【29】 スチャバ ペンション
スチャバのペンションは静かな住宅街の外れになった。建物の向こう側は森でそこだけ切り取れば山の中のペンションという雰囲気だ。薄暗いロビーには年代物の応接セットが置いてある。チェックインを済ませて部屋に荷物を置いたら、すぐに食事をしようということになった。もう夜の19時をまわっている。トゥルゴヴィシュテから車でブカレストへ、そこから飛行機でスチャバにやってきた。この日は一日移動日だった。亜希は乗り物に揺られているだけで良かったが、それでもずいぶん疲れてしまった。
レストランはホテルに付属する店ということだった。ロビーを出て、すぐにログハウスのような小屋があった。
「わあ、これはまた雰囲気がある店ね」
天井には大きな木の梁が通っており、壁にはルーマニアの民俗衣装が飾られている。テーブルや椅子も木で作られており、温かい雰囲気が感じられる。アレフ村で立ち寄ったエリックの祖母の家を思い出した。椅子にはカラフルな毛布が掛けられている。テーブルの上にはすでに食器が並んでおり、鮮やかな模様の絵皿は見ていて楽しい気分になった。
「モルドヴァ地方はウクライナが近いですからね、また違った料理が楽しめますよ」
エリックがオススメ料理を教えてくれた。スープはボルシチ、じゃがいもやにんじんを細かく切って和えたサラダオブリエ、鳥肉とタマネギを煮込んだトカナにはママリガがついていた。
「ほんと、なんとなくロシアっぽい雰囲気ね」
絵皿に盛られた田舎料理がテーブルに並ぶ。新鮮な食材に素朴な味付けが美味しい。ボルシチは思ったよりもあっさりしていた。新鮮な野菜の出汁がよく出ている。鳥肉はよく煮込んであり、身がほろほろに崩れた。
「母の料理を思い出すよ」
シュテファンが懐かしそうに呟いた。
「そういえば、シュテファンはモルドヴァの有名な君主の末裔なのよね」
デザートのパパナシをシュテファンにシェアしながら亜希が尋ねる。
「そう、私の名前もシュテファン大公からもらっています。15世紀に活躍したモルダヴィア公で、ドラキュラ公とは母型の従兄弟の関係だったんだよ。反オスマントルコとして共に戦った英雄だね」
シュテファンは誇らしげに語る。
「モルドヴァ地方の修道院はトルコ戦の勝利を記念して建てられたものが多くあり、シュテファン大公も多くの修道院を建てたそうです」
エリックの説明も続いて説明してくれた。シュテファン大公の墓所は彼の建てた修道院のひとつ、ブトナ修道院にあるという。
「シュテファン大公のお墓にも行ってみたいわ」
ペンションに戻り、談話室で龍の紋章の本を開く。夜も遅いので他の宿泊客の姿はない。クッションの効いたソファに大きなテーブル、脇には暖炉が備え付けてある。北の方なので冬は寒いのだろう。飾りでは無く、実際に使用しているようだった。
「いよいよこれで4カ所目ね」
亜希がページをめくる。ルーマニアへ来るきっかけとなった修道院のイラストが描かれたページだ。
「アキはこのページを見て、ルーマニアに来ることを決めたんだよね」
感慨深くページを見つめる亜希にシュテファンが声をかける。
「そう、不思議な縁だと思う。それまでルーマニアという国がどこにあるのか知らなかったんだもの。ああ、謎を読み解かないとね」
エリックによれば、修道院の章にはドラキュラ公の盟友シュテファン大公の偉業が中心に書かれているということだった。シュテファン大公は父のボクダン2世が暗殺された際、当時モルドヴァに亡命中だったドラキュラ公とともにトランシルヴァニアのヤノシュの元に逃れた。そのとき、2人は互いが公位に復帰するために協力しあうことを誓った。その後、約束通りワラキア公位を奪還したドラキュラ公はシュテファンのモルダヴィア公即位を支援した。
しかし、シュテファン大公の即位後、ドナウ川河口の重要拠点キリアを巡り、両者は対立、ドラキュラ公は弟ラドゥに破れ、亡命先のトランシュルヴァニアでハンガリー王マーチャーシュに謀反の疑いで逮捕された。
「シュテファン大公は盟友を裏切ってしまったの?」
「結果としてはそうだね。シュテファン大公は即位後、輝かしい時代を築いた。しかし、その政策はドラキュラ公と異なっていたのです」
「そう、トルコとの融和政策だよ」
エリックの説明にシュテファンが付け加える。トルコと領土を接するドラキュラ公には許しがたい裏切りだったのだろう。
「しかし、ドラキュラ公とシュテファン大公の間には戦争が起きることはなかったそうです。その後、シュテファン大公はマーチャーシュにドラキュラ公の釈放を訴えました。ドラキュラ公はそこで三度目の公位につくのです」
「とても複雑な事情なのね・・・」
エリックが片目のレンズを取り出した。月の光がレースカーテン越しに談話室に差し込んでいる。アキはカーテンを開けた。ライトを消して月の光の下で掠れて何も見えないページを開いた。シュテファンがレンズを通して浮かび上がる文字を読む。
「・・・憂いの王の墓 天の光の中に我はいる」
シュテファンが顔を上げた。亜希とエリックと3人が顔を見合わせている。
「これは・・・もう答えがハッキリしているね」
「シュテファン大公の墓のあるプトナ修道院ということね」
「天の光とは何だろう?」
シュテファンが首をかしげる。
「行ってみないとわからないが、修道院の外壁の絵にヒントがあると思わない?」
「それだよ、きっと」
場所が特定できたことで3人はハイタッチをして盛り上がった。
「明日、日中は有名な修道院を一通りまわってみましょう。アキも見学をしたいよね」
エリックの提案に亜希は喜んだ。
「ぜひそうしたいわ!」
「観光地として有名な修道院はヴォロネツ、モルドヴィツァ、フモール、アルボレ、スチェヴィツァの5つです。最後にブトナ修道院へ謎を解きに行きましょう」
亜希はわくわくする気持ちで浮かれていたが、はたと気が付いた。ラドゥたちのことだ。おそらくこの地まで追ってきているだろう。
「トゥルゴヴィシュテでも姿を現しはしなかったが、メフメトがいたからラドゥもきっと街に滞在していたはずだね」
「それなのに、キンディアパークには現れなかったよ」
シュテファンも考え込んでいる。
「水晶の最後の一つを見つけるまで泳がせておく気じゃないかな・・・本やレンズを奪い取って自分達で見つけなくても私たちに見つけさせる方が楽だもの」
亜希の言葉にそんなのひどい、とシュテファンが憤慨している。
「それはありますね。最初は奪おうとしていたけれど、その後は様子をうかがっている感じがします。なにより、あれほどの資金と人員がいたらすぐにでも力尽くで奪えるはずです」
亜希は言葉にはしなかったが彼らはエリックの力に怯えている、という気もした。しかし、とエリックは言う。
「龍の紋章の本に従って水晶を5つ集めたとして、使い道が分かりません」
亜希は龍の紋章の本をめくっていく。最後の章は湖に浮かぶ小さな小島。その先は何もない。
「この本は龍の力を封印しているということよね」
「ということは、封印を解く方法が書かれているはずですが、ページはこの最終章で終わりです」
シュテファンが本を手に取る。
「ねえ、これ気がついてた?」
亜希とエリックの顔を見比べた。2人ともシュテファンの意図が分からない。
「最後のページ、切り取られている」
本の綴じ部分をよく見れば、最終ページがきれいに切り取られているのが分かった。
「もしかすると、このページに龍の力の封印を解く方法が書かれていたのかもしれない・・・私の父はそれに気が付いていたのだろうか」
エリックは不安そうに目を細めた。
「そのページをラドゥが持っているとしたら、水晶を集め終わって私達からすべてを奪えば・・・」
「龍の力を復活させることができるってこと?」
エリックは顔を上げ、静かに呟く。
「そうはさせてはならない」
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