第3話 滝壺

 なんだってあんなところに人がいるんだ!見たところ防護服だって着ていない!

 「おい、メルク!どこに行こうとしてんだよ!」

 カイは滝壺に踏み込もうとする僕の腕を握り、力強く引き止める。

 「はやくあの人を助けないと!まだ助かるかもしれないだろ!」

 「落ち着け!ブロモルの葉っぱを見てみろって!お前が教えてくれたんだろ。ここの水は危険だって」

 その言葉も、はやる僕の足を引き止めた。川沿いにぽつぽつと生えている背の低い木、これはブロモルの木だ。この木の葉っぱは水質によって色が変化する変わった特徴を持っている。飲み水として問題ないようなものであれば緑色のままだが、酸性であれば黄色、塩基性であれば青色に変化する。そしていま、目の前にある葉っぱは、秋の紅葉のように黄色や赤色に変色している。

 それは、この川が強い酸を持っていることを示していた。


 「あれは諦めろ。俺たちの防護服じゃあそこまで辿り着くまえにボロボロになっちまって終わりだ。それに、水の流れもあるはずだ。あそこまで着いたとしても、人を抱えたままじゃお前まで一緒に流されちまうのがオチだ」

 こういうときのカイは妙に落ち着いている。水の中に入ってしまったら防護服が壊れてしまい自分の身体ごと溶かされる。人を抱えたまま泳ぎきるのも至難。滝壺を越えてしまったら、川の流れはもっと早くなるだろう――

 だけどまだ滝壺にいるってことは、あの人があそこに落ちてからあまり時間が経っていなんじゃないか?

 まだ、諦めるのは早いかもしれない。

 でも早くしないとあの人が危ない。

 考えるんだ、あの人を助ける方法を。


 「――カイ、ここらへんにって生えてなかった?」

 「オオナベカズラって、あのクサくてでっかい植物か?途中で見たじゃねーか。それがどうしたっていうんだよ」

 オオナベカズラは幅3メートル以上にもなる巨大な食虫植物だ。その名の通り、鍋状の大きな捕虫袋を実らせ、内部には大量の消化液を溜めている。消化液は油のようにドロドロとした強烈な匂いを放つ液体で、その匂いで昆虫をおびき寄せて、消化液に入った者をゆっくりと溶かし、捕食する。

 「僕のリュックの中いっぱいにオオナベカズラの消化液を汲んできてくれないか」

 「――メルクさん……マジで言ってる……?」

 「はやくっ!」

 リュックに入っていた鉄パイプなどの遺産を地面に放り出し、空になったリュックを投げつけるようにカイへ受け渡した。僕の焦りを見てか、カイは背負っていた遺産を置いて、転がるようにオオナベカズラのもとへ走っていった。

 やることは他にもあった。僕は自分の腰に引っ掛けていたワイヤーとカイが置いていったワイヤーを結びあわせ、一本の長いワイヤーにする。その片方を川辺の適当な木に縛り付け、もう片方は自分の腰に巻きつける。木に結びつけたワイヤーは体重をかけてもほどけない。よし、しっかり結ばっている。


 ほどなくして、カイが息を切らして戻ってきた。

 「汲んできたぜ。ちょっと漏れちまってるけど」

 リュックの中には薄紫色をした十分な量の消化液が入っていた。そこにブロモルの葉を1枚落とす。肩で息をするカイは隣でその様子をじっと覗き込んでいた。

 やはり、そうだ。液面に浮かぶブロモルの葉は、その身をみるみる青色に変えていく。

 それを確認すると、僕はリュックを両手で持ち上げ、頭から勢いよく消化液をかぶった。

 「おわっ!いきなりなにやってんだよ!」

 全身がドロドロだ。防護服を着ているせいか匂いは気にならないが、虫の死骸のようなものがところどころに浮いている。防護幕ヴェールも汚れてしまって前が見えづらい。

 でもこれで準備は整ったはずだ。

 「僕はあの人を助けに行く。カイは僕が合図したらワイヤーを引っ張ってくれ」

 「よ、よくわかんねーけど……わかった!」

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