第6話 久方ぶりの晩餐

「戦場ではいつどんなことが起きるかわからない。その為に野営の準備が必要だが――まずは約束を果たさないとな」


 教師バームはそう言って一時間ほどの休憩を言い渡すと、一人で森の中に入っていった。

 俺たちが近場の泉で水分補給をしつつ体を休めていると、バームは森の奥から大きなイノシシを狩り戻ってくる。

 すぐに捌き、魔術で火を起こす手際の良さに生徒たちは目を見張った。

 たき火に切り分けられた肉の油が落ち、燃え上がる。

 太陽が沈みきる頃には、生徒たちに十分な量の新鮮な肉が振る舞われるのだった。


 走り続けて空腹になった生徒は我先にとそれを胃に収めていく。

 俺もそれを受け取って口に運び――衝撃を受けた。


 ――美味い。

 簡素な調理ながらも脂の滴る肉は、その甘さと共に濃厚な旨味を感じた。


 時間が戻り、肉体が元に戻ったせいでどこか現実感がないが、魔獣の生肉以外を食したのは百年振りのはずだ。

 ……やはり夢だったのだろうか、と一瞬考える。

 いやそんなわけがないのはわかっている。

 俺は未来を知っているし、予知したことでさきほどの課題もクリアすることができた。

 だから現実なのはたしかなのだが――「戻ってきたんだ」という実感がここにあった。


 思えばまだこの時代へと戻ってきて一日も経っていない。

 一端落ち着いて記憶や方針を整理したかった。

 ……俺の記憶が正しければ、明日か明後日ぐらいには暇な時間ができるはずだ。

 詳細はそこで改めて考えるとしよう――。


 そんなことを考える俺の隣に、顔を洗ったノンがやってくる。

 つい先ほどまで倒れていたが、さすがに吐いたものを洗い落としてきたらしい。


「食っとけ。体が持たないぞ」


 確保しておいた彼女の分の肉を差し出す。

 皿もないのでそこらでむしった葉の上だが、水で洗ったものなので勘弁してもらおう。

 この先これぐらいの衛生に気を遣うようでは、やっていけない。


「ありがとう、ございます……」

「気にするな」


 彼女が隣に座り、一緒にもぐもぐと肉を食い始める。

 しかしどうも覇気がないようだ。

 ……まあゲロ吐いて倒れた後に元気いっぱいでいるのも、それはそれで心配になるが。

 ちなみにウィルは他の同級生と騒ぎながら、新たな肉を求めてたき火近くに群がっている。


 教師バームが先ほどいった言葉を頭の中で反芻した。

 『下級クラスは卒業するまでの逃亡・脱落者が一番多い』。

 ――一周目の記憶がおぼろげに蘇ってくる。


 そうだ、たしかに入学時は下級クラスに十八名が揃っていたように思う。

 ノンがいたかは全く覚えていないが、もしかするとこの娘もそこにいたのかもしれない。

 だが一周目の歴史では、ここからどんどんゲートの発生頻度が増え、人類と魔獣との戦いが苛烈になっていったはずだ。

 下級クラスが直接戦場に繰り出されることはなかったが、それに伴って学校での訓練も熾烈を極め、その結果逃亡者が続出した。

 たしか最終的に卒業まで残った下級クラスの数は六、七人だったように思う。

 そしてその中に、ノンの姿はなかった。


 俺はちらりと彼女の顔を盗み見る。

 まだまだあどけない面影を残した少女は、辛そうな表情で肉を噛んでいた。

 ――彼女はきっと、残れなかったのだろう。

 一周目の俺も、最後まで残って卒業できたのは成り行きと運によるものが大きい。

 まだ幼い彼女が途中で脱落したのも仕方が無いことだ――。


「わたしのお父さんは勇者で……旅が好きだったんです」


 俺が考えを巡らせていると、彼女は唐突に口を開いた。


「わたしは昔から病弱だったんですけど……たまに家に帰って来て、お話してくれたんです。外の世界のことを」


 ――外の世界。

 人類の生存圏は、今や魔獣により大きく削られ縮小している。

 身を寄せ合って生きる人類にとって、東西に広がる海や、南北に続く未開の地は『外』と呼ばれていた。


「お父さんは楽しそうにお話してくれて。お母さんもそんなお父さんのことが大好きだったんです。……五年前の大侵攻で、二人とも死んでしまったんですけど」


 幾度かの巨大ゲート発生による、魔獣の侵攻。

 その度に人類は、大きな爪痕を残されていた。

 五年前の大侵攻もその一つのはずだ。


「だから、自分にスキルがあるって……勇者になれるってわかったときは嬉しかったんです。ヘンテコな能力ですけど」

「……『異臭』、だったか」

「はい。笑っちゃいますよね。物を臭くする力なんですよ」


 到底使い道があるとは思えない力。

 ある意味『転倒』なんかよりも何倍も無駄な能力だとは思う。

 それでも、スキルはたまに”化ける”ことがある。

 まったく違う形に変化することはないが……俺の『転倒』が『反転』になったように、ごく希にスキルは進化・発展することがあるのだ。

 それ故に、どんなに使い道がないスキルであれ、スキルを持っていることが勇者になれる条件となっている。

 ちなみに、進化の条件は未だわかっていない……というか人によって違うらしい。

 俺の場合は、魔獣化がその鍵だったわけだ。


 俺は彼女の残念な能力を考えつつ、なんと声をかけたものか迷う。

 下手な慰めは逆効果だと、一周目の俺自身の経験からわかっている。

 だから俺は、話を変えることにした。


「――仇を討ちたいのか?」


 ――つまりは、復讐だ。

 魔獣に対する憎しみの感情。

 それを晴らすのが目的なのだとしたら――。

 しかし俺の予想とは裏腹に彼女は首を振った。


「いいえ。魔獣はたしかに怖いですけど……それよりもわたしが勇者になりたい一番の理由は――外の世界に行ってみたいからです」

「……外の世界」


 それはおとぎ話のようなものだ。

 人類が到達できない、遠い遠い世界の話。


「――どうして外へ行きたいんだ?」


 それは心の底から出た疑問だった

 魔獣の脅威から逃げる為か、それとも金になるものを探す為か――。

 しかし彼女はその顔に笑みを浮かべて答える。


「新しい世界を、見てみたいから」


 彼女は楽しそうに笑う。


「西の海には人魚がいて、毎日楽しく歌を歌っているんです。南には灼熱の山があって、友好的なファイヤードレイクが謎かけをしてくるとか。北をずっといくと雪山にサイクロプスが住んでて、叔母さんは三日三晩戦い合って熱い友情が芽生えたって言ってました。東の海をずーっといくと、こことは違う言葉や服を着る人たちが住んでて、一緒に朝までお酒を飲んだって」


 彼女の語る世界は、どれも奇想天外なものだ。

 自分たちの住処を守るのに手一杯な今の人類に、そんなところを見に行く余裕はない。

 彼女の叔母の話も信憑性のあるものではないとは思う。

 ――だが。


「自分にはわからないものが、知らないことがこの世の中にはいっぱいある――そう思うと、わたしはいてもたってもいられなくなるんです」


 そんな彼女の言葉は、俺にはとても眩しいものだった。

 ……どうやら彼女は人一倍好奇心が強いらしい。

 とはいえ、俺の事情を知られるわけにはいけない。

 事情がバレて復讐が果たせなくなる事態は避けたいし――それに、彼女をこっち側に巻き込んではいけないと思った。

 ――俺の復讐は、俺だけで決着を付ける。


 そんなことを考える俺を見て、彼女は笑いながら首を傾げる。


「だから、ロイくんの秘密も知りたいなぁ~って思うんですよね。まあ約束通り詮索はしませんけどぉ……」


 彼女の言葉に、俺は聞こえるようなわざとらしくため息をついてみせる。


「好奇心は猫を殺す。この世の中に知らなくてもいいことは山ほどあるぞ」

「ほほう? それはたとえばどういうことなんです? 試しに教えてくださいよ。ワクワク」

「さあな。お前のスリーサイズとかじゃないか? ああ、元々無いものは隠せないか」

「――セクハラ天誅パンチ!」


 突然繰り出された彼女の拳をなんなく避ける。

 彼女は「しゅっしゅっ!」と口で風切り音を呟きながら、拳を素振りした。


「説明しよう、セクハラ天誅パンチとは! セクハラをした相手に浴びせる正義の拳だ! 当たったところは生乾きの洗濯物めいたにおいを放つようになるぞ! なんと半日は取れない!」

「地味に嫌なスキルの使い方をするんじゃない」


 手で受け止めなくて良かった。

 本気で安堵する俺に、彼女は口を尖らせる。


「あんまり使える機会がないんで活用していかないとー」

「……そう焦るもんでもないさ」


 多少使い道が増えることや、能力の価値が上がることは学生生活の中でも十分あり得ることだ。

 その価値が見直されればランクの修正もありえる。


「まあその様子だと他に使い道もなさそうだけどな」

「うーん……あ、でも」


 彼女は何かを思い出したのか、人差し指と中指を立てる。

 そしてキリッとした笑みでこちらを見つめた。


「この前、牛乳に使ってみたんですよ。うしのちち」

「ほう?」

「するとなんと、少し固まったんです」


 固まった……? もしやチーズか、もしくはヨーグルトか……?

 それなら戦闘には使えないものの、保存食作りに使えるのでは――。


「まあカビだったんですけどね。臭くて食べられたもんじゃなかったです」

「……そうか」


 そんなに上手くはいかないらしい。

 とはいえ世の中にはカビの生えたチーズを食べる風習が残る地域もあるようだし、食べられる可能性もあるが。

 ――しかしカビが生えたというなら、その能力は。


「もしかすると……発酵とかに近いのか?」


 俺の言葉に彼女は首を傾げる。


「さあ……。べつに果物とかに使っても、臭くなるだけですけどねぇ」


 彼女は肩をすくめる。

 まあ考えてもわからないことではあった。

 暇があれば彼女の能力をいろいろ試してみるのも良いかもしれない。使い道が増えれば、この先彼女が生き残る可能性も増えていくことだろう。

 意味もなくそんな他人の心配をしていた俺の手元を見て、彼女はその瞳を輝かせる。


「……お肉余ってますね? 食べないんですか? 食べてあげましょうか?」

「うるさい、臭い手で触るな」

「失礼な! まだ能力は使ってません~!」

「食い意地を張るのもそこそこにしておけよ。昼間みたくまた吐くぞ」

「おおっと、触れられたくない過去を掘り起こして乙女の気持ちを踏みにじってくるぅ! 過去のことは忘れていきましょうよー!」


 俺たち二人はそんなやりとりをしつつ、騒がしい食事を終わらせたのだった。

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