第35話 俺VS友

「アップ終わったー」

「おう、じゃあ今日は最初バッティングからいこう」

「OK,ハーフハーフバッティングから?」

「ああ。15球2セット回したら、フリーフリーバッティング3打席」

「りょーかい。ネット出すぞー」


 地獄のようなキャッチボールから解放された俺は、やっとアップを終えてくれた生徒たちに嬉々として次の指示を出した。

 ハーフバッティングは、マウンドとバッターボックスの距離を3分の2くらいの位置からゆるいボールを投げてバッターに打たせる練習だ。

 しっかり引き付けてミートする、バッティングの基本だからな。


「倫ちゃんも打つー?」

「あー、やろうかな」

「さ、里見先生もやりましょう!」

「え!?」


 2か所に分けてバッティング練習をさせ、一通り部員たちが打ち終えたところで、最後にピッチャーをやっていた市原と真田さんが守備の手伝いに入っていた俺たちに声をかけてきた。

 俺としては時間のある土曜の練習ではよくあることなのだが、だいのやつは、なんかびっくりしてるな。

 っと、よく見ると声かけた真田さん、ちょっと緊張してる。

 なるほど、こういうのは初めてなんだろうな。


 助けを請うようにだいが俺の方を見てきたが、俺は打つ気満々だ。


「生徒が言うんだし、お手本見せてあげましょう、里見先生?」

「……覚えておきなさいよ」


 恨みがましそうに上目遣いで睨まれたが、そんなことは気にしない。

 これは生徒からの提案だから、乗ってやったほうが雰囲気がよくなるからな!

 さぁ、だいのお手並み拝見だ。


 市原側に俺、真田さん側にだいが立つ。お、だいの奴左打か。

 俺が右打、だいが左打のため正面に向き合う形になるのは少し恥ずかしいが、まぁこればかりはしょうがない。


 ソフトボールは塁間が短いため、内野ゴロでも相手の1ミスでセーフになる可能性があることから、圧倒的に左バッターが有利とされている。

 月見ヶ丘の生徒たちは半数以上が左打だし、うちも赤城や柴田、左利きの萩原が左打だし初心者スタートの黒澤も左打だから半数以上だな。

 というか、右打が市原と木本、佐々岡さんしかいないのか。


「いっくよー」

「おう」


 市原が投げてきたゆるいボールを、せいっ!

 見事なクリーンヒットで打ち返す俺。

 レフトの辺りに浅めに守っていた萩原は軽々と打球に頭上を越され、だらだらと追いかけて行った。


「ナイバッチー」

「里見先生もいきますね!」

「いいわよ」


 真田さんが投げた緩やかなボールを、だいが、カキィン! と心地よい音で打ち返す。

 なんだ、普通にできるじゃねえか。

 俺と違って飛距離はないが、美しい逆方向へのライナーだった。

 バッティングフォームも無駄がないし、こいつ、現役時代相当うまかったんじゃないだろうか。


「ナイスバッティン!」


 真田さんの言葉に、ちょっとだけだいの表情に余裕が戻った。

 その表情を見ていた俺の視線に気づいたら、すぐにいつもの真面目そうな顔に戻ってしまったけど。

 え、こいつ、俺と張り合うのか?


「いっくよー」

「おう!」


 ならば、見せてやろう!

 俺とて現役時代はクリーンナップを務めた男なのだからな!



 10球ほどのバッティング練習を経て、お互いほとんどがヒット性の当たりだった。

 というか、だいは全部ヒット性だった。

 俺は全てフルスイングでいったため、2球ほど打ち損じてしまったので、なんか悔しい。


「里見先生普通に上手いじゃないですか」

「北条先生も、さすが男性ですね。すごい飛距離」


 年甲斐もなくムキになった俺たちは、漫画やアニメだったら今視線の間にバチバチッとした線が引かれていたに違いない。

 だいのやつ、けっこう負けず嫌いなんだな……。


「二人ともすげーな。いい見本なったよ!」

「次の練習はー?」


 そんな俺たちのそばに寄ってきた赤城の言葉に、俺たちは我に返る。

 次の練習を聞いてきた市原にフリーバッティングと伝え、俺たちの勝負は次のステージへと移るのだった。


 フリーバッティングは実戦形式で行うバッティング練習だが、市原・赤城バッテリーが月見ヶ丘の5人と勝負し、続いて真田・佐々岡バッテリーとうちの6人を勝負させることしにた。

 だが、ある程度予測はついていたが、さすが市原。真田さんに1本ヒットを打たれただけで、他の部員は全員抑えてしまった。

 対して真田さんは赤城に2本、柴田に2本、黒澤・市原に1本ヒットを打たれる形となる。

 まぁうちの奴らはしょっちゅう市原と勝負してるから、この結果は妥当だろうな。

 真田さんも悪いピッチャーではないが、きっとピッチャーは高校からなのだろう。

 市原とでは球速を比べるのがかわいそうだった。


「優子には悪いけど、これじゃ星見台の子たちがあまり練習にならないわね。次は私が投げるわ。愛花まなか、そのままキャッチャーお願い」

「は、はい!」

「おー、里見先生ピッチャーできるんだ」

「うちの顧問とは違うね~」

「う、うるせえ!」


 フリーバッティングを眺めていた俺とだいだったが、うちの奴らのバッティングを見て何を思ったのか、佐々岡さんに指示を出すと自らがマウンドに向かって行った。

 だいの奴、ピッチャーできるのか、いいな……。


 俺も大学時代の経験で、それっぽいピッチングはできるが、野球と違ってソフトボールのウィンドミルという投げ方は難しく、真田さんの方がマシというボールしか俺には投げられない。

 だいがどんなピッチングをするのかとその投球練習を見ていると。


「え?」

「うっそ」

「はやー」


 俺、赤城、市原がそのボールに揃って驚きの声をあげる。


「いいわよ」

「よ、よろしくおねがいします!」


 赤城のやつ、ビビッて敬語なってやがる。

 いや、しかし、これは速い。

 たぶん、市原より少し速い。


 引き締まったスタイルの身体が生み出す躍動感あるフォーム。

 美しい回転の末、右腕から放たれるボール。

 そしてその直後に聞こえるパァン! というキャッチャーが捕球する音。


 開いた口が塞がらないって、こういうときのための言葉だな……。


 そして、赤城は見事にファーストフライ・ピッチャーゴロ・三振で帰ってきた。

 初対決とはいえ、これは赤城としては屈辱だろう。


「すっげー! 最後のライズとか低めだと思ったのにめっちゃ上がってきた!」


 あ、悔しいどころか、嬉しそうだった。


「次、どうぞ」

「よ、よろしくおねがいしまーす」


 次は黒澤が打席に向かう。

 ちなみに赤城が言ったライズとはライズボール。野球にはない、ソフトボール特有の変化球だ。

 ボールに強い回転を与えることで、下から上に浮かび上がるボールで、捉えられればかなり飛ばすことができるが、三振したときはなんでそんな高めのボール振ったの? となる、脅威の変化球である。


 人間の感覚として、当然物は上から下に落ちる。理系の先生に言わせれば、万有引力とか、そういう法則があるのはもはや自明の理。

 だからこそ人間の目は、ボールの軌道は上から下にいくように予測する。

 だが、ライズボールは落ちない。むしろ上がる。

 だからこそ、来ると思ったはずのところにボールが来ず、むしろ自分に近づけば近づくほど上昇してくるボールにバットを当てようとして、空振りする頃には高めのボール球に手を出したように見えるのである。


 俺も、大学時代このボールだけは全然打てなかった。


「いやー、ドロップボールもあるんだねー」


 三振3回で戻ってきた黒澤は、諦め顔だった。

 ドロップはライズとは逆に打者の手元でブレーキがかかったように急激に落ちるボールだが、これも来るはずのところにボールが来ず、空振りしやすいボールの一つだ。


 いや、だい、すげえな。


 その後、市原が三振2回にサードゴロ、柴田がショートゴロ・セカンドゴロ・三振、木本と萩原が三振3回で戻ってくる。

 わーお、うちの奴ら全滅じゃん。


 いつの間にか、うちの部員たちも全員がだいに羨望の眼差しを向けている。

 くそ、このままだと俺の立ち位置が……!


「北条先生も打たれますか?」


 みやびな微笑みを浮かべ、だいが俺を打席に誘う。

 生徒たちは「いけいけー」などと言っているが、俺には分かる。

 これはだいからの挑戦状だ。

 優雅な微笑みと見せかけて、あれは俺をしてやるという勧告だ。


 だが、逃げるわけにはいかない!


「それじゃ、よろしくお願いしますね」


 ヘルメをかぶり、右打席に立つ。


 俺にも男の矜持がある。

 この勝負、負けられねぇえ!

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