第3話 Fランクの劣等生

「ロイ。姓は無し。平民のくせに勇者になろうとは殊勝な心がけですね……」


 三十代半ばぐらいであろう、神経質そうな顔をした教師が侮蔑の目でこちらを見る。

 記憶の奥底にあった嫌な記憶が思い起こされた。

 たしかこの教師は貴族出身で、やたらと平民出身の生徒を見下していたはずだ。

 ユリウスにされた仕打ちを思い出して、内心浮かび上がってくる怒りを押さえつける。

 教師はこちらを見ようともせず、手元にある俺の情報が書かれている書類に目を通した。


「せいぜい弾よけぐらいにはなれるように」


 男はそう言うと、水晶玉を取り出して呪文を唱え始める。

 スキル判定の術だ。


 勇者学校に集められるのは、身分問わず各地でスキルの所持を観測された者たちだ。

 人と違う力を持つ者のもとに王国兵が赴き、魔道具で簡易判定を行う。

 そうして集められたスキル持ちの者たちだが、能力を正確に把握していないことが多い。

 その為、このように熟練の魔術師がスキル判定の魔術を行使する。


「――空を翔る銀色の鯨、虹色の碇を刻む夢、その姿・魂を水面みなもに映せ――」


 男の詠唱が始まり、魔力が溢れる。

 魔術とは人類がこれまで積み重ねた知識を、長い修練により会得する技術だ。

 スキルと違って誰でも習得できるが、それには長い時間がかかる。

 またできることも限られていて、たとえばヒーリングと言われるような傷を治す癒しの技術は、魔術には存在しない。


 ――俺は魔術が使えない。

 一周目の世界においては皆についていくので精一杯だったし、そもそも魔術は知識を覚える他にも、長い時間の修行で魔力を扱う感覚を覚える必要がある。

 だが今ならどうだろうか。

 スキルも魔術も、魔力を扱うという点については同じ法則らしい。

 スキルを自由に使いこなせるようになった今、魔術も同様に扱える可能性はあった。

 ……暇があれば覚えてみるのもありかもしれない。


 そんなことを俺が考えていると、手元の水晶玉を覗き込んでいる教師の表情が変わった。


「――なんだこれは」


 違和感。

 一周目の記憶は摩耗し、かすかにしか覚えていない。

 しかしわずかに残る記憶では、俺はこのときFランクの能力であることが言い渡され、ユリウスか誰かにバカにされた記憶がある。

 「あの教師は貴族への贔屓が強い」という噂も、うっすらと思い返せた。

 だからこそ、彼の不可思議な表情に違和感を覚える。


「『反転』か……? これはA……いや、まさかS……?」


 その言葉が血の気が引いた。

 もしここでSランクと判定された場合、Aランクのユリウスを見下すことができるだろう。

 だがその反面、ランクが上がれば上がるほど自由な時間が少なくなり、実戦の場に駆り出されるようになる。

 実際、一周目の在学中は戦場に狩り出されない低ランクよりも高ランクの方が死亡率は高かった。

 俺の記憶が正しければ、卒業するまでにも何度か魔獣の大量発生による大災害が起こり、その度に高ランクの誰かしらが死んだはずだ。

 それぐらい忙しくては復讐を遂げることが難しくなる。


 そしてもう一つ、Sランクに判定されてしまった場合のデメリットとして、これから先の予測が不可能になる点があった。

 基本的に上級クラスと下級クラスが関わることは少なかった為、一周目で俺がFランクで最後まで生き延びたときの知識が活用できない。

 そうなってしまっては有利に事を運べなくなる。


 俺は意識を切り換える。

 ――なに、我慢は慣れている。

 俺は目を閉じて、教師に集中した。


 ――百年耐えたんだ。

 魔術、判定、スキルランクの概念をイメージ。

 頭にそれらのレイヤー階層を思い浮かべて、奥深くへと潜る感覚。


 ――たかが三年、また耐えてみせる……!

 砂時計を握る。

 そして、『反転』した。


「――いや、見間違い……か?」


 教師の言葉を聞いて、目を開く。

 目の前の教師は、明らかに困惑した様子を見せていた。


「これは……『転倒』……? ふむ。能力の概要や魔力の強さからいってもFランク相当……か」


 教師はいまいち納得しない表情を見せつつも、「平民ならこの程度だろうな」と呟きつつ書類に情報を記入していく。

 ……どうやらスキル判定の魔術を誤魔化せたらしい。

 教師は俺に書類を渡す。


「これがあなたの能力です。Fランクスキル『転倒』。……せいぜい自分で転ばないように気を付けなさい」


 俺は教師の皮肉を無視して、無言でその書類を受け取る。

 すぐ近くで、そんな様子を覗いていたユリウスがニヤニヤと笑っているのが見えた。

 左右に貴族の手下を連れて、こちらをあざ笑っているようだ。


 今はまだ、気にしない。

 ……そうだ、忘れもしない一周目の卒業試験。

 それは卒業生同士で模擬戦を行い、最終的な戦闘適正を図る試験だった。

 そこで俺は初戦でユリウスと戦い――惨敗した。

 それ以来ユリウスに目を付けられ、同ランク帯の同級生でも俺と関わろうとする人間はいなくなった。


 ――今度は俺の番だ。

 Fランクになすすべもなく負ける姿を全員の前にさらしてやる。

 事故で再起不能になったとしても、卒業試験は実戦に近いので罪には問われないだろう。

 勇者としても、社会的にも、そして肉体的にも。

 必ず、あいつに復讐してやる――!


「――あの!」


 俺が心の内で憎悪の炎を燃やしていると、横から声がかけられた。

 気取られないよう憎しみの感情を一瞬で心の奥底にしまい、視線を向ける。

 そこには背の低い少女の姿――さきほど、スキル判定の前に言葉を交わした少女がいた。

 彼女は右手でピースサインを作りながら、こちらを見て目を輝かせている。


「お、同じクラスですよね!?」

「ん――あ、ああ。そうだな」


 そういえば彼女もFランクだったか。

 この学校では訓練の難易度を決める為、スキルランクによってS・A~Bの上級クラスと、C~Dの一般クラス、E~Fの下級クラスの三つに分けられる。

 上級クラスはヒエラルキーが激しいようだが、一般や下級クラスは上位層がいるせいか連帯感が強い傾向にある。

 彼女もそんな者の一人なのだろう。

 ……一周目も同じクラスだったはずなのだが、全く記憶にない。よほど影の薄い子だったのだろうか。

 そんな俺の考えなどつゆ知らず、彼女はほっこりとした笑みを浮かべた。


「わたしノンって言います! 田舎から出てきてこっちには知り合いもいなくって……これから三年間よろしくお願いしますね」


 そう言って彼女はその小さな手を差し出す。

 俺はそんな彼女の様子を見て、少しためらった。

 ――俺はべつに勇者だとか世界の平和だとかどうでもよくて、ただ復讐の為にここにいるのに。


 不自然に思われない為にも手を取るべきか迷っている俺に、またも横から声がかかった。


「おっ、Fランクのザコが友情ごっこかぁ?」


 今度は野太い男の声だった。

 頭上からかかった声に、顔を見上げる。

 そこにいたのは2mに届こうかという身長の、筋骨隆々の男だった。

 俺の前にいた少女――ノンは、おびえるようにして身を強ばらせる。


「お前らは俺ら上級クラスのサポートをする為に生まれてきたんだからよぉ、媚びを売る相手が違うんじゃねぇか? なあ」


 大方こいつも王都の貴族か、それとも勘違いしたゴロツキか。

 一周目もこうして大きな顔をする奴は大勢いて、俺たち下級クラスは虐げられてきた。

 まあ、目の前のこいつは物理的に顔がでかいのだが。


「お前が『転倒』で、そっちが『異臭』のスキルだったか? Fランクにお似合いの臭ぇスキルだよな、ハハハハ!」


 男が笑い飛ばす。

 ノンは恥ずかしそうに口を結んで顔を赤らめた。

 ……まあ年頃の娘がそんなスキルだったら辛いだろうな。

 俺は内心同情しつつ、男を見据えた。


「お褒め頂きありがとう。だけどお前の息の臭さには負けるよ。そんなに自分の能力をアピールしなくてもいいぞ。ただでさえハゲは光り輝いていて目立っているからな」


 俺の言葉に、少し後ろにいた全然関係ない男子生徒が吹き出した。

 周りもクスクス笑いだし、それに比例するようにして目の前のハゲの頭が赤くゆであがる。


「……口の利き方に気を付けろよ。俺のスキルはBランク。お前のようなFランクなんか一瞬で――」

「なんだ、Bか。SとAのお守りご苦労様。大変そうだな、同情してやるよ」

「……てめぇ」


 俺の心底共感から言った同情の言葉に、男はさらに顔を歪めた。

 最初のはさておき、後半は本心からの言葉なんだがな。

 男は上半身の上着を脱ぎ捨て、その暑苦しい筋肉を見せつつ憤怒の表情を浮かべる。


「生意気な口が聞けねぇように、痛い目見せてやるぜ……。盛り上がれ俺の筋肉! 『筋力強化』――!」


 ハゲの声と共に、その筋肉が盛り上がる。

 ――教師の前で喧嘩とは、後のことを何も考えていないらしい。頭の中まで筋肉で出来ているのだろう。

 こちらもつい言い返してしまったが、死にはしないだろうし一発殴られて場を収めておくか――なんて達観した大人のようなことを考えていると。

 ひし、と服のすそを掴む感触があった。

 後ろをちらりと振り返ると、ノンが震えながら俺の背中を支えている。……盾にしているとも言えるが。


 少しだけ、心がくすぐったい気がした。

 ……まあ、少しぐらい反撃しても復讐の計画に支障は出ないだろう。

 後ろでは暑苦しい顔をした教師が近付いてきているし、状況からしてこちらだけが罰を受けることはないだろう。

 ――今後の為にも、降りかかる火の粉ぐらいは払って牽制しておくか。

 ノンのおびえる表情を見てそんなことを思いながら、俺は目を閉じた。


「オラァー! オラオラオラー!」


 ハゲのやたらとうるさい声が聞こえる。

 相手の体に巡る魔力量に精神を集中した。

 魔獣としての嗅覚が、魔力の集中する砂時計の位置を俺に知らせる。

 ――掴んだ。


「――『反転』」


 右手を握りしめ、ぐるん、と意識の中の砂時計を反転させる。


「オラオラオ……オオォォンッ!?」


 ハゲの声が甲高い裏声に変わった。


「――ハァァアァアアンッ!?」


 気の抜けるような声と共に、目の前の男の筋肉がしぼむ。

 ――もう一度、『反転』!

 小さな砂時計を捻るイメージ。

 それと共に、ハゲはスコーンと足を上げてその場にすっ転んだ。


「……そこは滑るから、気を付けた方がいい」


 ……最後に相手の魔力の流れを元に戻す、『反転』。

 しぼんでいたハゲの筋肉が、むくむく大きくなっていく。

 ハゲは恥ずかしそうに顔を赤くしながら、立ち上がった。


「く、くそ……今日のとこは見逃してやる」


 ハゲはそう言って背中を向け、そそくさと部屋を出て行った。

 周りにいる生徒はクスクスと笑っているし、ユリウスは呆れたような顔をしている。


 ――あいつの事だから、どうせハゲのことを「Fランクに負けた上級クラスの面汚し」とでも思ってるんだろうな。ご愁傷様だ。

 俺がこの先のハゲの運命に少しばかり同情していると、後ろから少女の声が聞こえた。


「あ、あの……ありがとうございます」


 ノンは少しばかり顔を赤らめながら、胸をなで下ろしていた。

 ……べつにこいつの為にやったことではないが。

 彼女はおずおずと口を開く。


「え、ええとその、お名前、まだ聞いてませんでしたよね……?」

「……ああ。ロイ……俺の名前はロイだ」


 彼女は俺の言葉を聞いて噛みしめるように頷いた後、改めて手を差し出してくれた。


「これから同じクラスとして、よろしくお願いします……!」


 一瞬だけ考えて、俺はその手を取る。


「――同じ勇者として、よろしく頼む」


 俺の言葉に彼女は顔を輝かせて、満面の笑みを浮かべた。


「――はいっ!」

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