第32話  鎧を脱げない者

 夕食後少しして、親父が帰って来た。

 十字台駅前で買って来たケーキ持参での帰宅だった。

 二階にある自分の部屋から、玄関に降りた。

「おかえり」

 親父は、意外そうに目を細めた。

「おう」

 親父の制服には、統合幕僚長バッジはついていなかった。この世界で生きている母の言う通りだ。

「どうしたんだよ」

 親父は靴を脱ぎながら、そう聞いてきた。

「いや……」

「おい、登。ケーキあるぞ」

 親父は菓子箱を差し出した。登はそれをとりあえず受け取った。この世界では親父も生きている。

「……ありがとう」

「母さんに、紅茶」

「わかった」

 そういう言い方を聞いて、やっぱり、親父は親父だとに落ちた。

 現世の親父は、いつもこうだった。

 親父は根っからの軍人気質で、「○○三尉は、○○小隊をもって、敵の左翼さよく掃討そうとうせよ」といった感じで話す。さっきも「母さんに紅茶を淹れるように言ってくれ」と言わずに「母さん、紅茶」と、必要最小限の言葉で済ましてしまう。

 おかげで、会話がとても味気あじけないものとなる。そんな自分の話が、他人にとって退屈であることは、本人にも自覚があったようだ。だから、家族と楽しい話をしたいと思った時は、いつもお菓子を手土産てみやげに、話題をこしらえようとする。

 この世界の親父も、その点変わっていなかった。

「うまいな、このケーキ。駅前の芙蓉ふよう屋の新製品だ。抹茶にクリームを練り込んであしらったもので……」

「確かに、うまい」結局、ケーキの情報しか話せていない、と登は思った。オチみたいなものがどこにもない。だから話題を変えることにした。

「親父、今の仕事どうなの? 補給司令官なんでしょ」

「ああ、そうだが」

 親父はきょとんとしていた。

 そんな顔されたら、こっちも困るだろと思いつつ、「補給司令官の仕事に誇りを持っているの?」と聞いた。現世では、3・11での後方支援の功績が認められたことを、親父は何よりの誇りとしていた。

 親父はうん、と頷いただけだった。何より、登の意図を計りかねていた。

「3・11の時、活躍したよね」

「あんまり、その話はするな。悲惨だった」

「わかった、ごめん」

 それから、親父はそそくさとトイレに立った。

「“家でもよろいが脱げない人” 」と母は、そんな寡黙かもくな背中を軽く茶化した。

 登は思わず笑ってしまった。

「母さん、それ言えてる」

 母はもういちど笑うと、紅茶を少し飲んだ。

 現世で、あんたは不向きな仕事を押し付けられることになるんだ、とこの世界の親父に教えてやったら、どういう顔をするんだろう。いや、あの軍人気質な親父は、結局、どんな命令でも受け入れるだろう。

 無意味な空想だ、と登は思い、ティーカップに口をつけた。

 紅茶の味が、ちゃんとした。

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