第9話 強くてニューゲーム
勇者学校に入学して――俺が時を遡って、数日が経った。
昼にユリウスと衝突して以来、比較的穏やかに過ごせたといっても過言ではない。
勇者学校は国の期待を背負った集団なので授業内容は過酷だが、一周目に比べれば随分とマシである。
一周目に既に経験したことではあるし、卒業してからの一年と百年余りの期間の地獄に比べれば、命に危険がない学校生活は天国のようなものである。
……とはいえ全てが順風満帆とは言えないのだが。
「平民に魔術を教えるのは本意ではないのですが――これも国としての方針の為、特別に教えるということを肝に銘じておいてください」
教壇に立つローブ纏った魔術教師――エイリオは突き放すような口調でそう言い放った。
勇者学校の北側に位置する魔術
何名かの職員が学校の教師を兼任しているおり、学校と敷地が隣接している――というよりも、元々魔術研究所のあった場所に勇者学校を建設したというのが正しい。
俺たちの使う宿舎が古いのは、研究所の職員たちが長年使っていたものを流用していた為でもあった。
エイリオはその中でも生粋の魔術師として研究所に所属していたはずだ。
幼い頃から魔術師として一線で活躍しており、修行期間が如実に腕として現れる魔術師の中でも指折りの大魔術師として数えられている。
……とはいえその性格には難あり、というのが大多数の生徒の認識だろう。
「本来魔術は貴族に許された教養、平民を統制する為の力として身につけるものです。勇者という肩書きを持ったからといってあなたたち平民がみだり使うことを許されたわけではないので、濫用はしないように。――ああ、マキリアさん? 君は良いのですけどね。期待していますよ」
と、エイリオはその顔にいつもは浮かべない笑みを浮かべ、俺の隣に座るウィルへと話かけた。
……マキリア?
エイリオの言葉に対してウィルは苦笑する。
「せ、先生。期待されんのは嬉しいけど、俺んちはもう――」
「何を言うのです。あなたのお父様は立派な貴族でしたよ。これからあなたも平民たちを指導する立場になるのです」
エイリオの言葉に、ウィルは「うへぇ」と小声で呟いた。
……どうやらウィルは意外にも、生まれがいいところらしい。
エイリオはこほん、と咳払いをしつつ下級クラスの生徒たちの顔を見回す。
「安心してくださいマキリオさん。あなたのスキルはEランクと判定されたものの、スキルは魔力の扱い方を学ぶことで飛躍的に成長する可能性があります。きっと高貴な血が流れるあなたのことですから、これから成長することでしょう。この下級クラスにおいてはあなただけが希望の星です。是非平民の方々を導いてあげなさい」
エイリオは明らかに贔屓する話をして、ウィル自身もまたそれに困ったように乾いた笑いを浮かべていた。
――行きすぎた貴族主義なんだよな、こいつ。
エイリオの授業態度に俺はため息をついた。
一周目でもそうだったが、こいつの平民差別は非常に激しい。
平民出身の生徒が何か聞いても皮肉混じりに返されるし、とにかく平民というだけで下に見られる。
それ故に彼の授業を真面目に受けない生徒はクラス問わず多いし、彼が担当である入学時のスキル判定も貴族が不当に評価を上げられているのではないか――という不正疑惑もあったほどだ。
「それではまずは魔術の初級訓練からいきます。まああなた方平民には困難過ぎてまともにできるとは思いませんが、それは仕方ないことです。何せ平民ですからね。何も期待しませんので、言われたままにこなしなさい」
そう言って彼は授業の準備を始める。
……口は悪いが、ある意味彼の授業は一部の生徒にウケがいい。
エイリオは平民相手に一切期待していない為、平民が落ちこぼれるのが当然だと思っている。
その為、課題を出してもまともに成果は見ない。
授業中寝ていても一切注意はしない。
――なぜなら平民は何を言っても成長しないから。
それが、彼の言い分だ。
なので不真面目な生徒にとって彼の授業はお昼寝タイムであり、好きな先生の一人なのである。
元々勇者とは、先天的な魔術とも言える『スキル』を生まれ持った人材のことだ。
わざわざ覚えるのに時間が必要な魔術を習得する必要性はほとんどない。
一周目の俺もそれに洩れず、魔術の授業は真面目に受けていなかった。
――だが今回は違う。今回は、全ての知識を吸収してやる。
エイリオの指示に従い、生徒たちは魔術用のフラスコを手にとり、水を注いでいく。
俺も同じようにして準備をした。
エイリオはやる気のなさそうな顔で生徒を見回すと、気怠げに授業の内容を説明しだした。
「魔術とは外なる魔力と自身の魔力を共鳴させ、外界の現象を操作する力です。内なる魔力を用いるスキルと違い、詠唱や動作という儀式、術式を行使することで誰しもが同じ力を引き出せます。今回はその初歩の初歩として水精霊の力を借ります」
今回は水に魔力を込め、振動させるという簡単な魔術だ。
上手く魔術が発動すれば、水面に綺麗な波紋ができる。
上達すれば少量の水を操れるようになり、さらに術式も含めて研鑽を積めば空中や物体から飲み水を取り出したりすることもできるらしい。
エイリオは詠唱を始める。
「――海を
彼の呪文とともに、彼の目の前のフラスコの中の水に三重の波紋が浮かび上がった。
まるで
それにエイリオは多少得意げな顔を見せつつ、生徒たちへと視線を向けた。
「さあ、見よう見まねでいいのでやってみなさい。あなた方にできるとは思いませんが」
余計な一言を付け加えながらも、エイリオはそう生徒たちに促した。
授業で教える呪文は初心者用に組み立てられた彼のオリジナル術式らしく、三十代半ばという若さということも相まって彼は魔術師の業界では天才と呼ばれていたはずだ。
……俺がそれを知ったのは、学校を卒業してからのことだったが。
少なくとも魔術の腕において、彼は信頼できる。
周りを見れば早速、術を試している者たちがいた。
ウィルはいまいち水面に動きがあるかどうか怪しい。
ノンは比較的綺麗な波紋が浮かんで、隣の女子生徒と喜んでいるようだった。
「……さて」
俺はフラスコに手をかざし、精神を集中する。
俺は魔術についてはド素人だ。
しかし、幾ばくかの自信があった。
「海を
瞳を閉じる。
暗闇が広がった。
――スキルは魔力の扱い方を学ぶことで飛躍的に成長する可能性があります。
それはエイリオが言った言葉だ。
もしもその言葉が正しいならば。
「水源を泳ぎその力の片鱗を――」
スキルも魔術も、仕組みとしては同じく魔力を扱い外界へと働きかける力だ。
――魔術を扱う者にスキルを扱う才能があるというなら、一流のスキル使いもまた魔術師の才能あるということ!
俺は目を見開く。
ぽこり、とフラスコの水面に泡が生じた。
――まだだ。
まだ……見えるはず!
瞳のピントを合わせるように、事象の
水という概念を掴む。
それは砂時計を反転させるイメージのように――!
「――見せよ!」
瞬間。
焼け石に水をかけたときのような音と共に、フラスコの水が水蒸気となり注ぎ口から勢いよく飛び出た。
水蒸気が一瞬辺りに広がったと思うと、すぐに元通りの水となって辺りに散らばる。
びしょ濡れとなった机と床に、エイリオを含めた教室中の視線が集まった。
「す、すっげぇ……」
隣の席に座っていたウィルがそう声を漏らす。
――思ったよりも上手くいったらしい。
……いや、少々やり過ぎたか?
「……なあなあ、どうやったんだよ今の!」
ウィルの言葉に俺は首を傾げてみせる。
「……さあな。よくわからん」
「なんかコツとかあんだろ? もったいぶらずに教えてくれよ~」
魔力の使用は人によってイメージが違うらしい。
自分のイメージを教えることでウィルのイメージの邪魔にならないよう、言葉に注意を払いながら説明する。
「……俺の場合は、何かを掴むイメージだ。概念とか、そういうものを」
「掴む……? なるほど、おっぱいを揉むようなイメージか?」
「違う。断じて違う。お前は魔術師が魔術を使う度におっぱい揉んでると思ってるのか」
「俺だったらその方が精神集中できる気がする」
「……ならそうしてみろ」
「マジ? じゃあ心の中でおっぱい揉みまくるわ俺」
「他人に迷惑はかけるなよ」
ウィルとそんなバカ話をしていると、突如頭上に衝撃が走った。
「あだっ!」
「いっつ!」
ウィルと俺が同時に声を上げる。
「授業中に卑猥な話をしているんじゃありません」
どうやらエイリオに、彼が持つ細長い杖で頭を叩かれたようだった。
――悔しいが、今回はあちらの言い分が正しい。
ため息をつく俺に、エイリオは背を向ける。
「……まあ、平民のくせに多少魔術の素養はあるようですね。あなたには特別の課題を与えるので、覚悟しておくように。それと後片付けも自分でしなさい」
エイリオはそんなことを言いながら、ぞうきんをこちらに投げつけた。
俺はため息をつきつつ、それを取って拭き掃除を始める。
そんな俺に、ウィルと同じく魔術を教えてくれと同級生たちが周りに集う。
エイリオの生徒たちへの態度が悪いこともあいまってか、目の前にいる教師を差し置いて俺へと皆が群がってくるのだった。
……まず覚えるのは、力をセーブすることだな。必要以上に目立ってしまう。
エイリオに持ち帰りの課題も与えられてしまったし、この調子だと時間外も同級生に頼られて教えを請われるかもしれない。
自由時間が削られるような事態になっては今後の計画に支障がでる可能性があった。
――まあエイリオに聞いておきたい魔術の話はたくさんある。
嫌な奴ではあるが、課題にかこつけて授業以外の時間にも利用させてもらうことにしよう。
俺はそんな魔術訓練の展望を考えながら、ぞうきんで机の上を拭くのだった。
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