第20話 なげきの姫君
今日も今日とて、リリンに嫌がらせをしてくるステラローズ様の幼稚さにため息を我慢しきれない。
リリンの使う机に罠を仕掛けたり、授業の偶然に見せかけて攻撃してきたり、やり方は選り取りみどりだ。そして今日の嫌がらせは二弾構造になっていて、無駄に手が込んでいる。
ニコラウス商会の新作ワンピースに広がるシミにリリンも困ったように首をかしげながら微笑んでいる。
いくらなんでもこれでは次の授業に行けないぐらいビショビショにされてしまっている。それも色がついている果汁だから魔導で乾かしてというわけにもいかない。
監視を兼ねた護衛騎士を撒いてまで、その重量のジュースを持ち歩いたステラローズ様の根性は認めるけど方向性が間違ってる以外の何物でもない。
本当に、あの王女様は義務を果たさないどころか、存在が迷惑だなんてどんなお育ちしていらっしゃるのか!イタズラ盛りの年齢の子ですらここまでのことはしない。
「いくらなんでも横暴が過ぎるわ、ラグエンティ嬢がどれだけステラローズ様を庇っていらっしゃるか、あの方はご存知ないんだわ」
「いつまでも幼い時分にいらっしゃるようで、水の神ハーヤエルに見放されているのです」
「困ったものだわ」
「時の神クィリスィエルでもここまでのイタズラはしないでしょう」
一緒にいたご令嬢たちから次々に出てくるステラローズ様への不満を窘めてからリリンがそっと息をつく。
「わたくし、ステラローズ様と仲良くなりたいのです」
「まあ、ラグエンティ嬢はなんてお優しいのかしら。光の聖女バルドゥナのようですわ」
「次の講義までに着替えてまいりますね」
「ええ、先生にはお伝えしておきます」
教室移動を共にしていたご令嬢たちと別れて、寮に向かう。
今日の天気は穏やかで、柔らかな日差しが降り注ぐさまは平穏そのもの。それを見ていると、リリンと私の平穏をかき乱そうと日々嫌がらせをしてくるステラローズ様への苛立ちがより募ってくる。
ぶんぶんと頭を振って嫌な気持ちを振り払う。私がこんなんじゃ、リリンはいつも気を抜けなくなっちゃう。
「ねえ、アンネ」
「どうしたの?リリン」
リリンの呼び掛けに応えて振り返ったときにはもう遅かった。
私の視界の端にうつるのは豪華なレースを重ねた袖。苦労を知らなそうな白い手が階段を昇っている途中のリリンを突き飛ばしていた。
「リリン!!!!」
一瞬がとても長く感じる。もう少しで手が届く、でも伸ばされた手に届かないことを確信する奇妙な間が過ぎたとき、救いの手が現れた。
「あなたを喪うのかと、思った」
間に合った自分の手が信じられないとでも言いたげなインディル様がリリンの手を握りしめていた。
「……あ、わたし」
「必ず護る」
インディル様が階段の踊り場までリリンをエスコートしてくれたところで、今になって危険な目にあっていたと自覚が降りてきたらしいリリンの目に薄らと涙が浮かぶ。
ふと、インディル様が降りてきた方向を見上げると、こちらを見ているクリストファー殿下とエンリル様と目が合った。
裕に四階は上の教室だろう。一体どんな視力と身体能力をしていたら今の一瞬に間に合うのかわからない。目の前で見ていたはずの私ですらリリンの手を掴めないと思ったのに。
でも、リリンが無事で良かった。
安堵してふうと息を吐いたところで、逃げようとするステラローズ様を見かけて追いかけようとするもインディル様に止められた。
「先ほどのことは記録している。だから、アンネマリーはリリンとともに。その」
視線を逸らしながらリリンにそっとご自身のマントを掛けたインディル様は言葉を濁したものの、言いたいことはよく伝わった。
孤児院の子どもたちと違って、貴族の令嬢は薄着をしたり、手足を出してかけっこしたりすることはない。
どういうことかと端的に言えば、インディル様は意図せず想いの人の破廉恥なお姿を間近で見ることになってしまって照れているらしい。
大人顔負けの強さを誇る騎士様が敵わない相手がリリンだということを思い出して、少しだけ楽しい気分になる。
こうして普通の人よりも人間らしい情緒を見せてくるから私はインディル様のことを怖いと思いきれない。
「もう大丈夫よ、リリン。一度、お部屋に戻りましょう」
「うん」
ぎゅっと私の手を握ったリリンの手は細かく震えていた。
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