第9話


 夕焼けが沈み、空が青く染まる頃。

 乾いた夜風が吹いている。

 瀬戸口はペルラとの待ち合わせに、パブのテラスで珈琲を飲んでいた。隣のきららは小さなスケッチブックにペンを走らせ、道行く人を即座にデッサンしている。

「引くほど上手いな」

 瀬戸口は覗き込んで、眉間に皺を寄せる。

「でもただの模写です。こんな時間にカフェインとって大丈夫ですか?」

「今から話し合いだろ。寝たら撃たれかねん」

「大事な話ですからね。撃たせませんけど」

 きららはスケッチブックに目線を落としたままそう言って、がりがりと別の何かを描き始めた。

「何描いて……ああ」

 瀬戸口は再び覗こうとして、顔を上げたきららとぶつかるように目が合った。そしてスケッチブックに描かれた鍵盤を見て、顔を逸らす。

「びっくりするほどしつこいよな」

「何も言ってませんが?」

 きららが紙上の鍵盤を指で打っていると、向こうの方から海野が足早にやってきた。

「こんばんは。予約したお店に案内しますので」

 にこりと笑って挨拶するなり、こちらを急かすように方向を示した。


 海野はいつもより口数少なく夜道を進んでいく。

 上品な電灯がぽつぽつ並んでいる。静かな街角を何度か曲がり、着いたのは古びた四階建てのビル。

 エレベーターに乗ると、海野はきららを手でこまねき、二人はおもむろに額をくっつけた。

「送ります」

「……了解」

 瀬戸口はその少年少女の様子をただ見下ろし、頭上のクエスチョンマークのどれから聞こうかと思考を一時停止させた。

「一体何を」

 言いかけた瞬間、エレベーターが四階について扉を開く。

 お店入り口付近には何人か人がいて、混んでいるようだった。海野は店員に名前を伝えて、三人は個室へ通される。


 大きな窓だな、と瀬戸口は部屋に入った時思った。

 何故かペルラはおらず、見知らぬ先客が二人いる。だが二人とも顔も上げなければ何も言わない。個室と言っても簡易の薄い壁だ。外からはガヤガヤと他の客の声が聞こえてくる。この部屋だけが静かだ。

 入る部屋を間違ったのかと海野を見ると、目線で何かを促される。どうやら窓を見ろと言っているようだ。

 きららが大きな窓を開けて、外へ身を乗り出している。

「ちょっと」

 振り返ってしっ! というジェスチャー。そして手を伸ばされる。瀬戸口は困惑したままきららの手を取った。ぐっと馬鹿強い力で引っ張られ、窓の外へ。

 海野が口の動きだけで、『後で合流します』と言った。


 窓の外は隣接したビルの屋根だ。冷たい空気が頬を撫でる。

 きららは瀬戸口の手を握ったまま足早に先を急ぐ。屋根は緩やかな傾斜になっており、暗い足元がおぼつかない。

「きらら、どういうこと」

「海野からペルラの指示を受けとりました。案内します」

「屋根、ここ屋根なんだけど。おい嘘だろ」

 屋根は終わり、先に見えるのは更に隣のビルの屋上、まで数メートルの空間。

「いやいやいや、駄目だって、そんなスパイ映画みたいなのは、俺研究員だから、こういうアグレッシブな、あの一旦降りよう?」

 きららが振り返って、自分の体に頑丈そうな伸縮性のあるロープを固定して、それを瀬戸口にも固定した。

「安全装置オーケー。追跡者が気づかないうちに渡ります、渡らせます」

 そう言うや否や瀬戸口を掴み持ち上げ、投げた。


 向こうのビルに瀬戸口が着地したのを確認して、きららは助走をつけて軽やかに飛んできた。

「立ってください」

「無茶だお前、なんてことすんの」

「早く、あそこから中に入ります」

「ビルの側面! 無理!」

 きららが指差したのは、足場のない窓。ビルの壁にはパイプしかなく、伝い歩けるところは見当たらない。

「まさかその錆びかけてるパイプ……」

「行きましょう」

「何かで見たことあるぞ……俺は成人男性なりに体重あるしきらら一体自分が何キロあると思って」

「その重い馬力でさっき飛べたんだから大丈夫です。指一本でも瀬戸口ごと支えれますよ」

「そういう問題じゃなくて」


 瀬戸口は生きた心地がしなかった。軋むパイプを綱渡りして、何とか窓から暗い廊下へ降りた時は、自分の鼓動が煩すぎて身体ごと脈打ってるみたいだった。


 暗い廊下を静かに進む。小声できららに説明を求めた。

「そもそも追跡者って何、犯人の仲間か?」

「警察です」

「ええ!? 警察に依頼されてやってるのに、警察に追われるなんてそんな理不尽なことある?」

「瀬戸口、声が大きい。どうやら全部監視されてるみたいで」

 廊下を曲がると、階段横にウルリカが待機していた。こちらに気付き、近づいてすんすんと匂いを嗅ぐ。ふさふさの尻尾を振って、こっちだと言わんばかりに階段を上っていく。黄金の毛並みが目の前にちらついた。


 辿り着いた扉の前で、ウルリカが振り返って小さな声でアオンと吠えた。瀬戸口がその扉を開ける。

 中はバーカウンターといくつかのソファー席がある店だった。奥のソファー席にペルラと海野が座っている。こちらに気づいて、ペルラが軽く手を上げた。

「こんばんは、遅かったわね」

「やあ。しかし案内の仕方が随分乱暴じゃないか? 道のりが野蛮すぎる」

 瀬戸口はソファーに座りながらそう文句を言い、きょとんとした表情でペルラの隣に座っている海野をじっと見た。

「僕は別ルートで来ました。瀬戸口さん達の方が早いと思ったのですが」

「瀬戸口は高いところがあまり得意ではないようです」

「きらら黙りなさい。というかあんなの得意な人いないだろ」

「いい運動になったんじゃない?」

「とんでもない。それよりペルラ、これはどういう状況なんだ? 何で警察が俺達を見張るんだよ」

 ペルラは座り直して、瀬戸口を一瞥した。

「その前に、その隠し持ってるもの出してもらいましょうか」

「すぐばれるのな、流石」

 瀬戸口は笑いながら、コートから例の拳銃を取り出して机の上に置いた。ごとりと鈍い音がする。

「人が自分の体のどこに意識を集中させているか、それがいつもと違うかなんて簡単にわかることでしょう。それでこれは? 登録していない武器は違反よ」

「作った。彫刻部分は知り合いの職人に依頼した。今回の事件用だよ、解除の式を撃ち込める。被害者は二人だけじゃないようだし、あの羽織の魔術でどうにかなってる者はこれですぐほどける」

 ペルラは拳銃を手に取り、模様を見下ろした。

「我ながらいい案だと思うんだが」

「一見すると助けようとしているように見えないわね」

「ポーズなんて重要じゃない、見つけ次第即解くことが大事だろ。これから向かう先にまだ何人いるか……」

「そうね。瀬戸口が送ってきたデータが正しいとすれば、この事件の規模はかなり大きい」

 そう言うペルラは、いつも通りの表情。その瞳の揺らぎ、瞳孔すらもコントロール下にあるのだろう。新しい武器を手に入れて、それが即仕草に出てしまう自分とは鍛練の分量が雲泥の差だ。

 だけど薄皮一枚捲ったところにある不穏な影は隠しようもない。瀬戸口もそういった印象を察知することは不得意ではない。

「……人の背中を見ていると、時々わかってしまうよな。今こいつ疲れてるとか何か問題を抱えてるとか。姿勢のよい、筋肉に支えられた背筋だとしても、何だかそういうのが現れてしまう」

「今ね、間挟みで」

「海野、黙って。いらないお節介ね」

 関係のあることだろ、と瀬戸口は続ける。

「これは俺の憶測でしかないが……。まさか大事な人間から依頼された被害者は救出するが、犯人はのさばらせておけなんて理不尽なことないよな? あの発表会での騒動が、君の向けた銃口が、一種のパフォーマンスなんてことは。大元を叩かないと人形は生産され続けるぞ」

「そう、人の絶望はなくならないしね」

「いや、それを悪用するやつが悪いだろ。……上層部に人形の愛用者でもいたか?」

 瀬戸口は冗談混じりにそう言ったが、ペルラは表情を動かさずに静かに言葉を溢した。

「……私は、あの店を検挙し、あそこの三十人を救出するだけで精一杯だった。上からのクレームを無視し続けられるほどの立場は持ち合わせていない」

「現場のエースなのに?」

「そんなものよ。他の血気盛んな部下達は不満を募らせているし。私としてもあれを見てみぬふりはしたくない。組織ってこういう時厄介よね。自由に動ける手足が自由でないのだから……」

 ペルラはふうと息を吐いて、わかりやすく身体の力を抜き、ソファーにもたれ掛かった。

「瀬戸口、何で外部のあなたを巻き込んだかもうわかったでしょう?」

「今ね」

「あなたが犯人を逮捕さぜるを得ない状況を作ってくれれば、私は動ける」

「重荷だな」

「そうは見えないわ」

 ペルラは拳銃を瀬戸口へ返し、不敵に笑う。

「作戦をたてましょう」

 四人は地図や資料を机の上に広げ見て、話し合った。


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