第36話 岐路

 玄関に、登を異世界に連れて来た女——邦城くにしろ瀬帆せほが立っていた。異世界への門を管理し、異世界を司る超能力者。

 登は、連れ戻されることを実感した。

 この居心地のいい世界から、追い出されることへの恐怖が、全身を震わせた。

「……なぜだ? おまえたちは、ここに1週間いろと言った。まだこっちに来て3日しか経ってない……」

「申し訳ない。だが今すぐ、あなたを現世に戻さなければならなくなった」

「帰れ」

 登は怒鳴っていた。

「この世界は、あなたの世界じゃないの」

「帰りたくない……移住者が一人増えるだけだろ。社城の中で俺は聞いてるんだよ。巫女兵たちが留加人を移送する段取りをつけているところを。あれは、お前らが留加人たちをこの異世界に移送してるからだ。違うか?」


(前略)巫女兵たちが盛んに言い合っていた。

「第132グループ387名。無事に移送を完了しました」

「第133グループ403名は午前2時30分までに、移送する予定になっています。前線にいる第1連隊は潰滅寸前です。予定を繰り上げる必要があります」

「そこは、上に確認してきます。ちょっと待っててください」

 断片的に、そんな会話が聞こえて来た。(第25話「巫女兵の城」)


 瀬帆は目を据えていた。

「そうです。私は異世界の門を開け、留加人の非戦闘員を異世界へ避難させている。戦闘はあくまで時間稼ぎ。それはあなたの言う通り。でも、あなたは違う」

「なんでだ?」

「あなたは、虐殺者となる自分の未来を変えるために、この世界に来ただけの仮の人間。それに現世ではあなたの帰りを待っている人間もいます。その人の為にも……」

景子けいこか?」

吐き捨てた登の言葉には、あざけりが絡んでいた。

「母さんの代わりが、景子だというのか? あんなお節介せっかいなヤツが、母さんの代わりになれるもんか」

 瀬帆が、登の肩にそっと手を置いた。登は肩を払った。

「なれるはずがないんだ、俺を生んだのは母さんなんだ。そして俺に大切なことを教えてくれたのは母さんだけなんだ。今まで親父の知らなかった一面、家族の温かさ、大切さ、すべて……。この世界には母さんがいた。それだけでよかったんだ。それなのに、お前は、お前は」

 末尾では声がかすれていた。

「身勝手だろ。勝手に連れて来て、勝手に連れ帰そうとするなんて……」

 瀬帆は改めて、登の目を見据えた。

「私も両親を幼いころに失い、祖父に育てられた。両親を失ったあなたの気持ちは分かる。でも現世をそうやってないがしろにして、誰が幸せになるの?」

「留加人だけで、この素晴らしい世界を独り占めしたいだけだろ?」

「みんな、あなたの帰りを待っている。お父さんも……」

「親父は死んだんだ。だから、こっちの世界にいる。向こうの世界に戻ったところで、母さんも親父も誰もいない。そんなさびしい人生しかないんだよ。向こうには」

「生きてる……生きて、あなたの帰りを待っている」

「嘘はもういいんだ。俺はこの世界に残る。この世界で平和に生きる。それで、現世では虐殺者となるはずだった“出来損ないの男”は消えてなくなる。それでいいじゃないか。お前たちもそれで満足じゃないか……」

「とにかく来て。現世にいるお父さんに会わないと……」

 登の後ろで、リビングに繋がるドアが開いた。

 親父がゆっくりと玄関に向かって歩いてくる。

「もう、いいんだ」親父が瀬帆を見て、呟くように言った。そのまま登の横に立つと、登の頭をじっと見て、そっと肩に手を添えた。

「親父……」登は背の高い親父を見上げた。加齢で薄くなった、もみあげのすき間から傷んだ頭皮が見えた。登は目をみはった。

「どういうことなんだ?」

「瀬帆さん、ありがとう。でも、息子に嘘はつきたくない。息子にすべてを伝えて、息子に自分の意思で決断してもらいたい」

 瀬帆にそう宣言してから、親父はゆっくり登の方に向き直り、膝をかがめた。目線があのときと一緒の高さになった。

「あのとき、渡した勲章を今も持ってるか?」

「親父……まさか?」

「私は現世の初瀬真之だ」

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