第5話 戦争という名のルーティーン

「小さくなったよなぁ」

昼食用のたまごサンドを見て、登はぼやいた。昔はもっと量感があった。今ではサンドされたタマゴがすかすかであることが、見ただけで分かる。子どもの頃よく食べていたコンビニのケーキドーナツも、今では見る影もない。特に許しがたかったのは、プリンやゼリーの減量だった。容器の横幅を異様に絞って、小さくしていた。

 まったく留加るかのせいで。

留加人るかじんは、みんなはりつけになるんだってさ」

「大変じゃん、恵美えみちゃん」

 クラスの悪ふざけ組・榎木えのき皆藤かいとうは、にやついていた。白い札を制服に付けた渋川しぶかわ恵美えみは、一瞬顔をゆがめたが、すぐに笑顔を作った。

「そうなの、大変なの……」

ちょうどお昼休みが終わりかけていた。校内を走り回るのに疲れた男子たちが教室に戻って来る頃合い。

豪太が、「ちょっといい?」と言って、誰も座っていない椅子を引出すと、登の前に座った。

「勝ってるよね」

 豪太が突然そう聞いてきた。

 登は「何も知らない」と先回りした。

話の種に困ると、男子はいつも戦争の話をした。そしていつのまにかクラス内の”国防大臣”扱いされた登が、「防衛機密だ、親父も僕には戦争の事は話してくれないよ」と答えることになっていた。クラスメートだけならまだしも、家の近所に住むおばさんが「戦争はもうすぐ終わるの? どうなの?」と訊いてくるのには閉口した。そのときおばさんがどんな表情をしていたかは、もう思い出せない。

 クラスでは、しっかり者の女子たちがロッカーから次の授業の教科書を取り出している。からかわれた恵美の姿は、どこかに消えてしまっていた。

 取りに行くか、と思って登も席を立ちかけた。

「教科書、取りに行くぞ」

だが、豪太は立たなかった。

「どうしたんだよ、そんなに思いつめて」

登は軽く笑った。豪太は手を組んだまま、じっと手元に視線を落としていた。

「父さんが、戦争に出る」

「どうしてだよ?」

 登は、思わず座り直した。事変発生後、国防隊では予備役隊員の召集が行われていた。だが、徴兵制は実施されていない。政府内で検討が始まったというニュースは流れていたが、それは世論の反応を確かめるための”観測気球”のようだった。


「お前の親父おやじは警察官だろ」

豪太の父は警察官だということは、登も前に聞いたことがあった。

「父親が警官で、やたらと規則や生活態度にうるさいんだ」気弱な豪太は、そう言って首をすくめていた。

 それが高校1年の春、豪太と初めて会った時の会話である。クラスのオリエンテーションをねた自己紹介ゲーム(ゲームとしては酷い内容だった記憶がある)の時に、父親の職業を訊かれて、豪太は本当に困っていた。

 ゲーム相手になった登がしきりにたずねて、ようやく「警官」だと言った「それの何が悪いんだ?」と重ねていた時、豪太は肩をすくめて、父親への愚痴ぐちをこぼした。上下関係でしか人間関係を理解できない”頭の固い親父”に悩まされる同志を見つけた。登は、そう共感していた。

それで自分の父が国防隊の将官しょうかんであることを豪太に、最初に明らかにした(もちろん小学校時代からの幼馴染の景子は別だが)。

「お前の親父は、予備国防官でもないんだろ」

「ない」

「じゃあ、なんでだ?」

「留加地方の治安維持のため、多くの警察官を東京から送り出すことになって、……親父が選ばれたんだ」

「お前の親父は、……その、何というのか。どのぐらいの立場なんだ?」

「どのぐらい?」豪太が不安に染まった顔を上げて、じっと登の方を見つめた。

「なんか関係があるの?」

「なんとなく聞いてみようかと」

「巡査部長だよ。十字台じゅうじだい署・赤尾あかお二丁目交番勤務」

 登は警察の階級には詳しくない。だが巡査部長という言葉の響きに、決して”階級が高いわけではない”ことを悟った。

「まあ、大丈夫だろう」口から出て来たのは正反対の言葉だった。今にもすがりつくような目で、豪太は言った。

「ホントに?」

「ああ、大丈夫だ。それに1番危ない正面は、国防隊が担当するから、警官隊は後方の治安維持だろう。正面のドンパチに巻き込まれたりするようなことはないよ」

ふーというため息をしながら、豪太は太った体を大きく揺さぶった。そして太い指先をこすり合わせていた。それが、登には”祈り”に見えた。

放課後のホームルームでは「留加人に注意! テロやスパイ行為の危険性 あなたは大丈夫? 国防省・文部省・教育委員会」というビラが配られた。職員室前の掲示板、昇降口にもられた。

 担任の村井先生は遠慮えんりょがちに、「留加人みんなが悪いヤツってわけじゃないからな」と登たちに注意した。副担任の吉村美沙よしむらみさも、どこか悲しげであった。 先生たちが恵美を慮っているのは分かったが、いけないと言われれば言われるほど、磁石のように引き寄せられた。

 榎木えのき皆藤かいとうなどは、10人位のグループを組んで、「スパイ探しだ!」と中央公園や、国道8号線沿いを駆け回った。留加人の白い札を付けた者を見つければ、「スパイ!スパイ!」とイジって、面白がっていた。

 「いけない」と言われたことを破るのは、ただそれだけで楽しい。無意味なことだから、登は参加しなかった。だが、誘惑はあった。


政府軍戦死者【229名】戦傷者【489名】

留加人民被害数:不明

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