【38】 ブカレスト 農村博物館

「水晶をすべて集めたらラドゥの分からない場所に隠してしまおう」

「彼のパトロン、メフメトの財力があればどうにかして探し出すわ」

 亜希の言葉にシュテファンはがっくり肩を落とした。それに隠したところで誘拐でもされて、どこに隠したのか口を割るまで家に帰してもらえないだろう。

「いっそのこと、破壊してしまおうかとも考えたんです」

 エリックの言葉に亜希とシュテファンが目を見開く。

「君たちには内緒で、金槌で叩いてみました」

 亜希は絶句した。エリックはやはり、穏やかな顔をしてとんでもないことをする。

「しかし、水晶は砕けませんでした。普通の水晶なら粉々に砕け散るのですが、ああ、これも実験済みです、赤い水晶は傷ひとつつかない」

「本当に龍の力を宿しているのね」

 亜希は何度も不思議な力を目の当たりにしながら、まだどこかで信じられない気持ちだった。目の前の男は実際に背中に龍を背負っているというのに。


「ラドゥたちに奪われないためには、やはり私達が先回りするしかありません」

「また見つけたあとで登場するのかなあ」

 シュテファンは廃修道院での出来事がトラウマになっているようだ。

「そう、見つけるまでは泳がせておくつもりだろうね」

「エリック、何か考えはある?」

「私は、この水晶の力を正しいことに使おうと思います。彼らから水晶を守る、それは正しいことです」

 エリックの顔は真剣だった。水晶の力、すなわち龍の力は数に比例して強くなっていくように思える。集めていくうちに赤色が濃くなっていくように、エリックの背中の赤い龍もおそらく。その影響が彼にはどう現れるのだろうか。エリックは自分の身体のことはよく分かっているに違いない。こちらに心配をかけないよう気丈に振る舞っているように思える。


 日が落ちて、辺りにはバーのネオンが輝き始めた。エリックが立ち上がる。亜希とシュテファンも席を立った。3人で顔を見合わせた。

「最後の水晶を手に入れて、守り通そう」

「うん」「ええ」


 再び農村博物館に到着したときにはあたりはすっかり暗くなっていた。ポプラ並木を夜風が揺らしている。ライトアップされた凱旋門が白く浮かび上がっている。BMWは裏通りに停めてきた。この時間なら路上駐車の切符も切られないだろうということだった。

 柵を越えて農村博物館の敷地へ入る。夜は薄暗い街灯の光のみで、昼間見た教会の高い尖塔が不気味にそびえ立っているような気がした。大通りから見えないように、離れた湖沿いを歩いていく。スナゴヴの鐘のある小屋についた。夜の園内が意外に明るいのは月が輝いているからと気が付いた。


 エリックが片目のレンズを取り出す。窓から入る月の光にレンズを掲げた。月の光は拡散して小屋の中を照らし出す。鐘の表面にも反射して、そこに図形が浮かび上がった。

「やった・・・!」

「ねえ、これは何を表わしているの?」

 鐘の表面には円でかこまれた十字架、その上に森のような三角印のエリアがあり、さらに少し離れた場所に背を丸めた龍のようなマークがある。

「この十字架は、おそらくスナゴヴ修道院を表わしているね」

 エリックが鐘を見つめながら考えている。

「位置的にスナゴヴの東北・・・聞いたことがある。この辺りの丘は地元の人たちに龍の眠る丘と呼ばれていることを」

 エリックの言葉に亜希の心臓が高鳴る。龍の眠る丘、そこに最後の水晶がある。シュテファンと顔を見合わせて、2人一緒に背後にいるエリックを振り返った。そこにいるはずの彼はいなかった。

「エリック、一体どこにいったの?」

「さっきまでいたよね・・・」

 亜希とシュテファンは小屋の外に出た。そこで目にしたのは気を失ったエリックを抱える白装束の男、そしてラドゥとメフメトだった。


「え、嘘でしょ・・・」

 亜希は言葉につまった。シュテファンも唖然としている。

「エリック、起きて!」

 亜希とシュテファンが交互に叫ぶが、エリックは眠ったまま動かない。

「無駄だよ、彼は強力な麻酔で眠ってもらっている」

 ラドゥが微笑む。そんなあっさりとエースが倒れるなんて、現実ってこんなものなのかなと亜希はどこか他人事のように思った。白装束の男たちが亜希とシュテファンににじり寄ってくる。

「さあ、君たちも一緒に来るんだ。最後の水晶は一緒に探そう」

 甘い声音だが、亜希の背筋に冷たい汗が流れる。最後の水晶を見つけたら無事に解放してくれるのだろうか、開放されたとして、彼が龍の力を得て何を考えているか想像すると恐ろしい。きっと良くないことに力を使うだろう。シュテファンが健気に亜希の前で手を広げている。

「かわいいナイトだね」

 メフメトがラドゥと顔を見合わせて笑っている。腹が立つ、殴ってやりたい。亜希もシュテファンに並ぶ。

「ケンカなんかしたことないけど、やってみる。エリックを取り返そう」

 亜希は小屋に置いてあった棒きれを拾い、構えた。


「やめなさい」

 凜とした声が響いた。そこには闇に紛れるように黒いドレスの女が立っていた。銀色のショールを巻いて、白い肌に赤い口紅が艶やかに光っている。

「エリザベス、また邪魔をしに来たのか」

 ラドゥは面白くなさそうだ。しかし、顔を上げて微笑んだ。

「ちょうど良い、では君たちは行くといい。明日の夜0時、エリックを連れて龍の眠る丘で待つ。それまでに封印の謎を解いてくるんだ。答えと引き換えに彼を解放しよう」

 ラドゥはそれだけ言って踵を返した。眠ったままのエリックは彼らに連れ去られてしまった。亜希とシュテファンはどうすることもできずに立ち尽くしている。


「面倒なことになったわね」

 エリザベスが英語で話しかける。シュテファンはエリザベスを睨んでいる。

「あなたが彼らの手引きをしたんですか!」

 今までみたことのないような強い調子のシュテファンに亜希は肩をすくめる。エリックは彼の大切な友人なのだ、怒るのも当然だった。

「でも待ってシュテファン、彼女は私達を助けてくれたわ」

「そうか・・・」

 シュテファンはうなだれる。亜希は手にした棒きれを放り出してシュテファンの背をさすった。そうすることで少し落ち着いてきたようだった。

「謎を解けって、どうすればいいの・・・」

「分からない、エリックもいないのに、どうしよう」

 亜希とシュテファンは途方に暮れた。

「あなたたちは明日の夜、エリックを助けにいきたいのね」

 エリザベスが口を開いた。

「もちろん」

「こちらへ」

 

 エリザベスはテーブルへ2人を誘う。バッグの中からファイルに綴じた紙を取り出し、テーブルの上に置いた。

「これは・・・!」

 その紙には見覚えがあった。古びた紙で、書かれた文字はほとんど掠れて見えない。亜希はバッグから龍の紋章の本を取り出して、最後のページを開いた。エリザベスの持っていた紙片は本と同じ素材だった。

「なぜ、あなたが最後のページを持っているの?」

 亜希はたどたどしい英語で訊ねる。

「私の名はバートリ・エリザベス。バートリ家の末裔よ」

 シュテファンはその名を聞いて驚いている。亜希はピンと来ず、シュテファンに説明を求める。

「バートリ家はハンガリーの貴族で、ドラキュラ公の一族の遠縁にあたる血筋だよ。バートリ・エルジェベト、血の伯爵夫人は知ってる?」

 聞いたことがある。高貴な身分で美しい女性だったが、その美しさを保つために拷問した若い女性の血を浴びていたという無慈悲で残虐な人物だ。

「彼女の子孫が一族の犯した罪を悔い改めるために、龍の封印を守ることを進言し、ドラキュラ公の末裔から本の中のこのページを譲り受けたの」

 英語が複雑なのでシュテファンが訳してくれている。ページが切り取られていた理由はこれで分かった。


「シュテファン、エリックから片目のレンズを受け取っていたよね?」

 シュテファンは慌ててポケットを探る。鐘の文字を読もうとレンズをエリックから借りていたのだった。水晶4つとエリックは彼らに奪われてしまったが、不幸中の幸いだった。レンズを手にして、シュテファンはエリザベスを見つめた。

「私は中立の立場よ、あなたたちを助けることは封印を守ることなの」

「謎を解けば、龍の力が解き放たれるかもしれない」

「正しい者が力を使えば、封印は守られたことと同義なのよ」

 エリザベスは含みのある言い方をした。シュテファンは片目のレンズに月の光を集める。紙片に円形の紋章が浮かび上がってきた。

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