第8話 激突隣の昼ごはん
「なあロイ、こいつ好き嫌いあるかな?」
「知るか」
初日からの突発野営実習の翌々日。
俺たちは宿舎へと戻り、あれからずっとのんびり過ごしていた。
休息を取ることも訓練の内だし、余裕がある者は自己鍛錬すること――とのことだが、その背景には教師側の人手不足もあるのだろう。
一から三年の生徒を合わされば百五十人にもなる。
それを十数名の教諭で回している以上、つきっきりになるのは難しいし、下級クラスは優先度が低い。
その為、下級クラスには暇な時間が発生しやすい。……慎重に計画を進めるには良い条件だ。
部屋から見える窓の外では、森から拾ってきた白い毛玉にクズ野菜を与えるウィルの姿があった。
どうやら宿舎で毛玉を飼おうとしているようだ。
「よーし葉野菜は好きか? ウニはいっぱい食べるなぁ。大きくなれよぉ」
「んにぃ」
ウィルの手から餌をもらいつつ、毛玉は甲高く鳴く。
……あいつ、たぶん犬にはワンコとか名付けるタイプの人間だな。
耳と尻尾の生えた毛玉は、長い舌でウィルの手を舐める。
無害そうではあるので、放っておいてもいいだろう。
そう思いつつ俺はベッドに座りながら手元の資料に目線を落とす。
そんな俺を見ながら、なぜか俺たちの部屋にいる少女は首を傾げた。
「何読んでるんですか?」
「……資料」
俺の理路整然とした回答に、ノンは口を尖らせる。
「そりゃあ見ればわかりますよ。中身ですよ、中身」
「……パペルス紙にインクで文字を書き込んだものだ。綴じているので本と呼ばれることもある」
パペルス紙とは植物や木を粉砕してできる繊維を、水に溶かして魔術で固めたものだ。
比較的簡単な魔術で、羊皮紙よりも安価に量産できる。
その分羊皮紙より耐久性は低いのだが、簡単に書き込むならこれで十分だった。
「その回答、何一つ情報が増えてないじゃないですかー」
俺の態度に何が不満なのか、ノンはイスに座ったまま足をバタバタと振る。
俺は呆れてため息をついた。
「俺の事はいいから、子供は遊びにでも行ってきたらどうだ」
「子供じゃありまっせーん! こう見えて十六ですぅー」
『こう見えて』ということは自分の外見が三つ四つ若く見えることは自認しているらしい。
彼女は眉間にしわを寄せると、ずいっと顔を寄せてきた。
「……それに夜の森で、またおかしなことが起きたのはちゃんと見てましたからね。まるで肥大化した筋肉が
意外と鋭い。
あのとき――森の中の礼拝堂に入る際、万が一危険な化物がいたときの為にウィルの『拡声』を反転させた。
それにより一時的に彼の声は小さくなったのだが、ノンはそれを目ざとく見ていたらしい。
俺みたいないい加減な奴と違って、彼女は観察力や記憶力に優れているようだ。
俺は何でもない振りを装いつつ、首を横に振る。
「お前の勘違いだよ。大方死ぬほど疲れてたんだろう。あれぐらいで吐くほど体力が無いままじゃあ、この先やっていけないぞ」
「むぅ……。あれはその、体調が優れなくて……乙女にはいろいろありますからね」
「……そうか。そういえば女だったな」
彼女の言葉に、俺はつい謝ってしまう。
こういうときにどう返せばいいのかは、残念ながら百年戦った魔獣たちは教えてくれなかった。
彼女はそんな俺の反応に眼を丸くする。
「……そうですよ、女の子ですよー。優しくしてくださーい」
「な、なんでそうなる。近付くな」
息がかかるぐらい顔を近付けてくる彼女を押しのけて、俺は立ち上がった。
そんな俺を見て、彼女はクスクスと笑う。
「べつに詮索はしませんし、言いたくないことは言わなくてもいいですけど……。でも、教えられることはいっぱい教えてください。まずは好きな食べ物とかどうでしょう?」
「……ノーコメント」
俺は彼女を部屋に残しつつ、資料を持って部屋を後にした。
途中まで後ろから俺の名を呼ぶ声が聞こえていたが、廊下を曲がり物陰に隠れやり過ごす。
この校舎の地の利は俺にある。
……一足先に三年も過ごしたからな。
俺のことを見失った彼女の背中を見送りつつ、俺は落ち着いて過ごせる場所を探してゆっくりと歩き出した。
* * *
俺がノンを撒いて後、一人やってきたのは食堂だった。
勇者学校の食堂は朝昼晩と決まった時間に食事が提供され、その金は国から支給される。
満足な食事を腹一杯食える――それだけでも勇者を目指そうとする者は後を絶たない。
とはいえ所詮は大量に作る食事なので、味は当たり外れがあるのだが。
……まあ魔獣の肉よりは何倍もマシだ。
俺はそんな食堂の隅で遅めの昼食を取りつつ、資料を読み漁る。
俺が持って来たのは、学校の資料図書室の隅に置かれていた運営週報だ。
創立された十年前からの学校の歴史書とも言うべきものだが、俺が見たいのは去年の行事記録だった。
百年余りもの時間差がある為、既に俺の学生生活の頃の記憶は薄れ、かなり曖昧になっている。
その為、百年前の記憶を呼び覚ますべく、今年一年起こるであろう出来事を予想する必要があった。
パラパラとページをめくり、資料を読み進める。
どうやらどの年度も、一年生の各クラス一日目は地獄の授業を受けるらしい。
昨年も下級クラスは遠征し、一般クラスは魔術で精神を削られ、上級クラスは模擬戦で教師に叩きのめされたようだ。
俺は記憶を探りつつ、一年間の行事を流し読む。
最後のページの方で、卒業試験の概要を見つけた。
卒業試験。
相手が降参するまで全力で戦い合う、武器の持ち込みすら有りの模擬戦闘。
その性質上これまで死者が出たことも何度かあるが、それが罪に問われたことはない。
――卒業試験中に殺す。
最初俺はそこに焦点を当てて考えていたが、もっと早く暗殺した方がいいのではないかという思いが脳裏を巡る。
授業こそ上級クラスと合同のタイミングとなることは少ないが、普段接触する機会がないわけではない。
――いや、現実的ではないか。
俺は最初のページの方、勇者学校の施設についてのページを開いた。
それはたしか入学時に説明されることだが、この学校内での行動は全て魔術によって記録されている。
常に監視されているわけではないが、事件があった場合は後から痕跡が調べられる為、もしユリウスを殺した場合は証拠が残ってしまう。
そしてそれは、あいつの為に俺の人生を犠牲にするということでもある。
――それじゃあダメだ。復讐にならない。
相手の全てを一方的に奪ってこその復讐だ。
お互いに痛み分けでは、俺の勝利ではない。
俺はいくつかの行事をピックアップする。
あくまでも俺の評価を落とすことなく、奴に復讐する方法を探らなくては――。
資料を探す俺の目に、とある一文が止まった。
……これは。
「――おい! 何のつもりだよ」
聞き覚えのある声が耳に入り、俺は顔を上げる。
食堂の端のテーブルにいた俺からは離れた、中央のテーブル。
そんな目立つ位置で声を荒げているのはユリウスだ。
彼は上級クラスの奴らを引き連れているが、少し様子がおかしい。
俺は気付かれないよう注意を払いつつも彼らの行動を盗み見た。
「お前みたいな奴が席に座ってたら、上級クラスの品位が下がるだろ」
ユリウスはそう言ってゲラゲラと笑う。
彼の言葉の矛先は――。
「……す、すみません」
筋肉。
なんだ、一昨日俺に絡んできた筋肉ハゲじゃないか。
見れば前よりも縮こまったハゲがそこにいた。
「下級クラスに負けるような奴はうちのクラスにいらないんだよ、なあ」
「は、はい……」
今にも泣きそうな顔で筋肉が肩を落としていた。
予想通りだが、ユリウスはBランク相手も見下すらしい。
貴族至上主義だったので、もしかするとあの筋肉ハゲは平民の出なのかもしれない。
ユリウスの罵倒が続き、筋肉ハゲはずっと頭を下げていた。
……見ていて気分が良いものじゃないな。
一周目の俺を思い出し、奥歯を噛みしめる。
自然と、俺は立ち上がっていた。
一方的な口論が続く食堂の中央へ、俺は人知れず近付く。
「お前みたいな無能が同じ場所で食うとかありえねえよなぁ? 豚は豚らしく外行けよ外」
「わかり、ました……」
筋肉が自分の分の食事を持って出ていこうとする。
だがユリウスは足を出し、筋肉ハゲの足へと引っかけた。
「ぐあっ!」
筋肉は姿勢を崩して倒れる。
お盆の上に載せられた食事が宙を舞い、学食のおばちゃんが作ったシチューが床にぶちまけられる――事はなかった。
お盆、皿、パン、器――『反転』!
とっさに発動した俺の能力で、逆さになりそうな液体を全て正常な位置に反転させる。
シチューとサラダの載った皿は少しもその中身をこぼすことなく、俺が持つお盆の上に並んだ。
「……乱暴は、良くないな」
転ばされたハゲに昔の自分を重ね合わせつつ、俺はそう言ってテーブルに料理を置く。
ユリウスは俺の言葉に少しだけ顔を歪ませた。
「そいつが勝手に転んだだけだろ。――またお前が転ばせたんじゃないのか?」
ユリウスが俺を睨み付ける。
……よくないな。
相手に認識されてしまった。さすがにここから忘れてもらうことは難しいだろう。
本来なら一切認知されずに、俺の存在なんて知られないまま暗殺してやりたかったが――方針の転換だ。
「……仲間だろうが」
「あ?」
俺の言葉に奴は首を傾げる。
――同じクラスの奴すらも、死線を共に越えた仲間すらも奴は見捨てる。
「度し難い――!」
俺は内から湧き上がる怒りに全身が焼き付くような感覚を覚えた。
百年の間、何度も何度も自身の魂に刻み込んだ感情だ。
危うく飛びかかりそうになる自分を制しつつ、俺は怒りに震える声で口を開いた。
「――一週間後、森で合同訓練がある」
それは先ほど読んでいた資料に書いていた行事予定だ。
俺の記憶が正しければ、たしかにそれは入学直後にあった行事だ。
上級、一般、下級クラスの合同訓練。
そこでは総合訓練として、狩猟を行い成果を競い合う競技を行う。
上位の生徒には優等生の証である『勇者褒賞』が与えられるのだった。
勇者褒賞は親指より少し小さいボタンサイズの
学校内でも公的な効果があるわけではないが、多く持っている生徒はそれだけで教師も一目置く存在となる。
一周目ではユリウスが十近い褒賞を服に身につけて自慢していた。
「まさか上級クラスの奴が下級クラスに負けることはありえないとは思うが――よろしく頼む」
俺の言葉にユリウスは頬をひくつかせた。
どうやらこの愚か者でも、それが挑発だということを理解できたらしい。
ユリウスは顔を歪ませながら口を開いた。
「はっ、下級クラスは言葉の使い方がわかってねぇらしいな……。お前らに身分って奴を思い知らせてやるよ。お前らが奴隷で、俺らは主人だってな」
俺はそんな戯れ言をほざくユリウスをにらみ返しつつ、彼に背中を向けた。
……今はこれでいい。
挑発は奴を戦場におびき寄せる為。
どうせ認識されてしまったんだ。
表立って殺し合いするわけにはいかないが、奴がFランクに正々堂々叩きのめされる姿を全生徒の前に見せつけて人望を奪ってやろう。
お前が仲間を捨て駒として扱うなら――俺はお前から駒を一つ残らず奪うだけだ。
――丸裸になって、一人で死ね。
俺は暗い感情を心のうちに潜ませつつ、食堂を出る。
「――お、おい!」
かけられた声に振り返ると、そこには筋肉ハゲがいた。
「なんだ」
「その……さっきはありがとうな。庇ってくれて」
ハゲは顔を赤らめる。
――気色悪い。
「気色悪い」
あまりにも気色悪かったので思ったことがそのまま口に出てしまった。
彼は自身の頭を掻く。
「そ、そう言うなよ。この前は悪かった、反省してる……」
「そうか」
俺は彼に背中を向けて歩き出した。
「お、おい! ……俺は応援してるからな! お前のこと!」
後ろからかけられたその言葉に、俺は振り返りもせず手を上げてひらひらと振った。
……競走相手だってのに、お人好しな奴だ。
俺はそんなことを考えながら、作戦を練る為に宿舎へと戻った。
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