第31話 等身大の母

 自分の部屋の内装は、現世のものと同じだった。本棚に並んでいる本も好きなアイドルのグラビアだったり、漫画だったりする。現世の自分とこの世界の自分は、まったく同じ趣味嗜好を持っているらしい。

 鏡の中の自分に出会ったような、おかしな気分。

 登は、制服を脱いだ。

 拉致された時からずっと、学校の制服姿だった。だから、少しほっとした。ズボンのポケットに押し込んでいたスマホを取り出した時、スマホと一緒に赤い布切れが、ふわりと飛び出した。登は、あわてて床に落ちたそれを拾った。

 赤と白の布製の防衛記念章ぼうえいきねんしょう。制服の胸に付ける、小指の先ほどの小さな布製の勲章だ。親父おやじのこした形見モノ

 現世で、東京がミサイル攻撃を受けた後、突然親父は帰って来た。平日の昼間に私服で、リビングにいる親父。それだけで、登はすべてをさとった。

「クビになったのか?」

 親父はうなずいた。

「東京防衛の責任を問われてね。だが、私はもともと十字台補給司令官で終わるはずだった。現政権の国防大臣になった三宅さんが、私の仲の良い先輩だったから、幕僚長になれただけだ」

 リビングのテーブルの上に、その勲章が置かれていた。登はそれをちらりと見たが、すぐに自分の部屋へ行こうとした。

「登、来てくれ」

 登はそのまま行こうとした。

「登」

 そう呼ぶ声に、しかたなく登は親父のそばに行った。親父は登の手を取ると、その手のひらに勲章を置いた。

「これは私の誇りだ。この勲章くんしょうは、3・11で、補給司令官として迅速な災害支援に当たった。これはその功績が認められて、私に与えられた特別賞詞だ。3・11の時に私は留加人を多く救った。しかし今は幕僚長として、多くの人を殺した。その責任をとらないといけない」

 親父は、登の瞳を見つめた。こんな直近で視線が交錯こうさくしたことは、今までなかった。

「これから、何が起こっても、私を信じて欲しい」

 登は返事をしなかった。

義母かあさんのこと、頼むぞ」

 親父はそう言って、部屋を出て行った。

登は、手のひらに残された紅白の勲章と、去っていく親父の背中を見比べるしかなかった。

 母の呼ぶ声がした。登は勲章を机の上に置いて、下へ降りて行った。

「親父は?」

 肉じゃがをつつきながら、登はそっと尋ねた。

「今日もお仕事」

「今、何の仕事だっけ?」

「忘れたの? 十字台の補給司令官よ」

 この世界で、親父は統合幕僚長になっていないのか。

「お父さん、不器用だから、なかなか出世できないのね。同僚からは“十字台の番人”とか呼ばれてるらしいの。今度の幕僚長は同期の寺田さんになりそうだから、これでお父さんも最後のおつとめかも……」

 現世では、寺田陸将が統合幕僚長最有力候補だった。しかし、実際に統合幕僚長に就任したのは親父で、寺田は東部方面総監に塩漬けとなった。ネットニュースは、三宅国防大臣が寺田陸将よりも親父の方が操りやすいと見た結果だと、論評している。

「どうしたの?」

「……いや」

 考え事をしていると、箸が止まっていた。

「なんか、悩み事でもあるの?」

 母がほほ笑んだ。こんな若々しい人だったんだ、とまず思った。子どもの頃は、大人はただかけ離れた存在だった。高校生になって背が伸びて見ると、母と目線が合うようになる。同じ目線になると、なぜか母が一個の等身大の人間として、よくわかってくる。

「いや、ちょっと安心しただけ」

 やべえ、泣きそうだ。悲しいわけじゃないのに。

 親密な人の、また違った魅力に気づいたときの感動が、ひたひたと浸み込んでくる。登はとっさに、ご飯を勢いよく掻き込んだ。

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