172.年末
今日は今年最後の日だ。
日本では大晦日と言うが、この世界では単に年末とか今年最後とかだな。
この辺りの言語感覚はかなりざっくりしている。
冒険者ギルドの開業用意もほぼ終わった。
まぁ、調度品関係はすでに来ていたからな。
料理もマイルド辛味炒めは好評で、とりあえずここからスタートすることになりそうだ。
冒険者ギルドの執務室の準備も終わり。
これで年明けからこちらでも仕事ができる。
「今年の仕事はこれで終わりだな……」
机の引き出しに筆記用具を入れる。
「にゃ、計画通りですにゃ!」
ナールも来年使う書類やらをまとめてるな。
「お祭りのおかげで、色々と夢に近づきましたにゃ……。来年こそは行けそうですにゃ」
「夢? 初めて聞いたな」
「いままでは途方もありませんでしたにゃ、でも手が届きそうなくらいになってきましたのにゃ……!」
ナールが両腕を広げて強調する。
「船ですにゃ!」
「船……?」
クルーザーみたいなものか?
お金持ちの趣味みたいな感じではあるが……。
「交易船ですにゃ。これを持つのは商人の夢なのですにゃ……!」
「へぇ、初めて聞いたな。馬車を持ったら一人前の商人というのは読んだことがあるけれど」
この前読んだ駆け出し商人の本だと、そこがひとつの目標になっていた。
「よくご存知ですにゃ。そうですにゃ……背負うより多くの物を運べるようになれば、一人前ですにゃ。馬車はまさにひとつの目標ですにゃ」
「交易船もそうなのか?」
「まさにそうですにゃ。この村に入ってくるのも含めて、品物を移動させるのに船は最適ですにゃ」
この世界の少なくない地域には魔物がいる。
もちろん魔法使いを動員して突破するのも可能だが……そうして運ばれた品物はとんでもなく高くなる。
なので、ほとんどはそうした魔物密集地帯を避けるように移動するわけだ。
そんな中で川や海にも魔物はいるが……数はかなり少ない。
もちろん危険な地域はあるが、船の行き来は活発である。
この世界では最大の輸送手段だからな。
前世の地球と変わらず、船での交易は極めて重要なのだ。
「なるほど……。だから船主になるのが夢なのか」
「そうですにゃ。自分の船で品物をやり取りできるのは、一流の商人だけですにゃ」
この世界でも船は高そうだもんな。
地球でも車より船の方が圧倒的に高い。
大きな船ともなれば、船乗りも相応に必要だし……。
「……でも船が必要なら用意するぞ」
「にゃ!?」
「いや、全てはナールから始まったくらいだからな。お金もあるし……」
お金はあるが、有意義な使い道となると中々難しい。
そうなると船というのも面白そうだしな。
しかしナールはしばらくもじもじとすると、
「にゃにゃ……とても嬉しいのですにゃ。でもこればかりは自分で用意いたしますのにゃ」
「そうか……偉いな」
「にゃ! エルト様のお気持ちは本当にありがたいですにゃ!」
夢は自分で、か。
当たり前のようでいて気持ちを保ち続けるのは難しい。
「でもブラウンは――ボートを買うって言ってましたにゃ」
「ボート……? この辺だと川やあの湖くらいしかないが」
「湖の真ん中を調べたいみたいですにゃ」
「ほう、それは面白そうだな」
湖の周辺部の報告はかなり来ているが、真ん中や底はよくわからない。
わかっているのは、湖の全般にレインボーフィッシュがいること。草だんごで呼び寄せることができること、くらいか。
しかしボートもないので湖の真ん中は手付かずだ。
もちろん湖の深いところでは、違う生態系があるかもだしな。
「でも調査という名のただの釣りという気もしますのにゃ……」
「まぁな……。しかし一度調べてみるのも悪くはない」
ボートか……。
この世界では気軽な船旅というのがないからな。
それこそ足こぎボートでさえない。
近くに湖があるんだから、水の上から風景を眺めてみてもいいかもな。
ディアも水は雨やお風呂、陸から見た川や湖くらいだ。
湖の上は――陸からとはまた違う。
「ザンザスでは色々なツテがあるからにゃ、ブラウンはレイアに相談しに行ったみたいにゃ」
「なぬ?」
どきっ。
ま、まぁ……ナールも海がある地域の生まれじゃないからな。
ボートを買うにしても、結局他から買うしかない。
あれでいてレイアは文化人だし、頼るのは正解なのだろうが。
だが水に浮かぶコカトリス……。
レイアのセンス……。
ごくり。
果たしてどんなボートを買うつもりなんだろうな……。
◇
時は少し遡り――。
ザンザスのお祭りが終わってすぐ、ホールド一家と黒竜騎士団は大急ぎで東へと隊列を組んで進んでいた。
目指すは東の国境。
クラリッサの故郷がある、東の国々への接点と言えるところである。
「クラリッサ……」
荒涼とした丘が続く中、馬車の中でクラリッサは静かに震えていた。
今、馬車の中では二人きりである。
隣に座っているオードリーが、クラリッサの手をしっかりと握る。
不安を覆い隠すように。
「……大丈夫だよ、私がそばにいるから」
「うん……」
毎年の始め、クラリッサはエルフの国へと帰る。
燕を抑える祈りを捧げて、そしてまたオードリーの所に戻ってくるのだ。
この馬車の行く先に、クラリッサを迎えにきている東の国の騎士団がいるはずだ。
今回の行進は、その移動のためである。
だが燕を抑える祈りは、大人さえも大きく消耗する危険な儀式であるとオードリーは聞いていた。
大量の魔力を使う必要があるのだそうだ。
……そしてオードリーは気付いていた。クラリッサは気丈に振る舞いつつも恐怖を感じている。
多分、儀式に対して。
数年間一緒にいて、オードリーも学んでいた。
この道は普通の商人や旅人は通らない。
魔物が多くて危険だからだ。
魔法使いの一団なら強行突破できる。
すでに数度、魔物の襲撃はあった。でもベルゼルの伯父様がすぐに倒したようだけど。
「……燕はそんなに怖くないの。ううん、怖いんだけど……」
「うん」
「お役目を失敗しちゃう方が、怖い」
クラリッサの絞り出すような言葉に、オードリーは頷いた。
貴族として生まれた者には力と責任が伴う。
いずれ自分も父や母の後を継がないといけないのだ。
「そういうときは……こうすると良いってあったよ」
オードリーはバッグをごそごそと開けて、コカトリスのぬいぐるみを取り出した。
「この子のお腹を揉むの。ほら、柔らかい」
もみもみ……。
オードリーはヒールベリーの村で買ったぬいぐるみのお腹を揉む。
柔らかくて弾力がある。
どうすればいいのかわからないけど、こうしていると落ち着くのだ。
「月刊ぴよにも書いてあったよ。こうすると落ち着く人が多いんだって……」
「う、うん」
遠慮がちなクラリッサにオードリーは歯痒くなるけど……仕方ない。
役目からは逃げられないのだから。
なのでオードリーは行動した。クラリッサへぐいとぬいぐるみを押し付ける。
「ほら、このお腹を揉むんだよ……」
「うん……ありがとう」
クラリッサが少し微笑む。
手を添えて、コカトリスぬいぐるみのお腹を一緒に揉む。
もみもみ……。
少しするとクラリッサの震えは止まっていた。
気休めに過ぎないとしても、この気休めは大切なことなのだ。
「きっと……なんとかなるよ」
「うん……」
オードリーはステラの言葉を思い出した。
一緒にお風呂に入ったときに、自分たちのことを聞いたステラはぽつりと言ったのだ。
希望はあります、と。
それがどういう意味かはわからない。
本当にふっとそう言ったのだ。
クラリッサの表情が和らぐ。ぬいぐるみのお腹を揉むことで、気が紛れたようだ。
二人は知らない。
世界最高峰のSランク冒険者が駆け付けることを。
ステラは決して、無意味なことは言わないのだ。
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