152.真実は過去という闇の中

 俺が言葉を返せないでいると、ホールドがちょび髭を触りながら重々しく続ける。


「事の発端は、もう当事者しかわからないだろう。ともかく十五年前に、父上とお前の母親――王女は恋に落ちた」

「恋……?」


 俺は疑問を呈するように言った。

 貴族間では、やはり恋愛結婚は中々珍しい。

 ホールドのようにないわけでないが。


「恐らく、父上は本気だったのだろう。王女の方も多分な」

「よくわからないな。それなら……どうして俺はああいう扱いだったんだ?」


 王女の事を考えれば、もう少しまともでも良かった気がする。

 それと執事が血相を変えるのも……。


 あっ。

 そこで俺は思い当たった。


「……道ならぬ恋だった、というわけか」

「そういうことだな。どうやら王女の、他国と進んでいた婚約がパーになったらしい。らしい、ということしかわからんが」

「なるほど……」


 つまり俺は王家の血を引いているが、王家から認知はされていないということか。

 それなら誰もが口をつぐむのも、納得がいく。


 思えば俺の母親をアレコレ言う人間は、家にはいなかった。

 仮にも王女を悪くは言えなかったのだろう。


「父上も無茶苦茶をしたものだ……」

「……そこはいささか事情が複雑だ。父上は、ギリギリまで相手が王女だと知らなかったようだ」

「知らなかった……? いや、王女の顔くらいは知っているはずだろう」


 旅の商人やレイアから、王都の盛んなことは聞こえてきている。

 やれ舞踏会やら観賞会やら……。

 いくらなんでも、父が王族の顔を把握していないとは思えないが。


「確かにそれはそうなのだが……。だが魔法を使えば別だ。飛び抜けた魔力と選ばれた適性があれば、他人に成りすますこともできる」

「……まさか」


 俺の記憶の底が揺さぶられ、前世の記憶が引っ張り出される。

 心当たりはあった。


 幻覚魔法や獣化魔法には、使用者の外見を変える魔法が確かに存在する。

 マルコシアスだって少女と子犬姿を行ったり来たりしてるくらいだし。


「俺の芸術サロンに出入りしているのに、ゴシップ好きな貴族が何人かいてな。多分、間違いない。王女はよく幻覚魔法を使って――貧乏貴族のお嬢様として遊びに出掛けていたんだそうな」

「それで……父上と恋に落ちた、と?」

「父上からすれば、第四夫人として迎えるつもりだったのかもな。あるいは他の夫人に根回しはしていたのかも。本当に貧乏貴族のお嬢様で、手順を踏んで責任を取るつもりなら、問題にはならなかっただろう」


 上位貴族では複数の配偶者を得るのは、珍しいことではない。

 子どもに優れた魔力と適性がなければ、没落しかねないからな。


 これは女性の当主であってさえ、容認されている。

 貴族の第一は、自らの領地を守る力。

 次にそれを引き継げる用意をすることなのだから。


「……いずれにせよ王女の妊娠とともに事は露見して、大騒ぎになった。王都を揺るがす一大スキャンダルになったらしい」

「まぁ、そうだろうな……」

「露見した後、どのようなやり取りがあったのか。正確にはわからん……。だが、ナーガシュ家は工作や取引に莫大なリソースを費やした」

「まぁ、そうなるよな……」


 俺もこの世界の外交をよく知っているわけではないが、他国との婚約が潰れたわけだ。

 この国だけの問題じゃない。


「事によれば、王家転覆を図っていると思われかねない案件だからな。他の夫人や親族からも相当な突き上げがあったろう……家を危険に晒したわけだから」

「ふむ……」

「王女ももちろん代償を支払った。王族の身分を剥奪され、表舞台から追放された」

「……ん?」


 追放……?

 その後、俺を産んで死んだんだよな?


「驚くなよ。多分、お前の母親――王女は生きている」


 ◇


 ……考えが追い付かない。

 生きている?

 ずっと死んでいると思った、俺の母親が?


「無論、これも推測だが。……多分、合っている。死んだことにしただけ、だろう」

「……ふぅ、もう俺にはよくわからないな」


 俺はため息をつきながら、率直に答えた。


 そもそもが俺の生まれる前の話。ホールドも子どもの頃だ。

 後になって情報をかき集めて組み立てた推論にすぎない。


 嘘を付いているとは思わないが、このホールドの言葉だけでは何もできない。

 是非や真偽を判断するには、証拠が足りなさすぎる。


「ベルゼル兄さんも知っているのか?」

「ある程度は、な。お前の母親が王女であることは知っているだろう」


 王国そのものの騎士であるベルゼル兄さんにとって、この話はタブーだろうな。

 自分から口にはできなかったろう。


「俺の扱いについては、ある程度わかった……。だとしたら、この地に送り込まれたのは?」

「……推論の上の推論ならあるが」

「それでも構わない」


 ホールドが顔を伏せた。

 俺は貴族社会の流儀に疎い。人づてや書物でしか知らない。


「エルト、お前は知らないと思うが……貴族は辞めることができる」

「どういう意味だ?」

「かつてのここみたいな、無人の領地。今のおまえは違うが、少ない魔力でどうこうできるものじゃない。姓名を捨てれば、貴族ではなくなるが生きては行ける」

「……俺を貴族でなくさせるために、あえて送り込んだと? まぁ、わからなくもないが……」


 例えばここに来た当初。

 俺がギブアップして何もかもを投げ出しても、誰にもわからない。

 監視役もいないからな。今になっても家から手紙も来ない。


 仮に逃げたとしても、確かめる術はない。

 もちろん貴族として生きていくことはできなくなるが、他に生きようはある。


「普通に家から追い出せば良かったんじゃないのか? 回りくどい」

「例えば、本当に例えばだが……母親が迎えに来る手筈だったなら? 父上がどこかと何かの取引をしていたなら?」


 俺は押し黙った。

 ホールドは顔を上げて、静かに言う。


「……可能性の話だ、全てはな。だがあり得ない話ではない」

「否定はしないよ……」


 本当にそれしか言いようがない。


「これで俺の話は終わりだ。誓って、真実を探りに行くようなことはしないでくれ。お前にその資格はあるのだろうが、周りがそれを認めない」

「わかってる」


 俺がそう言った瞬間、応接間の扉がノックされる。


「もうかなりの時間になったか……」


 気が付けば相当に話し込んでいた。


「失礼します、夕食のご準備ができました」


 扉を開けたのはステラだ。


「ぴよ! おゆうはんぴよ!」

「はわ~……父上、行きましょう……!」


 オードリーがディアを抱えている。

 顔をゆるめて、ディアに頬すりしながら。

 隣にいるクラリッサもディアを撫で撫でしてるな。


 ホールドはぱっと明るい声を出すと、立ち上がった。


「ほう、もうそんな時間か。悪かったな。久し振りにあったので話し込んでしまった」

「へー、エルト叔父様とどんなお話を?」


 オードリーが恐らく、単なる好奇心で聞いてくる。


「いやぁ、単なる昔話だ。エルトは本を読むのが好きでな。ヴィクター兄さんより頭がいいんだぞ」

「ええっ!? あのヴィクター伯父おじ様より?」


 しれっとホールドが言い放つ。

 うーむ、この辺りはさすが生粋の貴族か。


「ああ、今もこの村のあれこれについて教えてもらった所だ。それと……このディアちゃんで面白い話があったよな?」

「ぴよ!?」


 ホールドはあくまで朗らかだ。

 自分で言った通り、さっきの話は終わりということだろう。


「ああ、ディアは水に浮くんだ」

「ぴよ……ういたりしずんだり、できるぴよよ!」

「えっ……それじゃ母上のご先祖様のお話って本当だったんだ!」

「あの海に投げ出されて、コカトリスに捕まって助かった……だよね?」


 クラリッサの確認にオードリーがぶんぶんと頷く。


「そう! 見てみたいなー! 水に浮くディアちゃんを見てみたーい」

「夕食を食べたら、どうでしょう? 見てもらったら……」


 ステラの言葉にディアがぴっとポーズを取る。


「いいぴよよ! ういちゃうぴよよ!」

「わーい! それじゃ、早く食べようー!」


 オードリーがいまにも駆け出しそうに、ぱたぱたしている。


「ああ、そうだな。夕食にしよう」


 気を取り直して、俺は立ち上がる。

 そうだな……まずは目の前のことだ。


 ステラが腕によりをかけたご飯だ。

 ありがたく食べなくちゃな。

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