第11話 景子(1) 真之と登①

 十字台高校はミサイルで全壊したらしい。

学校がミサイルの標的になったと判断した政府と東京都は、都内の小中高校を1週間、一斉休校にした。

「外はすごくほこりっぽい」

 母が、パート先のスーパーから帰ってきた。

「停電で、スーパーも冷凍庫が使えないでしょ。夏場に保存が利かない生鮮食品類はセールで叩き売るか、廃棄したの。だから店は大損よ」

 手を洗いながら、洗面台で母がぼやいている。魚介類の生臭さが母にこびりついていた。

「でも、やっと電気が復旧したわね」

 休校になってから5日目、つまり今日の午後になってからようやく電気が復旧した。とりあえず、テレビをつけてみると、NHKでは、画面は災害時と同じくL字型に分割されていた。


「首都圏ミサイル攻撃 外出自粛を」

「停電情報 十字台区 仮設変電設備により給電中。出力が弱いため節電にご協力を」

「給水場所情報 十字台区赤尾公民館 本日午後8時まで」


 被害情報をちらりと見てから、母はお菓子を戸棚から取り出した。

「何か食べる?」

「何でもいい」

 テレビ関東を除く全テレビ局で、特別報道番組が組まれていた。そして、軍事アナリストを肩書とするコメンテーターが、しきりにこう言っていた。


「第2次世界大戦で、アメリカは日本の真珠湾攻撃に対抗するためにですね、昭和17年にドーリットル空襲というものを日本に仕掛しかけました。これが東京初空襲だったわけですが、この時も現在の十字台区や荒川のあたりがやられました。この空襲の効果は、ほとんどなく、むしろ真珠湾攻撃で意気消沈いきしょうちんしたアメリカ国民の士気を上げるための政治パフォーマンスだったのです。今度の留加るかによる攻撃も、今までの劣勢れっせいにより式喪失した留加人るかじんの士気を高めるための政治パフォーマンスと考えるべきであり、日本人は、決して、決してですよ、こうした政治パフォーマンスの術策じゅつさくおちいってはいけないと……」


 そのときも、停電とか断水とかしたのだろうか。肝心なことは何も分からない。

景子はそう感じた。そんなアナリストの長広舌に、女子アナウンサーの声と原稿をめくる音が割り込んだ。


「速報です。国防隊では新たに1日の戦死者・戦傷者が合わせて1000人を突破しました。1日に戦死・戦傷が確認された人の数は3日連続で過去最多を更新していて、戦死者は258名、戦傷者は780名、合わせて1038名に上りました。日本政府は『軽微けいびな損害であり、戦争の大勢たいせいに影響はない』としていますが、国防隊関係者や隊員の家族には不安が広がっている模様もようです」


「増えてるよね……」スーパーで売っている饅頭まんじゅうのフィルムをがしながら、母は呟いた。人が死ぬ場面を、母は何より憎んでいた。

「“損害”って、何よ。その言い方」10年以上使っている薄型テレビに向かって、母はずっと文句を言っていた。

「“損害”は、モノに対する言い方。人に対する言い方は違う」

 それがまるで政府の高官であるかのように、母はずっとテレビを睨んでいた。しかし最後にはため息をついて、湯呑に注いでいた麦茶を1気飲みした。

「さっきお父さんからlineがあったんだけど、今日も復旧作業があって遅くなるって」

「そうなんだ、そうだよね」

「国防隊が頑張ってるのは、知ってるんだけどね……」

「給水活動のこと?」

停電中、水道も断水した。その間、国防隊給水車が来て、給水活動をしていた。

初瀬はせさんが頑張ってるのは知ってるけど、戦争以外の方法を考えてもよかったよね」

 ここで言う初瀬は、もちろん初瀬真之はせさねゆき統合幕僚長―つまりのぼるの父のことだ。

「経団連や与党の中で、経済が悪くなるから、やめろという反対はあったようだけど」

 そこじゃないよ、とかすれた声が母から漏れた。

「もっと大切なものあるでしょ。初瀬さんもダメだよね」

「何が?」

頑固がんこだから」

「話、ちがくない?」

「初瀬さんも、登ちゃんも頑固よね」

「ま、それは言えてるけど」

 景子は菓子盆かしぼんの中に入っていたクッキーの1つに、かじりついた。登はいつも“無意味”、“無意味”、“無意味”と唾を吐くように言っている。裏を返せば、周囲の状況がどうあっても、自分のからの中に閉じこもっていたいという頑固さだ。

「初瀬さん、よくけて来るよね」

 登の父、初瀬真之はせさねゆきは金曜日の夜に必ず吾妻あづま家に電話を入れる。5分ほど話して、切れる。毎週その繰り返しで、いつも母が応対した。

 景子も2回だけ、登の父とは会ったことがある。登の母が病死した時、つまり小学6年生の時に一度、そして1年前の春にもう一度。

 十字台高校入学式が終わった直後の、4月の日曜日。景子は少し遠出して、堤防沿いをジョギングしていた。風が気持ちよかった。電車が鉄橋を渡って行く。鉄橋のトラスから様々なざわめきが広がるが、春風に中和されて、かろやかに聞こえた。

「吾妻景子さんですね」

 その声に呼ばれて、振り返った。さっきすれ違った人が、景子の方に歩いてきた。

最初は、心当たりがなかった。だが、「誰ですか」と聞くのも悪い気がしたので、そっと様子をうかがった。七三に分けた白髪。メタルフレームの眼鏡をかけた風貌は、大学教授のよう。グレーの使い古したジャージを着ていた。60代に近いが、お腹はあまり出ていない。

そこまで見たが、まだ分からなかった。

「久しぶりですね。初瀬登の父です」

「あ、登のお父さんですか、お久しぶりです」

 ヤバイ、全然分からなかった。そう思いつつ、困惑の表情を隠すために、あわててお辞儀した。

「四月から高校1年生?」

「ハイ。この間、入学式でした」

 高校の入学式に真之さねゆきは来ていなかった。

「本当は行きたかったんだけどね。米国の空軍参謀総長との会談が入っちゃって。登は何か言ってたかな?」

「特にはなにも」

「そうか、まあ無理もない。」

 ニュース映像、国防省公式SNSアカウントで、初瀬統合幕僚長の活動は、ほとんど毎日紹介されている。色とりどりの勲章を紺色の軍服に着け、いかめしい表情を作っている本人の画像。外国軍要人との会談、儀仗兵の閲兵式、部下の表彰。センチ単位で揃えられた軍旗、小銃、銃剣、歩幅を背景に、完璧な軍人がそこに君臨する。

「入学式の後、親父が幕僚長になった、って聞きました。登から」

「今までとやることは変わらないですよ。アメリカ軍のお偉い人のご機嫌を取らなきゃいけない」

 真之は屈託くったくなく笑った。大人ではない景子には、その笑みにどう答えればいいのか、よく分からなかった。

「大変ですね」

「私の悪口を言ってたでしょ。親父は息子の入学式にも来れないって」

「いえ、登は、とにかく凄いことだと言ってました。幕僚長になったことも含めて」

 咄嗟とっさについた嘘だった。登から幕僚長就任の話を聞いた話は事実だが、登はそのことには無関心で、真之の言うように投げやりだった。

「そうですか。……綺麗きれいの花ですね」

 真之が突如、話題を変えた。

「そうですね」景子は、とにかくそう答えた。

「じゃあ、これで」

 また真之は元の道へと戻って行った。60代間近なのに、肩甲骨けんこうこつなめらかに駆動している。それをしばらく見送った後、景子は、堤防そばの遊歩道を歩き始めた。

 菜の花が風にそよぎ、黄色い花の下に、緑の茎があることを教えた。

あんまり似てない親子、と景子は思った。細い目元のあたり、顔立ちとかはよく似ている。だが、登は軍人の息子とは思えないほど華奢きゃしゃだ。しかし真之は60間近になっても頑丈がんじょうだ。後ろ姿だけを見ても、それが分かるほどだ。

父親と息子なんて、そういうものなのかもしれない。

 

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