一曲目「闇姫様奇譚」2話

 亜乃さんは、倒れている男に近づくと頬を軽く叩き、声を掛けた。

 最初は英語、そしてフランス語やドイツ語、スペイン語など、片言レベルではあるが彼女が知っているらしい諸外国語を使い、片っ端から話しかけた。結局最後は「ちょっと、アンタ! 大丈夫か?」と日本語に戻ったが。

 「……うん、大丈夫だ。生きているわ。ゆうちゃん、悪いけどピッチャーに水入れて、グラスと一緒に持ってきてくれる?」

 「え、ああ、はい」

 俺は言われるまま、ピッチャーとグラスを持って、彼女に近づいた。

 男が軽く呻き、二度三度と瞬きをした。わー、きれいな青い眼だなー。まさに金髪碧眼だ。

 「あ、気が付いたね」

 亜乃さんがそう言った途端、男はがばっと飛び起き、腰の辺りに手をやりながら身構えた。が、すぐに「あれっ?」という顔をして、腰元を探る動きをする。

 「ああ、これ? 悪いね、外しちゃった」

 いつの間にか、亜乃さんの手には、小刀が鞘ごと握られていた。どうやらこの男の持ち物らしい。

 「き、貴様ぁ! それを返せ!」

 え、嘘だろ……? 男は実に流暢な日本語で、亜乃さんに詰め寄った。

 「あらら、日本語通じた? まぁまぁ、落ち着いてよ。危害は加えないから。まぁ、水でも飲んで落ち着きなさいよ」

 「何だと……?」

 まだ疑わしげな目をする男に、亜乃さんはのんびりとした口調で話しかける。

 「ほら、毒なんて入っていないから。ゆうちゃん、それこっちにちょうだい」

 そういうと、俺が手渡したグラスにピッチャーの水を注ぎ、男の目の前でくいっと飲み干した。

 「……ね?」

 男は素直にピッチャーを受け取ると、そのままじかに口をつけてピッチャーの水を一気に飲み干した。

 「……かたじけない。それにしてもここはどこだ? そして貴公らは?」

 「妙に日本語が上手いね。アタシは亜乃。この店の店主だよ」

 「……あーのー?」

 「何だそりゃ。変なところで伸ばすな」

 「……」

 「で、おたくは? 見たところ、この国の人じゃないね」

 「名乗る前に、聞いてもよいか? ここはどこなのだ?」

 「えーと……、日本という国で、ここは牝馬亭というカフェ。といっても、今のアンタに理解できるとは思えない。でしょ?」

 「……うむ、その通りだ。まず、日本という国など聞いたことがない。それにいかにも異国の人と思われる貴公らが、わが国の言葉を話せるのも不思議としか言いようがないのだが」

 俺は亜乃さんと顔を見合わせた。

 ……それって、もしかして? 何ですか、その「異世界あるある」なシチュエーションはっ!?

 「まぁ、とりあえず意思の疎通ができるのはありがたいわ。一応言っておくけど、ウチらにはアンタを傷つける意図はないから安心してくんない?」

 亜乃さんは、のんびりした口調で男に話しかけた。男も、まだ完全に警戒を解いたわけではなく、名乗ろうかどうか迷っている様子だった。

 「名乗らないなら、あれ、返さないよぉ~」

 亜乃さんが、ニヤニヤ笑いながら、俺の方を見た。俺は、男の竪琴を指さした。ついさっき、彼の横に転がっていたのを拾い上げてカウンターに置いてあったのだ。彼はぐぬぬと呻いたが、観念したように口を開いた。

 「……私の名前は、ビィーア。諸国を巡る吟遊詩人だ」

 男はそう名乗った。……こりゃまた、ベタ過ぎる設定じゃないか? 

 「まぁ、そこに座りなさいよ、ビィーアさん。で、気を失っていたようだけど、誰かに追われていたのかな? あ、ゆうちゃん、悪いけどワインを一杯、いや、アタシも飲むかな? 二杯持ってきて。どうよ、気付けに一杯飲みなさい」

 亜乃さんはビィーアと名乗る男に椅子をすすめ、自分はそのはす向かいに座った。俺はデカンタに業務用赤ワインをどばどばと注ぎ、ゴブレットを二つ差し出した。どうせ亜乃さんは一杯じゃ済まないだろうからな。亜乃さんは慣れた手つきでワインを注ぐと、それを彼にすすめ、自分もくいっとあおった。毒など入っていないという意思表示だろう。

 ビィーアも、しばし戸惑っていたようだが意を決したようにワインを口にした。

 「うむ、旨い……澄んだ味わいだ」

 「ふふ、良かった。口に合ったようだね」

 「ずいぶんと良い酒だ。おりもないし、酸っぱくもない。それに、この杯も見事なガラス細工だな。このようなものが供せるとは、貴公らは名のある豪族か?」

 「まさか。ただの飲食店だよ。ワインだって業務用の安いやつだし。でも、恐らくはアンタのいる世界とは大きく異なるんだと思う。……ちょっと見てちょうだい」

 亜乃さんは立ち上がると壁に向かい、店内の灯りのスイッチを切った。当然だが、店の中は真っ暗になる。

 「うおっ!?」

 ビィーアが驚いた声を上げた途端、再びスイッチを入れる。店内は再び灯りがついた。

 「こ、これは……魔術か?」

 「ううん、簡単に言うと人が作ったカラクリ。他にもね、こういうのがあるの」

 今度は有線のスイッチを入れた。店内には亜乃さん好みのバロック音楽が流れる。

 「な、何なのだこれは……?」

 ビィーアは周りを見回して音の出所を探っているようだった。なるほど、これはまさに、異世界から召喚されてきたとしか思えない。こりゃアレだな、自動車を見たら「うぉおおお、鉄のイノシシだー!」と叫ぶんだろうな。

 「驚いた? 恐らくアンタからすると摩訶不思議な世界だろうけど、これがアタシらの住んでいる世界なの。で、これはアタシらの考えだけどね、アンタはどこか別の世界から、何らかの理由でこっちの世界に飛ばされたんだと思う。アタシらからするとアンタは異世界の住人なのね。そしてアンタからすると、逆にアタシらが異世界の住人というわけ」

 それって、いっつも俺が読んでいる異世界ファンタジー小説じゃんか。ただ、アレは日本人の主人公が異世界に転生したり、飛ばされたり、召喚されたりするワケだが。

 とすれば、これは言うなれば異世界から現代日本への「逆召喚」ってことか? 

 でも、何で? そして誰だよ、こんなの呼んだヤツは?

 「……心当たりがないわけでもない」

 ビィーアはそう呟いた。

 何だろう、向こうだとトラック…じゃなくて馬車にでもはねられて死んだのかな?

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