにいる知り合い頼みだ。
「ネットストーカーとか、怖いわね」
「そうだなぁ……」
「どんなに強いプレイヤーでも、結局は人間性がないとね」
「全くだ」
顔が見えないMMOでも、BOTを除きプレイヤーキャラ全てに中の人がいるのだ。
ゲームとはいえ、MMOには人間関係がある。
ここらへんは、プレイするなら意識すべきことの一つだからな!
そして、生徒たちを帰宅させ、ユニフォームからジャージに着替えた俺はだいの案内で月見ヶ丘高校の数学科準備室にやってきていた。
初めてこの学校に来た時は険悪な感じになっていたので校内に入ることもなかったが、今とあの時は状況が全然違う。
今日は俺がだいにいれてもらったコーヒーを飲む番となっていた。
クーラーの効いた部屋なので、ホットコーヒーな。
しかし、机多いなぁ。さすが進学校、数学科だけで何人いるんだ……?
でもちらほらと鞄置いてある机多いし、土曜でもけっこうな人数が出勤してんだなー。
今は俺とだいしかこの部屋にいないけど。
ちなみにだいも今はユニフォームから着替えて、普段の出勤時の姿になっているぞ。
でも髪は束ねたままなのがちょっと嬉しい。
「月曜日からあの子たちにからかわれると思うと、ちょっと憂鬱だわ……」
「自分から言ったくせにかー?」
「は? 元はと言えば、あなたが生徒の管理できてなかったからでしょ?」
「す、すみません……」
怖い! 怖いって! だいさんガチ睨みじゃないっすか!
「というか、正直私は今怒ってるわよ?」
「え?」
「もっと女の子の気持ち、分かるようにならないとダメよ」
「え、えーと……」
「市原さんの頭撫でたでしょ」
「あ……はい」
「ああいうのはダメ」
「す、すみません……」
コーヒーをふぅふぅしながら飲みつつ、じとーっと俺を睨み続けるだい。
それはそれで可愛いんだけど、視線に殺気が混じってるような気がするのは、気のせいでしょうか?
妹が泣き虫だったから、俺はよくああやってあやしてたから、そのくせでやってしまったのだが……。
これは封印だな。
「まったく……。名前呼ぶだけでもデレデレしてたし」
「してねーよ!」
「さらっと呼びなさいよ、倫」
「え……?」
え、今、何て……?
え!?
えええええええええええ!?
今、俺の名前、呼んだ、よね?
俺は驚きのあまり瞬きすら忘れてだいを凝視する。
だいは、そっぽを向いてしまったけど。
「……私も名前がいい」
「……はい?」
「ちょっといいなって、私だって思ったし……」
「お、あ、お……」
脳がフリーズ。
というか、何こいつ可愛いんですけど!?!?!?
え、まさか、さっきの時に嫉妬!? 焼きもち焼いてたってやつ!?
待て待て待て待て待て!!
それはずるい! ずるいって!!!
ここお前の職場なのに、その甘々スイッチいれるのはダメだって!?!?!?
「何よ」
「あ、い、いえ……えっと」
覚悟決めろ!
彼女を名前で呼ぶなんて、今までもやってきただろ!!
「な……」
だいの名前が菜月なのは知ってる。
でもその名を口にしようとした瞬間、市原の時とは違う感覚で俺の言葉が止まった。
かーっと顔が赤くなるのと同時に、何か不思議なものがこみ上げてくる。
だいは、〈Daikon〉の愛称は、俺にとって7年前から呼び続けた呼び方だから。
まぁリアルのだいは〈Daikon〉と見た目どころか性別すら違うから、だいと〈Daikon〉が別物なのは分かってる。
でも、そうか。
俺はこいつの彼氏で、こいつは俺の彼女。
〈Zero〉と〈Daikon〉の関係よりも、もっと進んだところに俺らはいるんだよな。
俺の名前呼びを心待ちにしてるのか、だいはコーヒーカップに口をつけたまま、上目遣いでこちらを見ている。
その可愛らしい姿をしている里見菜月が、俺の彼女なのだ。
だいって呼ぶことへの名残惜しさはあるが、でもこれは俺たちの関係をさらに前に進める一つにもなるだろう。
俺は覚悟を決めて、口を開いた。
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以下
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MMORPGなので、BOTは一定数存在して、非公認ながらRMTのサイトも存在しています。
このへんはイタチごっこですよね。
お知らせ(再掲)
本編とは別にお送りしている『オフ会から始まるワンダフルデイズ〜Side Stories〜』も更新されています。現在はepisode〈Airi〉をお送りしています。
気になる方はそちらも是非お読みいただけると嬉しいです!
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