幕間ー現代トルコ イスタンブール


 一週間前に首都を襲った地震は、いくつもの古い煉瓦建築に甚大な損害を与えた。ここ、首都イスタンブールの中心部にあるファーティフ・ジャーミィもそのうちのひとつだ。二本の尖塔を持つ最古のモスクで、地下にはオスマン帝国七代スルタン、メフメト二世の霊廟がある。


 震度六の地震により、その西側の壁が崩壊し、道路に亀裂が走った。そこから発見されていない地下の隠し部屋が見つかったということで新聞で話題になったばかりだ。見事な彫刻の石棺も見つかっている。


 歴史的に重要な建造物ということで、発掘調査はまだ手つかずの状態で現場だけは足跡の足場とブルーシートで保護されている状態だった。

 雷鳴が轟く深夜、広い通りに人影はない。雨はアスファルトを叩きつけ、側溝からは水が溢れ始めていた。


「なにもこんな日にやらなくても」

 黒い雨カッパを着たアリが吊連れの男イスマイルに文句を言う。カッパは意味を成さず、すでに全身ずぶ濡れだ。靴の中も水浸しだった。


「こういう日だからいいんだ」

 ブルーシートの下に走り込み、イスマイルは雨カッパのフードを取る。街灯に照らされたのは金色の巻毛、薄いブルーの瞳、鼻梁が高く、形の良い唇には赤味が差している。整った顔立ちだが、暗い深緑の瞳が冷ややかな印象を与えた。


「証拠が残らない」

 イスマイルはファーティフ・ジャーミィの地下の隠し部屋の前に立つ。二人はここへ盗掘にやってきたのだ。背中に抱えたズタ袋からツルハシを取り出す。

 露出した煉瓦を乱暴に砕き始めた。石を割る音は激しい雨にかき消されていく。

 発掘調査は遺跡を破壊しないよう細心の注意を払うが、盗掘を小遣い稼ぎにしている二人にとっては宝物だけ手に入ればそれで良い。アリは渾身の力でツルハシを振り下ろす。堅牢な石の壁に亀裂が入る。


「拉致があかん、どけ」

 イスマイルが鉄製のハンマーを構えている。現地調達のようだ。見た目は優男だが、やることは豪気だ。そりゃあいい、とアリは笑みを浮かべる。イスマイルがハンマーを振るうこと三度、土台の石が崩壊し、それに連呼するように壁の一部が崩落した。奥は暗い空間になっている。隠し部屋だ。


「ここにはメフメト2世の小姓が葬られていると以前から噂されていた」

 イスマイルはハンマーを投げ捨て、懐中電灯を手に壁の穴から暗い部屋に足を踏み入れた。ひんやりとした空気と、600年以上前の空気だ。気のせいか、独特の花の香りが鼻腔をくすぐる。アリも慌てて後に続く。


 室内には石棺が安置されていた。見事なアラベスク彫刻が施されている。石棺は荒らされた様子もなく、ずっと長い間発見を拒んでいたように思えた。

「こいつは期待できる」

 イスマイルの長い指が石棺の文様をゆっくりとなぞる。赤い唇には不敵な笑みが浮かんでいる。突如、雷鳴が轟き、空に稲妻が走った。壁から差し込んだ閃光が石棺を照らし出す。光は瞬きの間に消え、また激しい雨音だけが響いている。石棺には埋葬者の名前が刻まれていた。その名は“ラドゥ”


 イスマイルとアリの二人がかりで石棺の蓋をずらしていく。重さに腰が悲鳴を上げそうだ。ようやく空いた隙間から、布に包まれた遺骸の頭部が見えた。

「すごいぞ、こりゃ本物だ」

 アリは興奮を隠しきれない。イスマイルは棺に手を入れ、副葬品をつかみ出す。経年によりくすんではいるが、大ぶりの宝石が嵌め込まれた金の腰飾りだ。アリに見せつけて、目を細める。


「これだけあれば一生遊んで暮らしても釣りがくる」

 アリも棺の中を漁り始める。イスマイルは緻密な龍の彫刻の施された金の腕輪を手に取り、弄ぶ。戯れに腕に嵌めた。その瞬間、身体中の血液が逆流するような激しい衝動に襲われる。動悸が激しくなり、息が出来ない。吐き気を伴うほどの激しい頭痛に頭を抱えてその場に蹲る。


「どうした、イスマイル」

 相棒の只ならぬ様子に、アリは手にした宝飾品を投げ置いてイスマイルに駆け寄る。イスマイルは目を剥いて苦悶の表情を浮かべ、全身が戦慄いている。

「な、なんだこりゃあ」

 イスマイルの金の腕輪から黒い瘴気が立ち上り、その身体を覆っていく。アリは青ざめてイスマイルから後退る。崩れた石に足を取られて派手に転倒した。そして、顔を上げた時にはイスマイルは何事も無かったかのようにその場に佇んでいた。


「だ、大丈夫かイスマイル」

 アリは尻もちをついたままイスマイルを見上げる。イスマイルは冷たい彫刻のような表情でアリを見下ろす。。その瞳は深淵を覗き込んでいるような漆黒。今目の前にいるのは、イスマイルではない。アリがそう直感したとき、全身を戦慄が襲う。

「我が名はラドゥ」

 イスマイルだった男は、蠱惑的な笑みを浮かべた。間違い無く悪魔がそこにいた、とアリは後に語る。

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