第5話 はじめての野外訓練
「おうお前らみんないるか? いない奴は返事しろ」
ガタイのいい黒眼鏡をかけた中年の男性教師はそんな冗談を飛ばして笑った。
各自が荷物を部屋に置いた後、下級クラス――スキルランクE・F判定を受けた十八人は中庭へと集まった。
既に太陽は真上に来ており、そろそろ時刻は昼過ぎといったところ。
そして俺はこの光景に見覚えがある。
この後起こる出来事に対して、うっすらとした記憶があった。
それに備え、いくつかの革袋に水を入れ用意しておく。
――荷物にはなるが、おそらく助けになるはずだ。
「じゃあ早速だが今日はレクリエーションだ。これから三年過ごす皆で、親睦を深めようじゃないか」
中庭に生徒を整列させた前で、暑苦しい顔の教師はその顔に笑みを浮かべて俺たちの顔を順々に見回した。
周りの生徒たちも互いの顔を見合わせつつ、笑っている。
……暢気なもんだ。
「じゃあまずは自己紹介からしよう。そうだな……名前とスキル、特技と、皆に伝えたいことを少しずつ教えてくれ。ただし――」
教師は人差し指を立ててその暑苦しい笑みを生徒たちへと向ける。
――さて、今の俺に体力が持つかな。まあ問題はそこじゃあないんだが。
「今も人類は魔獣の脅威にさらされている。時間がもったいないから、駆け足で、だ」
そう言うと、教師はタンタン、とその場で足踏みをしだす。
生徒たちの間に困惑が広がる。
――足を捻らないよう、準備運動をしておこう。
「今日はここから北の森で実習を行う。日が沈むまでに到着できない者がいた場合、連帯責任で全員晩飯抜きなので気を付けろよ」
そう言って、教師は駆け出す。
ポカン、と生徒たちは一人残らず呆気に取られて彼を見送った。
彼はすぐに振り返り声を張り上げる。
「ほら、走れ走れ! 勇者への訓練はもう始まっているぞ!」
彼の言葉に困惑しつつも、一人、また一人と走り出す。
北の森までは普通に歩けば丸一日ほどかかる距離だ。
「……マジで言ってる?」
俺の隣でその様子を見ていたウィルが口を歪めつつ、情けない声を漏らした。
展開を予想できていた俺も、彼の気持ちはよくわかる。
……未来がわかっていることと、覚悟が決められるかどうかは別問題だな。胆に命じておこう。
俺はそんなことを内心思いながら、ため息をつく。
「大マジみたいだ。勇者になるのは楽じゃないな」
適当な相槌を打つ俺に、ウィルは皮肉げに笑った。
「うへぇ。この調子じゃ森に着いても豪華ディナーって感じじゃなさそうだ。気が滅入るねぇ。やる気が出る話でもあれば別なんだけど」
「そうだな、じゃあ一つ賭けでもするか? 俺は今夜何も食えない方に賭ける」
「いいねぇ! じゃあ俺は今夜の夕食を賭けようかな。お前が勝ったら俺の分も全部食っていいぜ」
「そりゃあ困った。食い切れなさそうだ」
バカなやりとりをしながら走り出す俺たちの後ろで、「お、おおお……」と呻くような声が聞こえた。
振り返ってみると、ノンが青い顔をしてその場に突っ立っているのだった。
* * *
「俺は元々軍人をしていてな。魔獣との戦いで目をやっちまった。完全に見えなくなったわけじゃないのが不幸中の幸いだった。だから今はこうして後進を育てている。いやあ人生何があるかわからんもんだ! 一瞬の油断が命取りになることもあれば、仲間との連携が生死を分ける場面もある。さあお前ら、遅れるんじゃあないぞ!」
先ほど自らのことをバームと名乗った教師は、俺たちの前を軽やかに走りながらそんなことを言った。
声は最後尾まで届いているだろう。
――そう、俺のところまで。
「ハァ、ハァ、ハァ……ォエッ!」
汚い声が聞こえた。
あれから一時間ほどは走っただろうか。
俺の前を走る少女は、女が出してはいけないような声と顔で走り続けている。
彼女は手足をバラバラに動かしており、顔は汗と涙でぐちゃぐちゃだ。
俺もこの当時は体力があるわけではなかったが、元々体力がなさそうな彼女は今にも倒れ込みそうな顔をしていた。
「ハッ、ハッ……あ、の……」
ノンはちらりとこちらを見て口を開く。
それに対して俺は小さな声で返答する。
「喋ると体力使うぞ」
俺は全ての動作を一定の速度で走ることに集中して、体力の消耗を抑えていた。
魔界に取り残された地獄のような期間で俺が学んだことは、何もスキルの使い方だけではない。
魔獣の唯一とも言える弱点――それは活動時間の短さだ。
普通の人間では魔獣の瞬発力に勝つことなど到底できない。
だがそれに反比例するように、奴らは長時間活動することはできなかった。
体組織が違うのかそういう生き物なのか、魔獣を殺す一番楽な方法は、長い時間をかけてちょっかいをかけ続けることだ。
魔獣は短距離しか走れないので、投石や矢で攻撃し続ける。
そして奴らの体力が尽きた状態で接近してトドメを刺すのが地獄を生き延びる為のセオリーだった。
俺が腐肉の次に食べた魔獣の肉は、そうして殺した小型の魔獣の生肉だ。
……つまり何が言いたいかと言うと、俺は長距離を走るコツを掴んでいるということだ。
できるだけ無駄な動きをせず、全てをルーチン化して動きの慣性を殺さないように心がける。
もう体に染みついた――もとい魂に染みついたその動きでなら、体力がない現在の肉体でもそれなりに走ることができていた。
とはいえ言葉でそれを伝えたところで、目の前の娘がいきなりそれを実践できるわけでもなく。
ノンは死にそうな顔で、こちらへ向かって言葉を放った。
「先に、行って、くださ……」
涙目になりながら言う彼女に、俺はため息を吐く。
「だ、そうだ」
俺は隣で走るウィルにそう伝える。
こいつは元々体力がある方なようで、俺たち二人のペースに合わせて共に走り続けていた。
「お前まで付き合う必要はないぞ」
「おいおい、俺だけのけ者かよ~! そんな寂しいこと言うなよなぁ」
ウィルはおどけた様子でそう答える。
……軽そうな奴だと思っていたが、意外と根性があるらしい。
そんな俺たち二人に、ノンは困惑しつつ声を上げる。
「なん、で……」
走りながらも彼女は声を絞り出す。
ウィルが何を考えているのかは知らないが、俺が彼女に付き添っている理由は単純なことだった。
「……パーティを組むと約束してしまったからな」
それは先ほど、俺とウィルの部屋で彼女とした約束だ。
俺の素性を詮索しない代わりに、パーティを組むこと。
いったいノンに何の得があるのかわからないが、それを彼女は望んだ。
パーティとは学校生活の班決めのことだ。
だいたい三人か四人ほどで組まれるが、特にそれで縛りができるというわけでもない。少なくとも勇者学校においてのパーティは、仲良しグループと大差ないものだ。
とはいえここでは班行動をすることが多い為、能力の相性などから固有のメンバーを決めている者たちは多かった。
そんなパーティを組むことを、彼女は俺に提案した。
なし崩し的にその場にいたウィルもそれに乗っかることになり。
俺も特に断る理由もなく――むしろ新たな人間関係を構築する手間を省けるメリットを見据えて。
そうして俺たち三人はパーティを組んだわけだ。
ただそんな、簡単な口約束を交わしただけ。
――だが。
「仲間は、見捨てないもんだろう」
一周目の魔界にて、仲間に見捨てられたときの記憶が蘇る。
囮にされ、最後の最後でユリウスに裏切られた、そんな忘れられない出来事。
――俺は絶対にああはならない。
もしも仲間を見捨てたら、あのクズと同じレベルの最低な存在になってしまうということだ。
俺は絶対にあいつを許さない。
だからあいつと同じことをしてしまっては、俺が俺自身を許せなくなってしまう。
ただの口約束であれ一時的にでもノンを仲間と認めた以上、俺は彼女を決して見捨てたりはしない。
それは俺の自己満足で――そして唯一の矜持だ。
そんな俺の言葉を茶化すように、ウィルは口笛を吹いた。
「かっちょいいこと言うねぇ、お兄さん。仏頂面のクールな奴かと思ったら、なかなか熱いやつじゃんか」
「……お褒めいただきありがとう。お前は見た目通りの軽そうな奴で安心したよ」
「おいおいおいおい! せっかくお前のこと褒めたんだから、俺のことも素直に褒めてくれたっていいだろ! 熱いやつだとか、人情味があるやつだとかさぁ!」
「『わかりやすいやつだ』と褒めただろう? 十分な賛辞だ」
「んー……? そうか? まあそれならいいか」
「ああ、扱いやすくて助かる」
俺たちのやりとりを横に、ノンは言葉を漏らす。
「う、うう、二人、とも――!」
睫毛を震わせつつ、彼女は大きく口を開いた。
「あり、ありが、と――うっおヴォエっ」
そして吐いた。
* * *
「――へえ、こりゃ驚いた」
夕陽を背にして、教師バームは笑う。
森の前に並ぶのは、下級クラス総勢十八名の姿。
全員息も絶え絶えではあるが――というかゲロ臭い約一名は俺の背中でピクリとも動かないが。
俺たちは全員、バームに言い渡された課題――『日没までに北の森へ到着すること』を達成していた。
「……下級クラスは役に立たんスキル持ちの寄せ集めだ。Dランク以上の能力ならいざ知らず、お前たちの能力でここに辿り着くには、工夫かチームワーク、もしくは根性が必要になる。現に今までの下級クラスの新入生で、日が沈むまでに辿り着けたチームは一つもなかった」
魔獣に対抗する為に勇者学校が設立されてから十年。
下級クラスで入学当日から実施されるこの地獄の行軍は、どうやら毎年の恒例行事のようだ。
――工夫、か。
俺はこの課題に臨む前に、一つだけちょっとした細工を試していた。
それはいくつかの革袋に飲み水を入れたものを用意しておく――というだけのごく簡単なものだ。
これは実験だった。
数時間にわたるランニングは、走る訓練をしていない人間には相当キツイ。
さらにそれに加えてこの課題をクリアしにくい点は『突然始まる』ということだ。
飲み水の用意どころか、前もって走る為の体調を整えておくことすらできない。
……バームに言わせればそれは常在戦場の心得――いついかなる時も油断するな、ということなのだろうが、教わる前からそれをしろというのも酷なものだ。
それ故に多くの者が脱落する。
一周目、俺の知る歴史でもこの課題は何名かが脱落しクリアできず、晩飯は抜きだった。
……だから俺は、ほんの少しだけ変化を与えてみた。
俺は基本的にノンに合わせて走っていたが、辛そうな同級生を見つけては声をかけ、走り方を指導し、必要があれば少量の水を与えた。
教えたからといって、少量の水があるからといっていきなりみんなが走れるようになるわけではない――と思っていたのだが。
だがその些細な”変化”により、結果は変わったのだった。
これは歴史がどれぐらい変化するかのテストだ。
くじ引きの結果は変わり、俺とウィルは同室になった。
そして今回、俺が小さな変化を与えることでクラスは課題をクリアできた。
二度あることは、偶然では済ませられないだろう。
――結論。
未来は変えることができる。
しかも、割と簡単に。
満足のいく実験結果に思いを馳せる俺をよそに、バームはその顔に暑苦しい笑みを浮かべて生徒たちに向けて口を開く。
「下級クラスは卒業するまでの逃亡・脱落者が一番多いクラスなんだが――今年の新入生は逸材揃いってわけか。……いいねぇ、歓迎するぜ。ようこそ、勇者学校へ」
俺たちの間を生ぬるい風が駆け抜けて、暗い森をざわめかせた。
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