第6話 キツネ目の少女、あらわる。

 7月9日を迎えた。ニュースでは、国防隊の攻勢が最終段階を迎えたと報じられていた。だが戦勝気分はもうない。みんな”お腹いっぱい”になって、”宴会えんかい”が早く終わることを望んでいた。

 夕方になり、アブラゼミの声がやっと静かになってきた。だが、まだ蒸し暑い。今日も熱帯夜になりそうだ。登は、制服のポロシャツをぱたぱたとはたいた。その手にじっとりと汗がみ出して来る。

 家の玄関前に黒のセダンが停車していた。コーナーポールに黄色のペナントが立てられているから、佐官さかんの公用車だ。

 誰が来たか、のぼるにはさっしがついた。

「登君、久しぶりだね」

 登が、2階の部屋に入るのを阻止する格好かっこうで、はやし健作けんさく一佐が階段の前に立っていた。

 やっぱり、“林のおじさん”だった。

思わず、登は心の中でぼやいた。林は親父の副官だった。親父が十字台補給司令部付一佐としてくすぶっていた時からの部下で、親父とは公私のつきあいがある。もちろん登とも何度か会ったことがある。

「いそがしいところ、悪いけど。……ちょっといいかな。前に会った時は中学校3年生だったね。あのときは野球部にいて、ライトを担当していたね。今は高校2年生か。受験勉強の準備とかどうだい?」

「まあ、大丈夫です」

「確かに、僕も高校2年生の時は遊んでばっかりだったな。僕はサッカー部でね、なかなかの強豪校に入ったから、コーチも鬼で。でも、これが入隊後に役立ったもんだ」

 林一佐は、セールスマンのように物腰ものごしやわらかい。

 油断できないぞ、と登は心を引き締めた。林は兵庫県地方協力本部勤務(三佐)時代には志願兵のリクルートを担当していた。卓越たくえつした交渉術を武器に、リクルート数・日本一を叩き出して、国防大臣賞を授与されている。

「僕は入隊しません。親父から何と言われているかは知りませんが、決して、断じて……」

 当然ではないか。あんな汗臭くて、下ネタが蔓延まんえんする男社会など地獄である。誰が好き好んで選ぶか。

「分かってるよ。そのことではないんだ。紹介したい人がいるんだ」

林はリビングの扉を開けて、登を手招きした。

 ゆったりとしつらえられたリビングには、クリーム色のロングソファとオットマンが備えられている。義母と、そして17歳ぐらいの少女がいた。

 義母は青ざめた表情をして、ソファに座っていた。落ち着きなく、少女の顔を窺っている。少女は舞台役者のように、背筋をまっすぐ伸ばして立っている。胸に真っ白な札が下がっていた。留加人だとすぐにわかり、登の顔が強張った。

「登君。こちらは留加るかめぐみさんだ。統合幕僚長、つまり君の御父上の意向でこの子を引き取ることになった。これからは君のお世話や家のことを何でもやってくれる。よろしく頼む」

「なぜ?」敵の娘、という言葉が喉元のどもとまで達していた。

「詳しいことは防衛機密だから、お教えすることはできない。だが彼女は留加の名家出身の令嬢れいじょうで君に向いているだろうと幕僚長はおっしゃっている」

「いや、でも」

 林は厳しい目つきをして、顔を寄せた。

「統合幕僚長は書類を自宅に持ち帰ったりはされない。彼女から機密漏洩するようなことはまずない。だからその点は安心してくれ」

「そういうことではなくて」

「申し訳ないが、私はすぐに市ヶ谷いちがやへ戻らないといけない。失礼する」 

 義母は言った。

「彼女には、あなたのとなりの空き部屋に寝てもらう予定です」

そして、林を見送るためにリビングから立ち去った。

 登と、少女の二人だけがリビングに残された。登は、そっと彼女の横顔をのぞいた。留加人特有の雪にみがかれたような白肌。顔は細面ほそおもてだ。聡明そうめいな感じを与える切れ長の瞳だが、目尻がり上がっている。登が覗き込んでいることを知ると、彼女は登の方に体を向け、丁重ていちょうなお辞儀じぎをした。

「留加めぐみと申します。何卒よろしくお願い申し上げます」

 その所作しょさは上品であったが、登の第一印象は、キツネであった。

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