第6話
しとしと小雨が振り続けている。
瀬戸口はひとり車を走らせていた。外はもうもうと雨粒が曇りはっきりとしない。
きららは出発寸前までついていくと言い張って聞かなかった。明確に命令だ、と言ってしまえば、AIシステムは逆らえない。だから普段、早々に命令はしない。お互い文句でも言い合いながら生活することも、ある程度なら楽しめる。
こういう時に、本来の関係性を自覚させられて憂鬱になる。所詮、機械の子。
今日の目的地は、手紙に記された某中華街の店。どう考えても危険そうだし、先日電源落ちで倒れていた姿が嫌な予感となって脳裏から離れなかった。
あれからペルラには捜査協力の承諾と情報提供をし、彼女ら警察も今日動いている。今も無線で繋がっている。だから、心配はいらないとは言い聞かせたのだが。
「せめてスマホの同期を戻してください。そこに乗っていきます」
それすら断った理由は、いまいち自分自身でもわからなかった。
山道を過ぎて、目的地に到着した。車から降り傘をさす。世界は灰色に煙っている。
昼間だというのに薄暗く、街へ入っていってもそれはあまり変わらい。ぼんやりとした赤い提灯の灯りが道の奥まで続き、店先から流れてくる癖の強い匂いが漂ってくる。時折店の奥から、よくわからない嬌声みたいなものが聞こえてきた。それは獣の呻き声にも思えた。
すれ違う人はほとんどおらず、いても皆目深く帽子などを被っている。瀬戸口は顔を晒してしまっている格好を反省し、せめてとマフラーで口元を隠した。
人気はないのに関わらず、痛いほどの視線は至るところから感じていた。店の奥、建物二階の窓カーテンの隙間、細い横道の暗がり。だが、Zのあの張り付くような視線には遠く及ばない。瀬戸口はコートの中でありったけの魔術をしこんできた短剣を握りしめた。
こういう場所で観光客のように地図を広げるのは流石によろしくないだろう、スマホも大概かもしれない。腕時計端末をちらりと見て、現在地を確認する。シンプルな地図となけなしの記憶に頼り辿って店を探す。曲がり角で黒猫とすれ違って気を取られているうちに、方角を見失いそうになった。オッドアイの黄色い瞳が朦朧としたもやに鋭く光る。
耳元のピアスから、そっちじゃない右だ、とペルラの声。結局、無線の誘導に従って歩いていく。
進むごとに道は入り組み、どんどん猥雑な街並みになっていく。ビルの非常階段を登って建物内に入り込んで裏口から抜けたかと思えば、地下への扉を潜り薄暗い闇市場を通り過ぎたりした。何を売っているか、視界にも入れたくない。行く末案じて福となるか否か、冷や汗を拭って進む。
「こっちで合ってんだろうな」
小声で確認する。合ってる、あと数メートル、とペルラの冷静な声。
狭い階段を登り再び地上へ出たら、それは円形の建物の中庭であった。いくつか扉が並んでいる。
指示通り、前方左奥の扉へ向かいノックした。反応はない。ドアノブをゆっくり回す。ぎぎと軋んだ音がして、扉が開いた。
円形、というものは魔方陣及び魔術の仕掛けに多様されるものだ。ぐらりと重い目眩に襲われ、視界が回る。
ハッと気づけば、瀬戸口は街の外側にいた。背後には松の木が並び、川が流れる音がする。道を挟んで前方には一軒の建物。辺りは闇に沈み、提灯の赤い灯火が浮かび上がっている。窓の奥も暗いようだ。
「どこか飛ばされたぞ」
無線に砂嵐が混じる。
「そうみたいね、でも目的地は目の前よ」
何台か黒い車が停められている。目を凝らすと、建物に沿って続く小さな路地の奥に大きな扉が見える。
瀬戸口は先程からコートのポケットの中で脈打つものを取り出した。彼女から送られてきた通行証はカード型で、今はその紋様と文字が反応し、どくどくと脈打っている。
建物正面の扉は固く閉ざされている。吸い込まれるように路地を行き、大きな扉の前まで来た。玄関灯がぱっとつく。同じ紋様が刻まれたところにカードをかざすと解錠した。
「いらっしゃい。何だ若いの、初めてかい」
板間の座敷は薄暗い。しわがれた声が、部屋の奥から聞こえる。左隅にひとつだけ行灯があって、橙色の光が滲んでいる。右奥に階段があるようだ。
「人の紹介でね。ちょっと煙草を買いに来たんだが」
「そうかそうか。兄さん何箱をお望みだ? うちは色々揃ってるよ」
「全部でどれぐらいあるの」
「三十種はあるね。選び放題だろ」
目が慣れてきたのか、行灯がひとつ明るくなったのは錯覚か、座敷の中が見渡せるようになった。
声の主は小柄な猫背の婆さんで、その背後に巨大な棚があり、中には煙草の箱がずらっと並んでいる。背表紙を見るに銘柄は見たことのないものばかり。
「一番新しいのは?」
瀬戸口の質問に、婆さんはヒュッっと息を飲み込むように妙な音をたてた。どうやら笑ったらしい。
「兄さん若いのに……そんな……」
婆さんはよたよたと立ち上がり、棚の端にあった梯子を登り始めた。何とも危なっかしい光景だ。一つの白い箱を探し出して、戻ってくる。
「よいしょ、これかね。今あるうちでは」
「ありがとう。あと……、黄箱もあるのか?」
婆さんは丸まって白い箱を膝の上に載せ、ひきつったような笑顔でいたが、瀬戸口の言葉を聞いた途端に目をひんむいた。口角を上げたまま、見開かれた目は血走り、作り物のようで何とも恐ろしい形相だ。
「あんた……同族を……」
そう言い残して、再びよたよたと棚へ向かう。
その時、後ろでガチャと扉が開く音がした。瀬戸口は身構える。
「ようバアサン、久しぶり。いつものあるか」
ずかずかと入ってきた大男はそう言って、瀬戸口の横にどしんと座った。
浅黒い肌にじゃらじゃらと金属のネックレスが光る。いかにもいかにもな大男の顔を一瞥してぎょっとした。耳が見当たらなかった。聞く耳持たない可能性がある。
「ああ、黄箱は今これ一つしかないね」
「順番だろ」
「ヌンさんお得意様だからねぇ、どうしたものか」
婆さんはこちらに戻りながら、ぶつぶつ言っている。
「先客かぁ? 見ない顔だな。ほんとに通行証あるんだろうな」
「じゃなきゃここに辿り着かないさ、紹介客だからねぇ、ヌンさん取り寄せでもいいかい?」
大男はしょうがないと言って、代わりに白箱を買った。そして、箱を受け取ると左側の階段へ進んでいく。どうやら箱は商品の札のようなものらしい。
「じゃあこれ二つね。お代はその通行証経由で請求するよ。そこの階段へ登った先だよ、帰りは裏口から。わかったね?」
新規顧客に飢えているらしい婆さんは、瀬戸口に箱を渡しながら手をぎゅっぎゅと握ってくる。皺深い手と闇の奥から覗くような小さい瞳。
「絶望が濃いほど美しい。きっと虜さ。またおいで」
階段の先に広がる光景を、瀬戸口はやりきれない気持ちで記憶に刻み込んだ。並ぶ人形達はどれも誰かの生命だ。今すぐ全部をどうにかできないことが腹立たしくて、泣きそうだった。
買った二体を梱包して運び出し、裏口から出た瞬間そこは例の広場だった。あっという間に来た道を戻り、車に乗り込む。後部座席に座らせた二人は、透明な笑みを固めたまま動かない。六歳ぐらいの女児と二歳ぐらいの男児。エンジンをかけ、即座ラボへ戻った。
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