171.うにょうにょ
ナナの問いかけに、レイアは首を傾げた。
「意味がよくわかりませんが……」
「僕の着ぐるみにある力と同じ力をマルシスちゃんが使った。これはとても珍しい力のはず……」
「どういう力なんですか?」
「超加速。悪魔の技術と言われる奴のひとつだ。青い光を発して、ものすごい速さで前進する」
「へぇ、楽しそうですね……わくわく」
身を乗り出したレイアにナナがため息をつく。
「今度見せてあげるよ……。それなりにすごい力なんだけど」
「約束ですよ……!」
キッチンからトマトジュースの入ったコップを持ってきて、ナナは改めて席についた。
カーテンをしめきって、光を遮断してから着ぐるみを収納する。
トマトジュースを一口飲んだレイアは、
「ふむ……悪魔、ですか。まさかそんな単語を聞くことになるとは……」
「レイアの見解を聞きたい」
「そもそも悪魔って、どういう存在なんでしょう? 悪魔とは、どうすれば決められるのでしょうね?」
「ま、そうだね。二百年の間、悪魔は確認されていない」
地獄の悪魔――神話の時代、そのように自称した超存在は文献に残っている。
いわく、神々や初期の人類と接触があったのだとか……ときに争い、ときに仲間になった。
世界中にそのような記録は残されている。
しかし確かなことは何もわからない。
決まった法則があるわけではないからだ。
「悪魔とされていた多くの事柄が、単なる変身魔法だったり未知の魔物だったりしました。戦乱期には、自分は強い悪魔を呼び出したと宣伝していた勢力もあります」
「ザンザスの魔王――マルコシアスもそのパターンだね」
「……学会ではステラ様にあっさり負けたから、おそらく騙っていただけとされてますしね」
レイアは肩をすくめた。
「個人的には本当に悪魔だった方が浪漫がありますが。しかし、本当に悪魔らしき話は極々わずかしかありません」
「わかってる。教会の悪魔狩り部隊が解散したのも百年は昔のことだし」
貴族家のいくつかは、先祖が悪魔だったと自称さえしている。そのために特別で、選ばれた血統だと宣伝しているわけだ。
もちろん真実は誰にもわからない。
「確証はあるんですか?」
「いや……何もない。ただの勘だよ」
ナナはあっさりそう認めた。
「この着ぐるみにあるいくつかの力は、先代から教えてもらったのを使ってる。アーティファクトマスターの称号とともにね」
Sランク冒険者は超国家的な英雄であり、その称号は代々引き継がれている。
もちろん称号だけでなく、歴代の知識や魔法具もである。
ナナの着ぐるみにも、それらが遺憾なく発揮されていた。
「そのうち由来さえもよくわからないのがある。超加速もそのひとつ。できるなら、僕はそれを知りたい。先代もその前々の方々もそうだろうね」
「……ふむ、なるほど……」
「だからマルシスちゃんが別に悪魔でもそうでなくても、どっちでもいいんだよ。何百年間も謎だった技術の答えを持ちうるか――」
ナナは言葉を切った。その目は真剣そのものである。
「その可能性があるか、聞きたい」
「ありうるでしょうね。彼女は不思議です。身体能力も魔力も一般人に近い……でも特別な嗅覚があります。ステラ様も彼女をことのほか大切にされています」
「エルト様もだね。彼女は家族と言っているし」
「おそらく何らかの秘密があるのでしょう。それこそ先祖が悪魔の貴族令嬢とか。記憶喪失のようですが、関係があるのかもしれません」
「……わかった。ありがとう」
レイアはふう、と息を吐いた。
「好奇心は身を滅ぼすと言いますか……。エルト様やステラ様を怒らせることはしないで下さいね」
その言葉にナナは心外そうに答えた。
「そんな馬鹿じゃないよ。このやり取りは一冒険者としての興味なだけさ」
「ならばいいです」
「やはりもっと仲良くならないと駄目か……」
ナナは呟くとレイアをじっと見つめた。
「ちょっと用意して欲しい物があるんだけど」
◇
一度家に帰ってきた俺達は、お昼ご飯を食べて書類仕事をしていた。
次の打ち合わせまで間があるからな。
リビングではディアと子犬姿のマルコシアスが遊んでいる。
微笑ましい日常だ。
「思い出したんだぞ……!」
「うん?」
「なにぴよ?」
突然、マルコシアスが雷に打たれたかのような顔をした。
「ウゴ……どうしたの?」
「また少し思い出したんだぞ」
そう言うとマルコシアスは隅にあった綿を床に広げて、その上に腹ばいに寝そべった。
前足と後ろ足もぴーんと伸ばしている。
「……マルちゃん、それは?」
そのままマルコシアスはうにょうにょと背中から動かして……さらに全身を波打たせていた。
変なストレッチ……?
「地獄体操だぞ、母上」
「え?」
「体がほぐせる、地獄体操。こうやって関節を伸ばすんだぞ」
うにょうにょ。
確かにコリはほぐれそうだが。
ディアがマルコシアスの隣に行き、首を傾げる。
「どうしてほぐすぴよ?」
「おっきくなってから、体の節々が調子悪いんだぞ……」
「成長痛か」
「成長痛ですね」
「そう、きっとそのせいちょー痛なんだぞ。だからほぐすんだぞ」
「なるぴよ……」
ディアはつぶやくと、マルコシアスの横に並んで腹ばいになった。
うにょうにょ〜。
二人揃って体を波打たせている。
かわいい。
「ぴよ、たしかにほぐれるきがするぴよ」
「さすが我が主、もうモノにしたんだぞ……!」
「かんたんぴよ」
「ぼでぃが柔らかいんだぞ。意外と我は固くて……」
うにょうにょー。
その様子を見ていたウッドがマルコシアスに近寄る。
「ウゴ、俺ものびる?」
「もちろんだぞ! 兄上も隣でやるといいぞ」
……ウッドは伸びるのかな?
ま、まぁ体はほぐれる……のかな。
「私達もやりませんか、エルト様?」
「そうだな……」
俺もステラも書類仕事をして、肩がこってきた。
いいタイミングと言えばいいタイミングだ。
ストレッチ代わりにやるのもいいだろう。
肩を回した俺とステラも並んで、腹ばいになる。
そして……手足を伸ばして、波打たせる。
うにょうにょ……。
ふむ、こんな感じか?
体を適度に動かしたりするのはいいことだからな。
「うにょうにょ……」
ステラは小さく声を出しながら、見事に波打っていっている。
うまい。
というか、体を使うことは本当に万能だな。
「おお! 兄上も母上もすごいぞ。よくできてる。父上は……」
「俺は……?」
気になる。
自分ではよくわからんし。
精一杯、やってるつもりだが……一人だけ駄目とか地味に嫌だ。
「みごとになみうってるぴよ!」
「うにょうにょしてますよ!」
「お、おう……!」
……どうやらよく出来ていたらしい。
よかった、なんとなく。
そしてステラと顔を見合わせて、くすくすと笑う。
こういうマルコシアスの突発的なことも、大切な日常の一部だ。
もうすぐステラとマルコシアス、それにナナは一週間の旅に出る。何事もありませんように。
本当に、望むのはそれだけだ。
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