第8話
翌日のからりと晴れた朝。
瀬戸口ときららは、電車に揺られて目的地の駅前に出た。
バスターミナルの地図看板を前に、隣のきららを一瞥する。リュックを背負って、今日はパーカーにズボンとラフな格好をしていた。そして一切口出ししないという澄ました顔をしている。
「変に強情なんだから」
「瀬戸口に似たのかもしれません」
今日の調査は、羽織の製造元を調べることだ。
ラボで元に戻った二人を送り、部屋に帰ってきたら羽織は忽然と消えていた。施錠はしていたはず。
それで情報を辿り、そういった商品を作っている界隈に目星をつけた。ここから更にバスで一時間強。
「……あれ、これまだ電車でも行けたんじゃ……」
瀬戸口は地図看板を睨みながら、手元の情報と照らし合わせた。何やら遠回りに迂回するバスの路線を目で追って、背後の改札を振り返って見る。もう切符は通してしまった。どこで降りても同料金の特急切符だ。
隣のきららが大げさにあくびしながら、昼は何食べましょうねとか何とか言っている。
「まぁ着けば同じだろ」
なかなか来ないバスに煙草を三本消費し、来たと思えば田舎の割に満員な人混みに揉まれて辟易した。
バス停のアナウンスが流れる。満員の乗客は何故か一人も喋らず、車内は奇妙に静かだ。まるで脱け殻のような人影。バスが止まっても、誰一人として降りない。皆どこへ向かっているのだろう。
降りた場所は閑散としていて、人っ子一人いない。前後左右に広がる田畑と遥か向こうにぽつりぽつりと点在する家屋。
瀬戸口は手元の地図を確かめて、しかめっ面をした。隣のきららはしゃがんで道端のタンポポを眺めている。
どうやら道路挟んで向かいのバス停から乗り換えた先に、その織物を家業にしている集落があるようだ。道路を渡るにも車さえまばらで、容易にバス停へ。
時刻表と腕時計を交互に見て、大きくため息を吐いた。
「よし、二駅だし歩くぞ」
「大丈夫ですか?」
「待ってたら日が暮れる」
道路沿いに歩いていく。風が強い。しばらくすると住人とすれ違ったので、道を尋ねてみる。
「あ~、ここね。もう少し真っ直ぐ行ったところ、すぐだよ」
瀬戸口は住人の言葉に胸を撫で下ろし、礼を言って別れた。
歩けども歩けども永遠と風景が変わらず、それは足元を何度となく見て、動いていることを確かめたくなるほどだった。
ぽつねんと建つコンビニを見つけた時の安堵感は凄まじいもので、暖かく明るい店内、均一化され見慣れた商品棚、まるでセーブポイントのようだ。
瀬戸口は缶珈琲を、きららはホットミルクを飲んで、店前のベンチで休んだ。
見上げれば晴天の寒空が広がっている。風景は代わり映えしないが、時間は刻一刻と過ぎていく。
「のどかですねぇ」
「のんきだなあ。だいたいきららの方が協力に乗り気だったのに。被害者達を助けるんだろ?」
「それはそれ、これはこれ。この前みたいに、一人で危険なところに乗り込まれたらたまったもんじゃないですもん」
早く降参してください、と付け足して瀬戸口を睨み付ける。
「まぁもう少しらしいし」
その視線をかわして立ち上がり、体を伸ばした。
道はどこまでも続く。一つ目のバス停すら見当たらない。あれから誰も歩いているところを見かけない。
「どこがあと少しなんだ……」
「田舎の人が言う距離感は鵜呑みにしない方がいいですね」
やっと一つ目のバス停に着いた時には、先程待てないと思ったバスが来る時間だった。
「乗りますか?」
「乗る」
バスは一瞬で長い道程を走った。今度の車内は空っぽだ。
集落に辿り着いた。家々は静かに午後の微睡みに浸っている。
ぐるりと一周したが、それらしき店舗は門を閉ざしていた。どこかから機織りの音が聞こえてくる。
町の中央の丘に教会があり、入口横の厩舎には馬のマークが刻まれている。ちらりと覗くが、厩舎に馬は一頭もいなかった。
「工房を探すか……」
不審者ばりに町をさ迷ったが、住人とも出会わないし人の気配すら感じられない。手がかりはあっさり尽きてしまった。
「私が必要ですか?」
「きららはここからまだ探せるの?」
「ええ」
瀬戸口は大きくため息を吐くと、向き直ってごくごく小さな声で、頼む、と呟いた。
「お任せください」
きららはいかにも嬉しそうな表情で、瞳を黄色く輝かせて顔を上げた。
夕暮れに佇む小さな建物。橙色の柔らかい光が石畳の道に漏れている。小さい丸眼鏡をかけた初老の男が、布地と向き合っているのが硝子戸越しに見えた。
扉には、刺繍修復と書かれた小さな看板がかかっている。
インターホンは見当たらず、扉をノックした。開かれ招かれる。
「勝手に取り戻しただろ」
「ああ……君か」
初老の男が紡ぎ直していたのは、ついこの前瀬戸口がほどいた羽織だった。丁寧な手つきで何色にも見える糸を縫い、刺繍の柄を整えているようだ。
「買ったのは俺だ。それも商品のうちだと思うんだが」
「すまない。羽織が可哀想でね、いや君も最小限の綻びで解いている。我ら似た者同士なのではないか。完璧な魔術が表されたものは美しい。人間だって刹那、そのような美を表せる。だけど人間は移ろいゆく。真実を留めるにはあまりにも未熟な器だ。追求したくなるだろう? 切り取りたくなるだろう。この衣装はそれを手助けしているだけに過ぎない。道具が」
初老の男は布地を撫でながら、そう続けた。
「道具がどう使われようと、それは購入者に委ねられている。美を、感情を、情景を、絶望を。私はここで真実を追い求めるだけ」
初老の男はそう言い切ると、眼鏡を外し、切ないように笑った。
「返そうか? 確かにこれは君が買ったものの一部だな」
隣できららが、わけがわからない、といった困惑した表情を示していた。
「……返す代わりに教えてくれないか。それを最初に買っていった客のことだ」
「顧客情報は守らねばならない」
「あなたに良心というものは」
きららが言いかけるのを、瀬戸口が止める。
「交換しないか?」
「何とだね」
初老の男はおもむろに眼鏡をかけ直して尋ねた。瀬戸口は鞄から布地を一枚さらりと取り出す。
「これは……君が?」
「見よう見まねだけど」
布地に包まれていたのは拳銃だった。全体に紋様が刻まれている。
初老の男は拳銃を手に取りまじまじと見た。眼鏡の奥から覗く瞳は、爛々と輝いている。
そして躊躇のない動きで持ち変え、瀬戸口に向けて引き金を引いた。不発。
「それは人間に撃っても意味ないよ」
「そうみたいだ。へえ解除の式を込めて弾を具現化するの、よく考えたね。いい図式だ」
初老の男は拳銃に刻まれた紋様を惚れ惚れと見ながらそう言った。
そして瀬戸口の視線に気づいて、軽く咳払いをし、少し待ってくれと奥へ引っ込んだ。
「渡してしまって大丈夫なんですか」
隣のきららが小声でそう呟く。
「彼は仕組みにしか興味がないみたいだし、あれは解除しかできない武器だ。悪用できないだろ」
男が戻ってきて、ごそごそと大きな地図を広げた。
そこにひとつ判を押す。地図に土地が加わる。現実の場所を増やしたかのように、赤いインクが滲み染まった。
「これで勘弁してくれ」
初老の男はにやけた顔で拳銃を大事そうに抱え、地図を手渡した。
○
帰り道、きららが瀬戸口のスマホを指差しにこりと笑った。
「手がかりも見つかったし、早速同期を戻してもらいましょうか」
「あー、何だっけ」
「スマホの!同期!」
瀬戸口はわかったわかったとなだめながら、スマホの設定画面を開いた。
「あー、指が嫌がってるな~」
「指に意志はありません!」
「これプライベート筒抜けなんだもんなぁ……」
「そんな心配しなくても、今でも大体筒抜けです!」
瀬戸口は眉間に皺を寄せて、ものすごい時間をかけて同期設定を許可した。
「はい、入れるよ」
きららは喜びの表情を見せたかと思うと、急に力が抜けたように崩れ倒れた。慌ててそれを支える。
「あ? こっちは?」
スマホの中でアイコンがぴょこぴょこと動き回っている。
『ありがとうございます! 一旦体に戻りますね。あれ?』
スマホから、きららの困惑した声が聞こえてきた。
『戻れない……瀬戸口どうしましょう、体に戻れません』
段々その声色に焦りが重なる。どうやら久しぶりに移動して何かしらのバグが起きたようだった。きららの体は眠ったように脱力し、ぴったりと瞼を閉じている。
「バグかな。帰ってから直すか」
アイコンは無意味に画面中を慌てふためき右往左往していた。
瀬戸口はきららの体を背負って立ち上がる。
「ああ……迷惑かけてごめんなさい。でもこの身体を捨て置いてとは言えないのです。せめて、あ、バグが直るまで駅のコインロッカーにでも預けてもらいましょうか?」
「どう考えても不審者というかもはや犯人だろ、その行動。しょうがないからこのまま帰るよ。前も思ったけど見た目より重いんだよ、軽量化しないと」
「お、乙女になんてことを」
「乙女だったの」
「全身防弾仕様にしたのですから、そりゃ重いですよ」
スマホの中できららは控えめに憤慨した。
「……こういうのも、どこまでわざとなのか知らないけど」
「びっくりしていいですよ、全く予期していませんでした。瀬戸口にあえて世話させて人の心を育むとか何とかそんなことは私の中に組み込まれているのかもしれない、だけど現状は完全に予期していません。普通にバグです。困った」
瀬戸口はあきれ笑いしながら、バス停へと向かって歩く。
「まぁ何にせよ俺は俺の意志で一緒に帰るだけだ。持ちつ持たれつだし」
「瀬戸口、メールで口説く時はもう少し詩的な表現を控えた方がいいかもしれません」
「あっ置いて帰ろうかな」
「ごめんなさい嘘です」
二人は辿り着いたバス停の時刻を見て、待ち時間に絶望して嘆いた。
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