ママ

掃除するから庭に出てなさい

ママに言われ僕は靴を履く。

右と左、間違えないように履かないとママに叱られるから僕は慎重に靴を履く。

うっかり間違えるとお昼ごはん食べられなくなるもんね。

僕はねこちゃんのついたお気に入りの赤いボールを持って玄関のドアを開ける。

外は夏の日差しが強く、僕は帽子を取りに戻ろうかと思ったけど戻るとママに叱られるので暑いけどがまんすることにした。

ボールをポーンと地面につくとキューッと面白い音がするから僕は何度も何度もキューッていわせてたけど、何度か繰り返すうちに僕の足にぶつかってねこちゃんのボールがコロコロと庭の裏へ転がっていった。

裏庭は草がたくさん生えてて日が射さないからひんやりしてるし、バッタやトカゲがいるから大好きなんだけど、ママに危ないから行くなって言われてるからなかなか行けないんだ。

ママに言ってこようかと思ったけど、今日は機嫌が悪いから黙っていくことにした。

だってママが機嫌が悪いときに話しかけると押し入れに閉じ込められちゃうもん。  

僕は家の中を窺い電話に夢中なママを確認するとそっと裏庭へ向かう。

生い茂る草を掻き分けねこちゃんのボールを探していると突然キューッと音がした。

僕が音のした方へ慌てて向かうと床下の換気用の穴を塞ぐフェンスが壊れてて中からキューッともう1度音がした。

床下は暗く、目が慣れてくるとギリギリ手が届きそうな所にねこちゃんのボールがコロンと揺れていた。

穴の開いた換気口に手を突っ込むとひんやりして気持ちいい。

僕は一生懸命手を伸ばしたけどあと少し手が届かない。

あと少し…思い切ってもう少しだけ手を伸ばすと指先をコンクリートで擦った。

びっくりして手を引っ込めると指先から血が出ていた。

泣きそうになったけど、もうすぐいちねんせいになるから泣いたらランドセル買ってもらえないし、ママに叱られるので下唇を噛んで我慢した。

でも、ボールが取れないともう遊べない。

悲しくて今にも涙が溢れそうになったとき、ねこちゃんのボールがまたキューッと鳴った。

慌てて換気口を覗き込むとボールが少しだけ近づいている。

やった!取れる!

嬉しくなって手をのばすとボールの向こうに何かが見えた。

もやもやっとしてちょうどボールと同じくらいの大きさの影。

前、お母さんが話してたまっくろくろすけかな。

まっくろくろすけにお礼を言うとにぃーっと真っ白な歯を見せて笑ったから、嬉しくなってもう1度手を伸ばすとまっくろくろすけは怪我をした僕の指先を真っ赤な舌でぺろりと舐めてくれた。


僕がまっくろくろすけにいろんな話をしてたらママの呼ぶ声が聞こえた。

しまった!見つかっちゃう!

まっくろくろすけにバイバイをすると急いで玄関に戻る。

ママ、あのね…

ねこちゃんのボールが転がっていった話をしようとしたらママの顔がすごく怖くなった。

きたない子は洗わないといけないわねとママは鼻歌まじりで僕をお風呂へ引きずっていく。

痛いよママって言うとママは怒るだろうから僕はまた唇を噛んで掴まれて締まったシャツの首を少しだけ動かして息ができるように頑張った。


バスタブに水がざぶざぶと音を立てて溜まっていくのを見ながら入りたくないとママに言おうと思ったけど怖い顔で鼻歌を歌うママの横で震えることしかできなかった。

水がなみなみとバスタブを満たし僕は洋服のまま放り込まれる。

ママは鼻歌まじりのまま僕を力まかせにバスタブの底へ押しつけようとする。

息ができず水もたくさん飲んで僕は暴れたけどママの力には敵わなくてだんだん頭がぼーっとしてきた。

お母さん…

僕はいなくなった本当のお母さんのことを思い出していた。

僕が幼稚園に入る日、家からいなくなったお母さん。

優しくていろんなお話をしてくれたお母さん。

あ、まっくろくろすけ!

僕はまっくろくろすけのことを思い出して少しだけ元気が出た。

暴れてバスタブの栓が抜けて水が減ってきたので僕は咳き込みながら叫んだ。

まっくろくろすけ、本当のお母さんを連れてきて!

排水口から黒いもやが出てきて人の形になりだした。

まっくろくろすけ!

まっくろくろすけが人の形になりママの足元から這い上がっていくと僕を掴んでいたママの手が外れる。

ママは眼を見開きまっくろくろすけに向かって違う私じゃないって言ってる。

やがてまっくろくろすけがママをすっぽりと覆うとママの声はぴたりとやんだ。

まっくろくろすけ!

助けてくれたんだね、ありがとう!

ママの姿になったまっくろくろすけはにぃーっと真っ白な歯を見せて笑った。






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