第7話


 人形は皆、同じ羽織を着ていた。緻密な模様が織り込まれている。

 着るものによって支配する。織り込まれた呪い。それは単純に羽織を脱がせても解けるものでもなく、冷たい微笑は変わらない。投げ出された肢体はつるりと滑らかで青白い。

 糸をほどくように、縫い目を辿る。向こうの意思が見えれば上出来だ。

「解けそうですか?」

 隣できららが心配そうに聞いた。

「時間はかかるけど、恐らく」



 何回朝日が昇っただろうか。小窓のブラインドカーテンから光がちらちらと入ってくる。

 ラボの書庫から引っ張り出してきた大量の本や資料が机の上に積み重なって、スクリーンには何度も書き直した解除の式が写し出されていた。かなり古い呪文や魔方陣を複雑に練り込んでいるらしい。形式上は解けているはず。未だ横たわる人形二体。

 瀬戸口は大きく息を吐き出す。先ほどきららが持ってきたパンや珈琲は、机の隅に追いやられていた。

「瀬戸口、一旦休んでください」

 きららはパソコン内のメインシステム内で、データを即座整理し、関連の情報を世界中から芋づる式に引き出して提示する。


 どこかに隠されているはずだ。世界地図上に示された類似の商品分布を見て、目眩がした。一体被害者は何人いるんだ。

「聞いていますか。少しは食べて、睡眠をとってください」

「わかってる。もう少し、きりのいいところまで」

「人間は飲まず食わず眠らずで動けるように出来ていません」

 喉がひきつる。言葉を発する余力がない。頭は妙に冴え、眠くはない。胃に何かいれることを体が拒否している。

 ラボのこの部屋はこんなに静かだったか、廊下を歩く同僚の声も、時計の秒針すらも、何も聞こえない。キーボードを打ち込み、某大学研究室の深層データに潜り込む。沈んで沈んで、最奥まで。

 遠くで何%低下、ときららの声。何のデータだ?と顔を上げる。スクリーンが消えて、真っ暗になった。

「きらら?」

 画面から応答はせず、後ろのソファーに座っていた少女の体が立ち上がる。

「もう駄目です」

「それは俺が決めることだろ」

 集中の糸がぶつりと切られてしまった瞬間、ずっしりと体の重みを感じた。きららは首を横に振って、水の入ったボトルを差し出し、仮眠しろとソファーを指差す。

 しぶしぶ水を一口飲むと、渇ききっていた喉が刺激されて身震いした。ふらふらと座り込み、横になる。頭がぐらぐらと揺れている。

「すぐ起こして」

「了解です。おやすみなさい」

 毛布を持ってきてかぶせられた。遠退く意識で、小さくメロディが流れているのが聞こえた。深く、目を閉じる。



 目が覚めたら、窓の外は真っ暗であった。体の節々が軋む、頭は少しすっきりした。

「おはよう、大丈夫ですか?」

 そう言って覗き込む少女の瞳は、いつも通り透き通っている。

「起こす気ないだろ」

「急速充電、休息充電~」

 きららはよくわからないことを言いながら、トレイに白湯を載せて持ってきた。体に水分が染み込み、不意に立ち上がる。

「トイレいってくる、というかシャワー借りてくるわ」

「それがいいと思います。あと、ペルラから着信が何度かありました」

「うーん、後で折り返すって伝えといて」

 瀬戸口はばたばたと部屋を出た。

 今日は何日だろうか。横目に二体の人形を捉え、焦る気持ちを押さえつける。


 色々とすっきりした頭で、洗いざらい出揃ったデータを組み合わせて、この頑な呪いを解く。もう解けているはずなのだ。

 最奥の研究データが示したのは、仮死状態で人形化された人間を生き返らせる最後のトリガーについて、記憶を感化させる音。

「そんなさぁ、最終的にドラマみたいな……ベタなことある?」

 瀬戸口は、封筒に入っていた依頼者の電話番号にかけた。しばらく呼び出し音が鳴る。出たのは、この子の母親だった。救出はしたものの、助かったといえる状況ではない。何とか上手く説明して、声をかけてくれと頼む。スマホをスピーカーにして声を流した。

 ピクッと瞼に反応があり、しばらくするとその瞳が開かれる。

「お母さん?」

 溢れ落ちる言葉と同時に、みるみる生気を取り戻す身体。

「ここはどこ、私謝らなきゃ」

「大丈夫、君はもう帰れるよ」


 同じやり方で、無事にもう一人の男児も目を覚ました。二人の引き渡しを警察に任せ、瀬戸口は解除の公式をまとめてペルラに送った。

 これで明日にはあの店は検挙され、あそこの三十人は助けられるだろう。だけど世界中に散らばった被害者は?

「人間なんて薄情な生き物だよ。どんだけ関わりたくないと避けても、目の前にいたら助けようとする。だけど普段、どれだけ自分の円の外にある悲劇を見過ごして生きているか」

 瀬戸口は今更眠くて仕方がなかった。あくびをおさえて、珈琲を流し込む。

「それも縁ってやつじゃないんですか。あなたが助けられそうだから、あなたの円の中に入ってきた。それならできることはしないと」

 きららはそう言って、首を傾げた。

「縁ね……」

 画面上に映し出された世界地図を見つめる。データ化され可視化された悲劇が問うてくる。



 後日、ラボに荷物がどさどさ届いた。だいたいはある部品だ。一番大きなものはレンタルしたプリンター。

 目を閉じていたきららが、顔を上げて興味深げに聞いた。

「それは何ですか」

「今にわかるよ。ほら、ダウンロード途中だろ」

 瀬戸口は荷物を運びながら、頭を指差して言う。

 先日思い付いて、ありとあらゆる魔術の式やこの前の解除の式をきららに学習させているところだった。

「瀬戸口がわかっていたら充分なのでは」

「俺にできることはきららにもできるようにしとかないと」

 がちゃがちゃと部品を机の上に出して広げ、組み立てていく。プリンターにデータを送って印刷を開始する。

「それもいいですが、いい加減スマホにも戻れるようにしてください」

「やだよ」

「じゃあ明日の調査、私は手助けしなくても大丈夫ですか」

「スマホの地図で充分だよ」

「……勝負しましょう。瀬戸口が負けたらスマホの同期を」

「はいはい」

 瀬戸口は組み立てに夢中になり、話し半分で答えていた。それを明日、後悔するとも思わずに。


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