第7話 血の礼拝堂

「これは宿のおじさんから聞いた話なんですけど」


 夜も更けた闇の中。その暗闇の中心にはノンの姿があった。


「おじさんの知り合いの狩人さんがその日、いつものように森へと狩りに出かけたんです。天気が悪くて早めに帰りたかったんですけど、しばらく獲物が獲れていなかったのでその日はちょっと深追いしたみたいで。その甲斐あってか兎を狩ることができたものの、霧が深くなり迷ってしまったんです」


 パチパチというたき火の音をBGMに、彼女は話を続ける。


「ついには日も沈み、これ以上歩き回るのは危ないと野営して夜明けを待つことにしました。寒さを感じつつもたき火にあたり夜明けを待っていると――音がしたんです。最初ははぐれ魔獣か何かと警戒しましたが、どうもこちらに近寄ってくる様子はありません」


 輪となった生徒の中で、ノンが静かに語る。


「もしかすると自分と同じく森の中で迷った者でもいるのかと思い、狩人は耳を澄ましました。するとかすかに声が聞こえてくるのです。低い男の声で――」


 彼女は口の横に手を立てて、誰かを呼びかけるように口を開いた。


「――『おおーい……。おおーい……』」


 それはまるで森の奥まで届くのではないかと錯覚するような透き通る声。


「狩人はその声を頼りに、森の奥へと進んで行きました。『おおーい……。おおーい……』」


 誰かの唾を呑み込む音が聞こえた。


「すると開けた場所に出ます。そこには小屋のような建物と、その周りを囲むようにしてぽつぽつと大小様々な大きさの岩が規則正しく並んでいました。見慣れぬ光景に、狩人は首を傾げます。そんなとき――『おおーい』」


 静けさが夜の森に広がる。


「声のした方を見ました。そして彼は見つけたのです。建物の窓に張り付く、白い子供の顔と、真っ赤に輝く二つの瞳を」


 「ひぇっ」と隣から男の小さな悲鳴が上がった。

 ノンはそれに構わず話を続ける。


「狩人は恐ろしくなり走って逃げ出します。逃げて逃げて逃げて……気が付けば、朝になっていました。狩人は冷静になります。『あそこはいったいなんだったのだろうか……』。そう思った彼は、記憶を頼りにもう一度建物へと向かいました。明るくなった道を迷わず進むと、無事昨晩見た建物の場所へと辿り着きます。そしてそこにあったのは――」


 ノンは周りの聴衆の表情を伺いながらも、口を開いた。


「誰もいない朽ち果てた礼拝堂と、誰かの名前が刻まれた無数の墓標だったのです――」


 ノンがそう言い終えると、周囲の同級生たちは顔を引きつらせた。


「……以上、昨日わたしが聞いた噂話です」

「こえぇー!」


 ずっと俺の腕を握りしめていたウィルがそんな声を上げた。

 俺はため息をついてみせる。


「……そんなに怖いか?」

「怖いだろ! 誰も居ない墓場から呼ぶ声、こちらを待ち構える怪物!」

「待ち構えてるのが魔獣じゃなくて良かったな」

「リアリストだなおい! 魔獣に滅ぼされた村の怨念が、俺たちを仲間に引き込もうと手招きしてるのかもしれないだろ!? できれば夫を亡くした未亡人の霊がいいなぁ!」

「想像力がたくましいことで」


 俺は呆れてそう言った。


 夜も更けた北の森の中。

 そこで俺たちはたき火と渡されたいくつかのランプを囲み、怪談話をしていたのだった。


 勇者学校初日であるにも関わらず、俺たち下級クラスはいきなり野営の訓練をさせられていた。

 下級クラスが戦闘に参加する場合、自然とその役割は上級・一般クラスのサポートになる。

 最終的には全クラス同じことを学ぶのだが、何があるのかわからない以上、上級クラスは戦闘、下級クラスはサポートを優先して学ぶ。

 二年の頃から逆転し、三年目になればほぼ同じ比率で訓練を行うのだった。ちなみに一般クラスはバランスよく学んでいく。


 その為今夜は、下級クラス十八名を三班に分けて交代で哨戒訓練を行っていた。要は見張りをすることに慣れていく第一歩というわけだ。

 だが見張りをすると言っても敵がいるわけでもないので、それは実質アウトドアのお泊まり会に近い。

 すぐに飽きた生徒たちは特に警戒もせずみんなで寄り集まり、バカ話に花を咲かせていた。

 ノンが話した怪談話もその流れの一つだ。


 俺は鼻で笑いつつ、口を開く。


「魔獣に滅ぼされた村の怨念ね……。森の中に集落なんてなかったはずだし、多数が死んだ記録もないはずだ」


 俺の言葉にノンはムッと唇を尖らせる。


「今のはちゃんと宿のおじさんに聞いてきた話なんですけどー。昨日入学前に街について暇だったから、いろいろ調べてたんですぅー。他にもはぐれ魔獣が出たとか、夜な夜な徘徊する人影がいるとか、この森はいろいろ曰く付きでー」


 彼女の不満そうな声に、俺は苦笑しながら話を続けた。


「べつに嘘だと言うわけじゃないが、だがさきほどの狩人の話にでてきた建物というのも――」


 言いかけて、俺は言葉を止めた。

 瞬間、とある光景が頭の中に蘇る。

 ――森の中の建物。

 そうだ。

 今は摩耗した一周目の記憶。

 俺は、それを見たことがある。


「――そうだな」


 俺はその場に立ち上がる。

 突然の俺の行動に、周りの同級生みんなの視線を集めた。


「なら確かめに行ってみるか。――噂の怪物の正体を」



 * * *



「マジかよー……嘘だろー……本気かよー……」


 俺の左腕をがっしりと掴みつつ、ランプを持ったウィルが涙目でそう言った。


「嫌ならついて来なければいいだろうに」

「そうですよ! 怖いならベースキャンプで震えてていいんですよ」


 そういうノンは俺の右手を両手で捕まえながら、膝を震わせている。


「お前らせめて俺にしがみつくな。うっとうしい」

「いやですねぇロイくん。ロイくんが怖くないように近くにいてあげてるんじゃないですか」

「そうだぞ、死ぬ時は一蓮托生だ!」


 左右から聞こえる声に俺はため息をつきつつ歩みを進めた。

 他の生徒たちには残ってもらい、バーム教諭の目を誤魔化してもらっている。

 ――俺の記憶が正しければ、そんなに遠くないと思ったが。


「――あった」


 俺の声に二人はビクンと足を止めた。


「呼び声とやらはしないな」


 茂みの奥を覗く。

 するとそこには怪談の話同様、開けた空間に一軒の建物が見えた。


「礼拝堂……!」


 ノンが呟く。

 暗がりではよくわからないが、たしかに建物の周りに多数の墓石のようなものがあった。


「ああぁっ! ああっあぁっ! あれっ……!」


 ウィルが声を震わせながら指さした。

 建物の窓にぼんやりと浮かぶ、赤子の頭ほどの白いシルエット。

 そしてそこには二つの赤く光る眼が――。


「出たあぁぁーー!!!」


 ウィルが叫ぶ。死ぬほどうるさくて、鼓膜が震えた。

 そうか、そういえばこいつの能力は大声か何かだったな。

 俺はそっと眼を閉じ、心の中で集中する。

 ――見えた。


「黙れ」


 概念の砂時計を反転させる。

 瞬間ウィルの声は小さくなっていき、かすれるような声になった


「いーるいるいるいる! あそこいる! いるって!」


 聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で、ウィルが俺に向かって叫ぶ。

 ……ちょうどいい、このまま放っておこう。


「確かめてみるか」


 俺はそう言って二人を置いてドアへと近付く。

 慌てて二人は俺のすぐ後ろに駆け寄った。


「扉は開いてるな。後ろへ下がってろ」


 二人を下がらせ、ゆっくりとドアを開けた。

 中は暗く奥まで見えない。

 カビくさい匂いが漂っていて、そして唸るような声が聞こえた。

 おおーいと呼びかけるような、低い音。


「この声は……! 誰かいる……!?」


 後ろからノンが呟く。

 同時に、ドアに少しだけ抵抗を感じた。

 ビリビリと震える感触。


「ふむ」


 俺はそのままドアを閉じる。

 音が止む。

 ドアを開ける。『おおーい』


「風の音だな。まるで家が喋ってるみたいだ」


 ドアを明けると音が鳴り、ドアを閉めると音がやんだ。

 どこかに隙間風を通す場所があるのだろう。

 俺は立て付けの悪いドアを動かしギィーギィー音を鳴らしつつ、中へと入った。

 ウィルからランプを奪い取り、先を照らす。

 ボロボロの家具がある部屋の中、窓枠の下に光りを向けた。

 そこにはソファーがあって、そこにそれはいた。

 俺たち三人の視線が集まる。

 そこにいたのは子供の首――ほどの、白い球体だった。


「んにぃ」


 赤い眼を輝かせつつ、それはこちらに向かって鳴く。

 一言で言うならそれは――白い毛玉。

 耳と尻尾が生えており、手足がない。

 丸く大きな目はどこか愛くるしく見える。

 謎の毛玉生物は、自分の体を跳ねさせてこちらへと近付いてきた。

 小さな小動物が、俺たちの足下をくるくると回り始める。


「……なんだこれは」

「猫か!」

「うさぎ?」


 二人の意見が分かれた。

 ……俺はどこかで見たような記憶があるのだが、どうにも思い出せない。


「なんにせよ、これが怪物の正体か」


 俺の言葉にウィルは苦笑しつつ、屈んで小動物に手を伸ばす。


「まあ狩人は嘘は言ってないな。声がしたし、赤い目の化物がいた」


 ウィルが撫でると、それは無抵抗に眼を閉じて体を預ける。

 人を怖がらないようだ。


「……可愛い」


 次いでノンがそれを抱える。なんとも柔らかそうな毛玉だ。

 ウィルは無害そうな生物を見つつ笑う。


「はは、すごいじゃんかロイ。怪物退治成功だな。みんなへの土産話になるぜ」

「退治も何も、ただここに来て危険がないか調べただけさ。俺はただ単に、森の中の建物って奴が気になっただけだよ」

「いやいや、俺はお前のこと凄い奴だと思ってたよ。勇気ある者を勇者と呼ぶなら、お前はまさしく勇者だろうさ」

「肝試し一つで持ち上げ過ぎだ。お前が臆病なだけだろう」


 俺はそんなウィルの軽口に笑いつつ、辺りをランプで照らす。

 そこはなんの変哲も無いただの廃屋。

 ここには恐ろしい怪物もいなければ、人を呼びよせる怨念もいない。

 怪談が起こるような大量の死者も出ていない――そんな場所だ。


 ――まだ。


 俺は小動物を二人に任せつつ、部屋の中を漁った。

 めぼしいものは特にないが、その間取りには見覚えがある。


 それは一周目の出来事だ。

 今から三年後、南方から魔獣が押し寄せる事件があった。

 勇者たちが街の南に防衛ラインを作り食い止める中、一部の住人が先走り森へと避難する。

 その後、まるで図ったかのように森に魔獣召喚のゲートが自然発生した。

 俺たちが駆けつけたときには既に遅く、その際に王国は最悪の死者数を記録した。


 そのときに俺が見た建物――狭い空間に人々が押し詰められ、その誰もがただの肉塊になっていた『血の礼拝堂』。

 後にそう名付けられた建物が、この建物だった。


 その敗北がきっかけとなり、俺たち勇者は一か八かの反攻作戦――魔界ティーファマーゲンへの逆侵攻を行うことになる。

 あのとき見た、地獄のような景色が蘇る。

 そしてふと、考える。


 ――もしも。


「もしも事前に予知していたなら――」


 ゲートの発生を知っていれば、惨劇は食い止められるのだろうか。


 俺は窓から外を見つめる。

 森の木々に閉ざされた漆黒の闇が、そこには広がっていた。

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