第16話 彼女をクラスのアイドルに
勇者学校の中庭、わずかばかりの花が咲く庭の片隅にその少女はいた。
一振りの剣を構え、何もない空間に刃を走らせる。
彼女が相対しているのは仮想の獣。
おそらくは以前の狩猟訓練で俺たちが狩った、巨大な熊のようなものを相手にしている。
振り下ろされた見えない腕を断ち、頭上にあるであろう首を落とす。
――そんな敵が、俺にはたしかに見える気がした。
「張り切ってるな。調子はどうだ」
声をかけながら近付く俺に、ミカドは振り返る。
「……あんまりよくないね。勝てる気がしないや」
そう言って彼女は剣を鞘にしまう。
どうやら仮想イメージ相手の戦績はあまりよろしくないらしい。
彼女は俺の方に向き直って、首を傾げた。
「何か用かな?」
「……この前の約束を果たしてもらおうと思ってな」
「約束……?」
聞き返す彼女に、俺は頷く。
「『負けた方が勝った方の言うことを聞く』――だったよな?」
俺の言葉に「あっ」と彼女は声を上げた。
彼女は視線を逸らすと、気まずそうに笑う。
「……あれは勝ち負けには入らないんじゃないかな~、って思うんだけど……」
「お前が『負けてない』と言い張るなら、俺はべつにそれでもいいが。お前がそれで納得するなら、俺は気にしない」
「うっ」
彼女は言葉を詰まらせる。
……よし、相手のプライドに訴えかける作戦は成功したようだ。
彼女は「うーん」としばらく唸った後、おずおずと口を開く。
「……わかったよ、わかった。あれはうちの負けだよ。……『なりかけ』の死体処理は手伝ったけど、そんな大物を倒されておいてこっちの勝ちだなんてことは言えないよねー、そりゃさ」
彼女はそう言うと、困ったような表情を浮かべる。
そして少し顔を赤らめた後、チラリとこちらを見た。
「……でも、えっちなのはだめだからね?」
「俺をなんだと思ってるんだ」
一瞬彼女の大きめな胸に目は行きかけたが、俺は必死で自身の眼球の運動を抑えつける。
俺の強い意志はその誘惑に耐えきり、無事目を閉じることに成功した。
……まあただの口約束だし、約束を反故にしたって誰も文句は言わないのだから、言うことを聞いてくれるかどうかは彼女の良心の問題だ。
元より彼女に無茶なお願いをするつもりはなかった。
俺は腕を頭上に上げて、その先を彼女に向けてゆっくりと下ろす。
「――お前を、クラス委員に任命する!」
人差し指で彼女をビシッとさして、そう宣言した。
彼女は目を丸くしてこちらを見つめる。
「……は?」
彼女は疑問の声を上げる。
俺は理解が追いついていない彼女の様子に構わず、言葉を続けた。
「……ノンが最近上級クラスの面々とも仲良くしているのを知っているか? あいつが心配していたんだ。『上級クラスの空気がピリピリしている気がする……』と」
「……ふむ」
俺の言葉に、彼女は考えるような仕草を見せた。
思い当たる節があるのだろう。
ノンの情報は嘘ではない。
ユリウスが俺たちにその鼻っ柱をくじかれたおかげで、今上級クラスは新たなグループの統廃合とヒエラルキーの構築が行われている真っ最中だ。
それゆえに今、上級クラスの人間関係はぎこちなさからギクシャクしているはず。
――そこに、ミカドを介入させる。
「お前には影のクラス委員として、他の上級クラスの仲間たちの間を取り持ってもらおうと思ってな。何、簡単なことだ。みんなの話を聞いてやるだけでいい」
元々ミカドは自ら前に出ようとする性質ではないだけで、ユリウスと違ってその性格は悪くない。Sランク能力者で狩猟訓練も一位という実績も持ち、外見も良いし一周目の様子からすると頭もいい。
多少口下手なところを直して積極的に話しかけるだけで、彼女なら上級クラスのリーダーになれる素質を十分持っていることだろう。
だが俺の提案に、彼女は困惑したような表情を浮かべる。
「……なんで別クラスのロイさんがこっちのクラスのことを気にするの?」
――む。
鋭い。
まさか「ユリウスが憎くて憎くて仕方ないからどうにかして奴をリーダーの座から引きずり下ろしたい」と正直に言うわけにもいかない。
……いいだろう。
俺が夜な夜な練習していた、超絶な演技力を見せてやる……!
この俺の偉大なるコミュニケーション能力を味わうがいい!
「心が……痛むんだっ!」
俺は腹から声を出して、中庭全体に響くような叫びを上げた。
「俺たちが偶然魔獣を退治してしまったばかりに、本来は俺たちなんかよりも才能ある上級クラスのみんなが自信を失ってしまったとしたら――申し訳ない!」
涙声で、天を仰ぐ。
「俺もウィルも、そしてノンも、みんながいつも通りの笑顔になれることを心から祈っているんだ!」
大きく手を広げて、天に祈りを捧げる姿を体全体で表現した。
「それが俺の――望みだぁーーっ!!!」
――完、璧……!
これぞ相手の心に響く芸術的なコミュニケーション!
俺の魂の叫びが、ミカドの心を震わせたであろうことは間違いない。
ミカドはあまりの感動にか、ぽかんと口を半開きにしてこちらを見つめていた。
彼女はまるで口に入れた木の実がただの虫だった時のような表情でしばらく固まった後、小さく頷く。
「……なるほどね。優しい彼女さんの為ね」
「何を聞いていた。そして誰が彼女だ。ノンとはそういう関係ではない」
俺は即座に否定する。
あらぬ噂を立てられては、あいつも迷惑だろう。
彼女は「えー?」と疑うような声を上げつつ笑った。
「そうなんだー。そっかー。ふーん……ま、そういうことならちょっとだけ協力してあげてもいいけどね」
……何か勘違いしているんじゃないだろうな、こいつ。
まあ何はともあれ、その気になってくれたなら幸いだ。
――扱いやすい人間は助かる。
「……なら後は頼んだぞ」
「え? あ、ちょ、ちょっと待ってよ。そうは言っても具体的にうちは何をしたらいいの?」
慌てる彼女の言葉に、今度は俺が首を傾げる。
「言った通りだ。上級クラスの仲を取り持てばいい」
「いやいやいや……全然具体的じゃないよ。漠然としてるよ。その辺の雲よりずっとふんわりしてるよ。もっと細かく言ってくれないと、うちには難しいことだって」
……ふむ。たしかに少し指示が曖昧だったか。
俺はクラスをまとめ上げる為にどうしたらいいかを考える。
「そうだな……まずはたくさん話しかけろ。何でもいいからとにかく話を聞け。情報を集めろ」
「ムリムリムリムリ……。そんなの相手だって暇じゃないし、突然質問攻めしても失礼でしょ……。うち、喋るのそんなに得意じゃないし……」
そういえば彼女は一周目では寡黙なキャラを貫いていた。
こうして話す分には会話が苦手という風でもなさそうなので、おそらくは本人の気持ちの問題だろうが……。
……しかし参ったな。
当然だが俺は百年の間、言葉も通じない魔獣と殺し合いを繰り広げてきたわけで、人と人とのコミュニケーション能力に長けているわけではない。
コミュ力が高い奴といったら――やはりノンか。
あいつを参考にしよう。
彼女の言動を思い出す。
ノンがクラスでしていることと言えば――。
「――挨拶だ」
「……挨拶?」
ミカドの言葉に俺は頷く。
「そう、挨拶をしろ。挨拶ならこちらから話しかけても怪しまれないし、一言で終わるので時間も取らせない。そこから話ができそうであれば話せばいいし、そうでなければ次の相手を探せ」
頭の中で、ノンの行動や言葉を考察する。
あいつを真似すれば、ミカドのコミュ力も向上するはずだ。
「挨拶だろうがなんだろうが、言葉を交わせば人は相手に敵意がないと感じる。最初から仲良くしようと話を広げるより、顔を見る度に挨拶して声をかけろ。そうすれば『自分に興味を持っている』と思ってくれて勝手に話を始めてくれるはずだ。小刻みに好感度を稼げ」
特にミカドはSランクの優等生だ。
声をかけられて嫌な奴など誰も居ないだろう。
そうして次第に打ち解けていけば、彼女を頼る人間も出てくるはず。
一度信頼を築けば、彼女が上級クラスのリーダーとなる日も遠くはない。
その他にノンがしていることは――。
「……そしてもう一つ、相手を観察しろ」
「観察?」
ミカドが首を傾げる。
「そうだ。相手の髪型、体の傷、服装の違い、動きの違和感……人と違うところ、いつもと違うところを見つけ出せ。変化に気付けば相手はお前が『自分のことを見てくれている』と感じる」
もちろん過剰に監視しては気持ち悪がられるだろうが。
その辺のバランスは、ノンがとても上手かった。
「たとえば『体調不良』を見つけたら気遣ってやれ。他にも『努力の痕跡』を見つけたら、相手を褒めろ。外見のオシャレや訓練など、人は頑張った行為や自分の選択を褒められると喜ぶ。結果ではなく、相手の行動と意思を褒めるんだ」
……おそらく、ノンが意識的にやっているのはそういうことだ。
そんな数々の技術を駆使して、あいつは人と仲良くなるのだと思う。
――改めて分析すると、あいつちょっと気持ち悪いな。
参考にさせてもらっておきながら失礼なことを考える俺の言葉に、彼女は感心したように頷いた。
「……すごいね。言われてみると、たしかにそうかも」
「そうだろう。……お前も才能に慢心せず、毎日のように剣の訓練をしていて偉いぞ」
「――うぇへへ。本当だ、それ言われると嬉しいやつ。ありがとう」
ミカドは俺の言葉に破顔して笑う。
……こんな適当な言葉でもいいらしい。チョロい。
彼女は微笑んだあと、頷いてみせた。
「それならうちでもできそうだし、みんなに話しかけてみるよ。……まずは挨拶から」
「ああ、頑張ってくれ。努力家のお前ならできるよ」
「えー、そうかなー……んふー」
まんざらでもなさそうにミカドは笑う。
どうも褒められ慣れていないのかもしれない。
……可愛い奴。
俺がため息をつくと、彼女は何かを思いついたように「あ」と声を上げた。
「……もしかしてロイさん、うちにそれを教える為にあの約束を引っ張り出してくれたの? この前、訛りが気になってあんまりみんなと話せないってうちが相談したから」
……あれは相談だったのか。
俺は首を横に振る。
「そんなことはない。ただ――その方向に進んだ未来が見たかったから、お前に頼んでみただけだよ」
俺の曖昧な返事に、彼女は笑った。
「ありがと、ロイさん。うち頑張ってみんなと仲良くしてみるよ」
彼女はそう言って、にこーっと笑った。
……まあこの笑顔なら、すぐにクラスのみんなとも馴染めることだろう。
俺はそんなことを考えつつ、彼女と別れて自分の宿舎に戻るのだった。
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