第36話 昨日の敵は今日の友。というか昨日も今日も友だけど

 ゆったりとしたフォームで、投球モーションに入るだい。


 って、うわ。すご!


 打席に入って正面に立って改めて気づいた。

 ボールをリリースする少し前、胸を張った姿勢になった瞬間、胸元に明らかに連なった山がそびえているのがわかるではありませんか!


 余計な――眼福な――部分に気をとられた俺は、初球を見事に見逃した。

 明らかに市原より速いストレートが、ど真ん中に決まる。

 そのコースに、本能に負けてよそ見してしまった自分を後悔する。

 完全に、今のは絶好球だった。


 いやまぁ視界も絶好だったんだけどね!!


 だが、速いだけなら、なんとかなるだろう。

 学生の頃、これよりも速いピッチャーはいたし、俺はそいつらからもヒット打ってたんだからな。


 さぁ2球目こい!


 先ほどと同じように、美しい円を描いた右腕から放たれたボールを、打つ!

 ズバァン! といい音がしたのは、俺の後方からだった。


「マジ空振りじゃーん」

「倫ちゃんがんばれー」


 抜群の制球力で外角低めに決められたストレートは、正直ヒットにできるか分からないコースだった。

 くそ、コントロールもいいのか。赤城の言う通り本気で空振りした。ちょっと恥ずかしい。


 さぁ2球で追い込まれてしまったぞ。

 セオリーで考えれば、次は高めのボール球か、ストライクゾーンから逃げるようにボール球になるライズかドロップで三振を狙うだろう。

 うん、次は打つ気に見せて見送りだな。


 三度美しいフォームから放たれたボールは、予想通り高めのボール球だった。

 よし、と俺が思うのもまるで予想通りかのように、だいは一切表情を崩さない。

 次は、なんだ……なんだ!?


「はい、ワンナウトー」

「倫ちゃんがんばれー」


 くそ!

 結局何が来るか分からないまま放たれたドロップボールに、俺は見事に三振を喫した。

 本気で悔しいなこれ。だいがちょっと笑ってるのも、むかつくな!

 くそう、次は打つ!!


 二打席目、初球だいが放ったボールを。

 カキィン!!

 と美しい音色を伴わせて弾き返す。


 ふ、見たか!

 俺が打ち気になっていると思ったのだろう、空振りを狙うために投げたであろうドロップボールを、俺は読んでいた。

 ボールが落ちてくるところに綺麗にバットを出し、ジャストミートのセンター前ヒットだ。

 熱くなってると見せても、頭は冷静なのだよ!


「おー、ナイバッチー」

「さすが倫ちゃん!」


 いや、しかしギリギリの勝負だった。今の初球の読みが外れたら、かなり不利だったし。

 でもとりあえず1本打てば、俺の名誉も保たれただろう!

 俺が少し余裕な表情を浮かべていると、マウンド上のだいは明らかに悔しそうだった。

 決してそれを顔に出しているわけではないのだが、なんとなく分かる。


 俺は虎の尾を踏んでしまったのかもしれない。


「1勝1敗かー」

「倫ちゃんがんばれー」


 市原のやつ他に言うことねぇのかよ、と俺が思っているうちにだいはまた投球フォームに入っている。

 まぁ、たぶんここはストレート、かな?


 ズバァン!

 うっそ。

 先ほどよりも、少し球速が上がった気がする真ん中低めのストレートに、俺は空振りをする。

 ちらっとキャッチャーの佐々岡さんに目をやると、左手を少し痛がっていた。

 おそらく、普段投げる以上に、本気で投げたんだろう……。

 恐ろしいやつである。


 2球目。

 ズバァン!

 うお、インコースこえー!

 手も出せずに見送る俺。一瞬当てられるかと思うほどのストレートの迫力に、俺は一歩のけぞってしまった。


 だがびびったことを顔に出すほど、俺も馬鹿ではない!

 さぁ、追い込まれましたよっと、という風に余裕を見せる。

 きっと今回は、3球勝負! ストレートだろう!!


 そして運命の3球目。

 きた! 低めのストレート!

 ん、低めのストレー……ト? 

 あ!! あーーーーー!!!


 パァン!


 立ち上がった佐々岡さんは、見事に浮き上がったボールライズボールをキャッチする。

 俺は自分の胸元から首の高さまでスイングの軌道をあげながら、テンプレートな空振りを喫したのである。


「あのライズすげーな」

「そーですねー。お化けライズだー」


 最後の三振を取ったとき、だいのやつはっきりと口元で「よし!」と言っていた。

 くそ……この俺が2三振だと……悔しい……!


 バッターボックスから引き上げる俺に駆け寄る生徒は市原くらいで、他のやつらは全員マウンドから戻ってくるだいのほうに行ってしまった。

 あれだな、あの見た目で、スポーツもすごかったら、そりゃ憧れの女性になるよな。

 うーん、完敗!


「倫ちゃんおつかれさまー。里見先生すごかったのに、ヒット打つなんてすごいやっ」

「あー、ありがとな。でも完敗だよ」


 市原よ、本心で言ってくれているのだろうが、今の俺にはその笑顔が痛いよ。

 今度勝負するときは、あのストレート打ってやる。

 俺は密かに、そう決意するのだった。


 ……ライズ? ライズは無理です。諦めます。



 その後だいをノッカーとして守備練習を中心に進め、俺の指示の下バント処理や盗塁処理などの連携プレーを一通り終えた第2回星見台&月見ヶ丘の合同練習は、だいの人気急上昇という結果を伴って、終了するのだった。


 あ、結局市原との勝負してねーや。




「お前、あんなボール投げれんのかよ」

「別に、中高ピッチャーやってればあれくらい投げれるわよ」

「いやいや、ブランクあるのに現役以上のボールとか冗談だろ!」


 練習後、生徒たちは帰し終えた俺は、社会科準備室にだいを招き入れて一緒にコーヒーを飲んでいた。

 職員室だと他の先生もいるし、社会科の同僚の先生たちは基本的に土日に部活で出てくることがないので、休日ならこの部屋は俺しか来ることがない。

 一目を気にせず会話するにはうってつけの場所なのだ。

 独身の俺がこんな美人な先生と話してるだけで、明日には噂にされることは明白だからな。

 教師っておしゃべりだから、簡単に予想がつくってもんだ。


「でも、まさか打たれるとは思わなかったわ」

「うわ、男相手にそんなこと言う?」

「球種を読むとか卑怯よ」

「いや、それ基本だろ!」

「というか、1打席目の初球、見てたのかしら?」

「え」

「……殺すわよ」

「だ、だいさん目がマジですって……!」


 こえーーーーーーーーーー!!!

 だってしょうがないじゃん、そこに山があったら登るっていうじゃん!

 山があったら眺めちゃうでしょ!


「でも、今日はいい練習になったわ」


 俺が淹れたコーヒーをふーふーしながら冷ましつつ、そう言ってくれるだい。

 言葉も嬉しいが、それ以上にその冷ます仕草がちょっと可愛くて、見とれてしまったのは秘密だ。


「みんな、いい顔してた。ゼロやんの作る雰囲気のおかげよ」

「そうか?」

「ええ。私は真面目にやることが正しいと思ってたけど、今の子たちにはある程度のびのびさせることも大事だって、学んだわ」

「あー、たしかに時代は変わった気はするなぁ」


 俺が中高生の頃は、スパルタが基本だったが、今の時代はそれだとなかなか生徒がついてこない気がしている。

 部活推薦とか、超強豪校とかならまた話は違うのだろうが、初心者も混ざっているようなチームであれしろこれしろという指導だと、ついてこられない生徒はどうしても出てきてしまうと思う。

 特に多感な女子高生の扱いはデリケートだし、真面目すぎると、ついてくる子とそうでない子で、人間関係が分裂してしまうリスクがある。

 この辺は俺も教師になってから、学んだことだ。


「でも、だいにはだいの関わり方があるだろうし、無理に俺に合わせる必要はないぞ?」

「そう、かしら」

「そういうのは、勝手に生徒が読み取ってくれるって」

「……悔しいけど勉強になったわ」

「それはどうも。俺らはブレないようにやって、いいことしたら褒めて、悪いことしたら叱っとけば、あとは勝手に成長してくれるよ」

「そうね、今なら分かる気がするわ」

「また勝負しようぜ」

「次は全部三振にしてやるわよ」

「次は2本ヒットにしてやるさ!」


 3本とは、言わない俺の悲しさよ。


 だが改めて、月見ヶ丘の顧問がこいつでよかったと思う。

 ものすごい美人で嬉しいってのもあるけど、それ以上に話してて、なんか落ち着くのだ。だいと一緒なら、試合も勝てる気がする。

 やっぱり、7年来のフレンドは伊達じゃないな。


 コーヒーを飲み終えた後、だいの着替えを待った俺は、なんとなく流れのまま最寄り駅まで一緒に歩き、送るかどうかの話もないままに自然に阿佐ヶ谷駅まで一緒に電車に乗り、俺はだいを家まで送ってから、帰宅したのだった。

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