一曲目「闇姫様奇譚」10話

 少しほろ酔い気味のビィーアが、再び竪琴を手にしてステージに立った。

 「……それにしても、こんなに良い曲ができたというのに、ご領主様たちにお聞かせできないのが残念だ」

 「そうだね。でもさ、もし向こうの世界に戻れたらちゃんと歌ってよね。本当は一緒に行ってみんなの反応が見たいんだけど……」

 「亜乃さん、そりゃちょっとリスキーじゃね?」

 「だよねー。もし戻ってこられなかったら困るしね。このお店のこともあるし……」

  そんなたわいもないことを喋っているうちに、ビィーアが竪琴を爪弾き始めた。俺は、歌い始めた彼と亜乃さんを交互に見つめた。

 亜乃さんは歌うビィーアをじっと見つめていた。今度は涙も見せなかったけど、その見つめ方はちょっと異様だった。まるで、ピアノの発表会か何かで我が子が失敗しないかと心配している親のよう……とでもいえば分かるだろうか。

 と、ビィーアの声が変な感じに響いた。ちょっとくぐもったような、変なエフェクトをかけたような。慌ててビィーアの方に目を戻すと、彼の周囲にもやのようなものがふわふわと漂っている。もやはどんどん濃くなっていく。まるでステージでスモークを焚いたようだ。俺は思わず手を伸ばした。

「ビ、ビィーアさんっ!」

「待ってゆうちゃん、動かないで!」

 亜乃さんが俺を制した。

「もしかしたら……もしかするよ、これ」

 ビィーアの声はどんどん遠くなっていく。その姿ももやに隠れ、輪郭すらおぼつかなくなっていき……。

「消えた……」

「やったぁ~、大成功!」

 亜乃さんがガッツポーズを決めた。

「成功って……」

「ビィーアさん、元の世界に戻ったんだよ、きっと!」

 ちょっと待て亜乃さん、どうやって彼を帰したんだ?


 跡形もなく消えたビィーア。俺は今までの出来事を改めて思い返していた。亜乃さんは黙ってコーヒーを淹れると、俺の前に差し出した。

「亜乃さん、さっき大成功って言ったよね。ビィーアさんが帰れるって最初から分かっていたのか?」

「そうじゃないよ。ただ、もしかしたらと思って試してみたの」

「試す? 何をさ」

 俺にはさっぱり訳が分からない。

「まず、そのステージに描いたシジルが原因で彼がこの世界に召喚された。ってことは、これが彼のいた世界との扉みたいなものになるんじゃないかと思ったの」

 ああ、それなら分かる。

「それから、ビィーアさんが祈りをささげていた理由。彼は歌が作れずに悩んでいたでしょ。悩みを解消するためにこっちの世界に呼ばれたみたいな感じ?」

「で、その悩みが解決できたから帰る……とか?」

「そう。そのために彼にはあえてそこで歌ってもらったの。彼は間違いなく、できた歌を領主様たちに聴いてもらいたいと望んでいたからね」

 ……ってことは、つまり?

「もちろん、アタシもよく分からないんだけど。彼の悩み――つまり、いい歌ができないってのを解決させて、そのシジルの上で歌ってみたらどうだろうって考えたの。実を言うと、まさか本当に戻れるとは思わなかったけどさ」

 ……えーっと。


 ビィーアさんが悩んでこっちに飛ばされる

 ↓

 がんばって歌を作る

 ↓

 できた歌をシジルの上で歌う

 ↓

 異世界に戻る ← 今ここ


「……ってこと?」

「うん、たぶん歌の力と、シジルの力がいいタイミングで調和したら、もしかして異世界への扉が開くんじゃないかって思ったんだ」

 ……よくそんなこと考えつくな、この人は!

「そっか……ならいいんだけど。でも、亜乃さんってば強引すぎるよ! 行き当たりばったりでそんなことやらかすなんてさ。帰るなら帰るでビィーアさんと、ちゃんとお別れしないと、彼だって今頃びっくりしているよ」

「ごめんね。どうしても試してみたくって……」

 ……そうなんだよな、亜乃さんってアイデアを次々思いつくだけじゃなく、それをどんどん実現させる行動力も半端ないんだ。思い立ったら即実行。おかげで周囲は振り回されることもしばしばなんだけどさ。

「でも、ちゃんと戻れたかな? 戻れているといいんだけど」

「戻っているよ、きっと。本人も戻りたかったでしょうし」

 ちょっとだけ、亜乃さんが何かを懐かしむような顔をした。

「そうか。そうだよね、亜乃さんだって七年間もあちこち渡り歩いて、でも結局は日本に戻ってきたもんなぁ」

「…………」

 亜乃さんは、何も言わなかった。

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