第17話 全てを断ち切る刃

 心臓、ドキドキ。

 深呼吸、スーハー。

 足は止めずに、カツ、カツ。

 真っ直ぐ前見て、――せーのっ!


「おはよー!」


 元気よく、挨拶。

 浮いてない? 大丈夫?

 心臓、落ち着け。

 相手は――笑顔!


「おはよう、ミカドさん」

「――うん! いい天気だね!」

「だねー」


 成功、いぇーい!


 朝から少し元気になる。

 ロイさんに言われた友達と仲良くなる秘訣を実践して一週間。

 少しずつ、だけど確実に。

 クラスのみんなとの距離は縮まった気がする。

 もしかしたらうちの気のせいなのかもしれないけど。


「ミカドさんの『おはよー』で元気もらえる気がするよ」

「えー? 逆だよ逆ー! うちがもらってるからっ!」


 正直言って、朝はぼんやりするしテンションも上がらないし苦手だ。

 だけど人と話をすると少しだけ元気を分けてもらえる。

 少しが積み重なって心から元気になれる――そんな気がした。


「今日も一日、それなりにがんばろー」


 うちの言葉に、挨拶をした相手の彼女は笑う。

 少しずつ、一歩一歩。

 うちらのクラスは前に進んでいる気がした。


「――おはよー!」


 授業の前にクラスのみんなに挨拶をし続けていく。

 大きい返事、小さな返事、丁寧な返事、ぶっきらぼうな返事……いろいろな返事が返ってくるけれど、そのどれも迷惑そうな感じはしなかった。

 最近は顔と名前の一致に加えて、性格もうっすらとわかってきて、少なくともうちからは話しかけやすくなっている。

 そんな状態になって、気付くことがあった。


「おはようございます」


 丁寧に笑顔で返してくれたのは、いつもおしゃれな金色のロングヘアーの女の子。

 名前はリント・ホース。Aランクスキル『転移門』の能力者で、内地の貴族の出身だからかその物腰は穏やか。

 うちみたいな荒くれ武者の僻地出身とは違って、いいとこのお嬢様なのが見てとれるふんわりとした子だ。

 ――だけど。


「……あれ、リントさんどっか悪いの?」


 つい、そう返してしまった。

 彼女の周囲の友人たちが「え?」と困惑しながら、彼女に視線を集中させる。

 彼女は周りの視線を気にしつつ、「いえ、その……」と言葉を詰まらせてしまった。

 ――しまった、踏み込みすぎたかな。

 ロイさんが「観察しすぎると気持ち悪がられる」と言っていたのに、失敗してしまったらしい。


「――ごめんごめん、何でもない! 変なこと言ってごめんね」


 一言謝りつつ、その場を後にする。

 そんなうちの手を後ろから捕まえたのは、他ならぬリントさんその人だった。


「……あの」


 彼女はいつも浮かべている穏やかな笑みを消して、真剣な表情でこちらを覗き込んでいた。


「――後で、二人でお話しませんか?」


 ――挨拶して声をかけろ。そうすれば『自分に興味を持っている』と思ってくれて勝手に話を始めてくれるはずだ。

 ロイさんの言葉が頭の中を、右から左に走っていった。



 * * *



「わたし、勇者を続ける自信がなくて――」

「……はぁ」


 お昼休みの中庭の隅っこで二人、食堂で作ってもらったパンをかじっていた。

 まさか本当に相談を受けることになるなんて思わなかったよ。

 ……相談のされ方なんて聞いてなかった。

 よくわからないので、仕方なくうちは適当な相槌を打つ。


「最近は森の方で魔獣をちらほら見かける……なんて噂もあるし怖いよねー」


 この前の狩猟レースで出た『なりかけ』以外にも、頻繁に魔獣を見たという目撃情報が街には飛び交っていた。

 噂は噂だけれども、そんな噂は人に不安をもたらす。

 そんなうちの言葉に彼女は真剣な眼差しのまま頷いた。


「……はい。授業もついていけるかわからないし、この先魔獣と戦う戦場に繰り出されるのかと思うと……不安で」

「うんうん」


 とりあえず同意する。

 人に喋ることで解決する悩みもあるかもしれない。

 ……しかし。


「でもやめるわけにもいかないし……どうしたらいいかなって」

「……そっか~。大変だな~」


 完全に他人事ひとごとに対する感想を言ってしまう。

 心なしか、彼女の表情も優れないままに見えた。

 適当にあしらわれている……と思わせてしまっただろうか。

 そんなつもりはないのだけど、実際他人事だしなー。

 半ば無理矢理家を飛び出してきたうちとしては、彼女の気持ちを理解することはできないのだろうと思う。


 ……少し励ましてみる?

 当たり障りのないレベルで、元気付けてみよう。


「一緒に頑張ろうね!」

「……うん……」


 はい失敗!

 彼女は暗い顔でうつむいてしまった。

 ……あーもー! どうしたらいいんだー!

 やっぱりうちにクラスのみんなをまとめるなんて無ー理ー!

 うちが心の中で叫んでいると、彼女はゆっくりと立ち上がった。


「……お時間取らせてごめんね、ミカドさん。ありがとう」


 彼女はそう言うと、こちらに背中を向けて歩き出す。

 ……うー、どうしたら良かったんだろう……。


 後悔しながら彼女の背中を見つめて――そして気付く。

 ……そうだ。忘れてた。

 うちは立ち上がり、去りゆく彼女に駆け寄った。


 ――『観察しろ』。

 ロイさんの言った言葉が、頭をよぎる。


「――リントさん!」


 その手を掴む。

 彼女はそれに驚いて振り返った。


どうしたの・・・・・?」

「……あ」


 ――彼女はうちが握った方とは逆の、左腕を庇っている。

 それは最初に挨拶したときに気付いた違和感だ。

 振り返ったときの彼女の姿勢の崩れ。

 僅かな体幹のズレではあったけれど、幼い頃から剣術を学んでいたうちにはわかる。

 ――彼女は、怪我をしている。


「……昨日までは大丈夫だったよね。でも怪我をするような実技授業は昨日無かった」


 リントさんは俯く。


「辞めたいのは、それが原因?」


 勇者学校は何もスキル持ちを強制的に収容される場所ではない。

 国の為、名誉の為、金の為――さまざまな想いを胸に、生徒は集まる。


「――痛いのが嫌なら、辞めてもいいと思うよ?」


 勇者の道を諦めるのも、道の一つだ。

 しかしその言葉に、彼女は首を振った。


「違う……違うの」


 そうだ、それは違う。

 なぜならその怪我は授業でついたものじゃない。

 彼女が傷ついているのは、体じゃないんだ。


「……何があったか、教えて?」


 できるだけ優しく語りかける。

 彼女はゆっくりと話し始めた。


「――ユリウス様に、叩かれて」


 ……あのボンボン……!

 うちが顔を歪めると、彼女はすぐに首を振って否定する。


「でも、違うの……わたしがトロいからで……もっとちゃんとしてれば……」

「……そんなことないよ」


 思わず彼女の頬を撫でる。

 これまでも幾度か殴られているのかもしれない。


「あいつに近付かないようにしなよ。何かあったらうちに言えばいい」


 しかしその言葉に、またも彼女は首を横に振る。


「ダメ、ダメなの。学校に通っている間はそれで何とかなっても……わたしはきっとあの人と結婚させられるから」

「……けっこん」


 わーお。

 許嫁いいなづけってやつ?

 リントさんもユリウスも、内地の貴族出身だったはずだ。

 貴族同士はたしかにいろいろと家柄だとか家督だとか面倒くさいことがこんもりある。

 ……うちはそこらへん、全部兄貴にほっぽり投げてここに来たんだけども。

 ――でも、それならなおさら。


「……勇者として実績を残せば、そこらへん無視できるんじゃないかな」


 それは一つの解決策だと思う。

 英雄としての実績は、貴族という地位よりも大きなものだ。

 女一人で生きていけるようなら、家に縛られる必要はない。


「……ダメよ。きっと無理」

「どうして?」

「それは……」


 彼女が言い淀む。

 そして、ゆっくりとその心情を吐露し始めた。


「バカバカしい話かもしれないけど……きっとこれは『運命』なの。ユリウス様とは小さい頃から知り合って……それでも何度も彼とは距離を取ろうとしたのに……。今だってそう、学校だって、クラスだって、必ずあの人と巡り会ってしまう」


 ……そんなバカな、と言いかける。

 しかし彼女の真剣な表情を見てやめた。

 きっと彼女にとって、それは真実なのだ。

 何度逃げても必ず出会ってしまう、逃れようのない鎖――。


「きっとわたしは――どこに逃げても、一生このままなの」


 家に縛られ、運命に縛られ、そして自分の気持ちに縛られた可哀想な少女。

 ――正直に言って、彼女が見ている世界は狭いと思う。

 内地の貴族としての常識や、人間関係に縛られている閉じた世界。

 だけれども、きっとその世界が彼女の全てなんだ。

 『あなたは悲劇のヒロインじゃない』なんて言ったところで、きっとその言葉は通じない。


 ――ならどうする?

 うちに何かできることはある?

 ただ彼女の気持ちを聞いてあげることしかできない?


 ――嫌だ。

 だってそんなの、悲しいもの。


 考える、考える、考える。

 こんなとき、大人なロイさんならどうする?

 ロイさんの言葉を思い出す。

 『努力の痕跡』、『毎日剣の訓練をしていて偉い』、『その方向に進んだ未来が見たかった』――。

 以前いろいろと交わした雑多な言葉をたぐり寄せる。

 ……うちが目指す未来は――。


「――あなたは、逃げだそうとしたんじゃない。何度も何度も、がんじがらめになった鎖を断ち切って、前に進もうとしたんだ」


 うちの言葉にリントさんはゆっくりと顔をあげる。


「偉い、すっごく偉いよ。……だからうちも、それを応援したい」


 腰に差した剣を抜く。

 常に帯刀しているのは癖のようなものだけど……今回はそれが助かったかも。


「うちの能力はあらゆる物を斬る力」


 それは同級生ならみんなが知っている事実。

 たった一人のSランク。

 物を斬るだけの、応用の利かない戦闘能力。

 ……だけど。


「……うちにはそれしかないから。だから――あなたの運命を断ち斬る」


 そんなことができる器用な能力じゃない。

 ――でも、たとえ嘘でもそれが彼女を救うなら。


「――隷属れいぞくせよ乖背かいはいつるぎ――」


 詠唱と共に手に力を込める。

 刀身に魔力が宿った。


「そのえにし、断ち切らせてもらう――!」


 ……彼女の不幸な運命を、切り裂け――!


「――『斬裂』!」


 剣を振るい、彼女の周囲の空間を斬る。

 何もない、何も斬っていない。

 ――だけど、斬った。

 風が吹き、二人の間に沈黙が流れる。


「……これで彼との縁は断ち切れた。二度とあなたに繋がることはない」


 その言葉に、彼女は呆然とした表情でこちらを見つめる。

 ……そして、ひとしずくの涙をこぼした。


「……本当、に……?」


 彼女の言葉に頷いてみせる。

 ――ごめん。それは嘘、嘘なんだ。

 でも。


「……あり、ありが……とう……!」


 彼女は顔をくしゃくしゃに歪めて、涙を流し始める。

 ぽろぽろと涙を流す彼女の顔を抱き寄せて、胸を貸した。


「大丈夫……もう大丈夫だよ。これでも何かあるようなら、うちに相談して」

「……うん……! うん……ごめんな、さい……それに……ありがとう……!」


 彼女はうちの胸に顔を埋めて、涙を流し続ける。

 ――きっと、彼女の心を縛る鎖を斬れたんだと思う。


 うちは胸の中で泣く彼女の頭を撫でながら、空を見上げた。

 ――クラス委員の仕事って、これで良かったのかな? ロイさん。


 優しく頬を撫でる風が、まるでロイさんの代わりにその問いかけに応えてくれているかのようだった。

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