スタジオ13 バカとあほ
社長が、ちらりと俺を見た。
さくらに向き直って言った。
「再検討する。それより今は、邪魔者に消えてもらうことだな」
「やっぱり坂本くんに撮影してもらうわけにはいかないんですね……。」
今の言葉、はっきりと伝わった。自覚できた。
佐倉は兎に角、社長は絶対にわざと聞こえるように言った。
性格悪い……。
俺は、いてもたってもいられなくなり、その辺の機材を無駄にいじっていた。
俺は邪魔者。現場には不要。
俺の役割は、佐倉にキスして山吹らせることだけ。
撮影するのは、俺じゃない。
それが分かってしまったから、ものすごいショックだった。
でも、それが今の俺の実力ってことだ。
カメラなんか、構えさせてもらえない。
俺はしばらく下を向いたままになってしまった。
俺なんか、大した努力もしてない。
そのくせ悲しいときだけちゃっかり泣きべそをかく。
自分で言うのもなんだけど、おこちゃま過ぎる。
早くこの場から立ち去りたい。
俺は、音響機材をいじりながらそっとさくらを見た。
入学式のときのように、目があった。
ただし、相手は山吹ってる佐倉、山吹さくらだ。
目を逸らしたのは俺の方だった。
「AVは、大丈夫だよっ!」
さくらが優しく微笑んでくれた。
そうだよ。俺、修行の身じゃないか。
やれと言われたら、何だってやらなきゃ。
そうすることが、さくらがライブをやることに近付くのなら。
また、山吹さくらに助けてもらった。
そんな俺に社長が命令した。
傲慢というか強引に。
そういうところって、佐倉とそっくり。
不思議と腹立たしさを覚えることはなかった。
それどころか、ありがたいとさえ思ってしまった。
俺って、社畜になるタイプなのかもしれない。
いや、俺はもう、立派な社長の犬だワン。
「お前の現場は、ここから5分のところにある」
「私がご案内いたしますわっ!」
社長に続いたのは、あの聴き慣れた声。それが続いた。
「ピコピコ! 坂本くんっ!」
懐かしいセリフ、ピコピコ。ゆっくりとした言いまわしも懐かしい。
『よろしく』が『ヨロピク』を経て『ヨロピコ』となりさらに変化したもの。
本名は忘れた。
聞き慣れた声の主は、あゆまりお姉さんに違いない。
昔、夢中になって見ていた子供番組の総合司会。
第13代うたうお姉さん。当時は最年少での就任だったはず。
相当なバカだといううわさ。
ホンモノなら、単純にうれしい。
俺のテンションは少しだけど確実に上がった。
「もっ、もしかして、あゆまりお姉さん?」
あゆまりお姉さんと思しき人物は、一瞬驚いた顔をした。
そして、当時と変わらぬ笑顔を俺に向けた。
「あっうれしい! 覚えていてくれたんだっ! ピコピコ!」
本当に変わらないな。
人の心に残るって、こういうことだと思った。
あゆまりお姉さんの案内で現場に向かう。
同じビルの15階。
「ただし、直通のエレベーターがないから、1度表に出るわよっ」
「それだったら、33階経由でいけるんじゃないんですか?」
「なっ、なんて恐れ多い! いくら彼氏さんだからって、それは……。」
かっ、彼氏って! 俺と佐倉のこと? それともさくら?
どっちにしても、違うったら。はははっ……。
俺と佐倉は付き合っているってわけじゃない。
あゆまりお姉さんに説明するのに5分もかかった。
バカを相手にするのは、正直疲れる。
やっと理解してくれたのはいい。
あゆまりお姉さんは、その途端に俺を叱りつけた。
「だったらよけいにダメでしょう。33階経由だなんて! 恐れ多いって!」
「いやっ、でも昨夜はそこで過ごしたから、俺の荷物も置いてあるんだ……。」
「って、付き合ってんじゃん!」
はなしはまた、振り出しに戻った。
「なるほど。キス、ねぇ……坂本くん、よく平気でいられるわね!」
「はははっ。キスくらい、朝飯前だよっ!」
「死なない? っていうか、消されない?」
「あっははははっ! そんなこと……ない……よ……。」
消すってなんだ?
さっきはクラスメイトや桜庭先輩が佐倉にとっちめられた。
社長も俺のこと消すみたいな言い方してた。
俺の頭の中にそのことがフラッシュバックした。
なんだか、とっても不安になってきた。
怖いから話題を変えた。あゆまりお姉さんのこと。
気になっていたのは、今の活動内容。
「わっ、私は今は……経……理……担当……。」
「けっ、経理? アイドルさんじゃないの?」
「ムリムリ、ムーリッ! 山吹さくらを見た瞬間、廃業を覚悟したわ。みんなそう」
みんなって、大袈裟だなぁ。
このときはそんな風に思っていた。
「さくらって、そんなにすごいの?」
「あたぼうよっ! アイドルファンを独り占めしてるんだからっ!」
「活動時間1日3分限定なのに?」
「それだからって頑張っている子もいるけど、ジリ貧みたい」
「ファンがどんどん逃げていく……。」
「客が来なきゃ、食っていけないでしょう……。」
アイドルは夢を売る職業で、夢のある職業って思ってた。
けど、あゆまりお姉さんの考え方は、至極現実的だった。
芸能界、怖い……。
無事にビルの外に出た。
あゆまりお姉さんは喋り易かった。
のほほんというか、なごむというか、バカっぽかった。
27歳にしては若く見える。20歳でも通用するくらい。
ふと思った。
周りの人たちは、俺たちのことをどう見ているんだろう。
あゆまりお姉さんは、マイペースだ。
周りというものをあまり気にしないみたい。
だから、俺だけが緊張しているみたいになった。
「あーっ! どうしよう……。」
緊張している場合じゃない。
あゆまりお姉さんの悲鳴がそう告げた。
「どうしたんですか、あゆまりお姉さん?」
「だって、私……。」
気が付けば、あゆまりお姉さんは涙目だった。
俺、どうしたらいいんだろう……。
とりあえず、理由を聞くしかない。
「何でも行ってみてください!」
あゆまりお姉さんが、俺の肩に抱きついてきた。
ヤバイって。周りの目が……。
通行人が一斉に俺を見た。
俺があゆまりお姉さんを泣かせたように見えたんだろう。
誤解だって!
この場を乗り切るには、俺がなんとかしないと。
でも、理由が分からないと対応もできない。
俺は、あゆまりお姉さんの背中をトントンしてあげた。
こうすると落ち着くだろうと思って。
でも、あゆまりお姉さんには効果がなかったみたい。
「どうしようーっ。坂本くーん。道に迷った! 遅刻しちゃうよーっ……。」
かなり取り乱している。
もう、周りの目なんか気にしていられない。
「とりあえず、一緒に考えよう!」
俺はそっとあゆまりお姉さんの髪を撫でてあげた。
ちょっと気持ちよかった。
それにしても、道に迷うだなんて。
あゆまりお姉さんが正気に戻った。
こっちだったのか。
これなら戦力になりそうだ。
「あっ、そうだ! スマホ!」
あゆまりお姉さんが自分のポケットをまさぐりながら言った。
あゆまりお姉さん。ナイスッ!
これで無事に現場にたどり着けそうだ。
あゆまりお姉さんは、何かを取り出すような素振りで言った。
「スマホ、なーいっ」
どうやら、あのモンスターマシンに置いてきたみたい。
あゆまりお姉さんのスマホがないんじゃ、連絡できない。
俺は持ってるけど、連絡先が登録されていない。
どうすることもできずに、また泣きじゃくるお姉さん。
「どうしよう。あぁ、どうしよう……。」
「だっ、だめですよっ。諦めたら!」
テレビで夢中になってあゆまりお姉さんを見ていたのは10年前。
まさか俺があゆまりお姉さんを励ますことになるとは思わなかった。
俺も迂闊だった。
社長は移動時間5分と言っていた。
気付いたときは、かれこれ10分も歩いていた。
「道ったって、同じ建物なんじゃないの?」
「そっ、そうですよっ!」
「どうして迷うんですか、それで?」
「だって、1度外へ出たでしょう……。」
あゆまりお姉さんは、迷子になるのが普通みたいに言った。
東京砂漠、恐ろしい……。または、この人、ただのバカ……。
「兎に角、来た道を戻りましょう!」
「そうね。でも、どっちだったかしら……。」
「俺、全くおぼえてません……。」
「私もなのよっ!」
正直、ちょっとイラっときた。
でも、こうなったら俺が自力で探すしかなさそうだっ!
目指すビルは周囲で1番高い。
俺たちは、適当なビルの屋上から探すことにした。
俺がぱっと見で選んだだけの、手近な商業ビル。
周囲より少し高い。
10階建のビル。屋上はかなり広い。
「うーん。見えないね!」
「そうですね……。」
「あっ、でも面白いものがあるよ!」
「面白いもの?」
無駄に坂本おうむ返しを使ってしまった。
「ほらっ、見て見て! 金魚掬いやってる!」
「本当だ! 俺、得意っすよ!」
「本当? じゃあ、負けた方が、焼肉奢るっ!」
俺に挑みかかってくるあゆまりお姉さん。
さっきのことでイラっときていたのもあった。
俺は、とっちめてやろうと思った。
「てやんでぇ ! 俺が勝つに決まってらぁ!」
「おっ、兄ちゃん。威勢がいいね! 1回500円だよっ!」
テキヤのおじさんが、すかさず言った。
こんな日に限って、俺の財布の中は潤沢だった。
「じゃあ、とりあえず1回ずつやりますっ!」
「毎度!」
俺は、おじさんから2枚のポイとお釣りを受け取った。
ポイのうちの1本を、あゆまりお姉さんに渡した。
いざ、勝負! 今夜は焼肉!
俺は、なるべく強そうなのに標的を絞った。
飼うことになったときに、長生きしてもらうため。
だが、屋上の金魚たちはすばしっこかった。
「あぁっ、破けちゃった……。」
結局、俺は1匹も掬えなかった。
ふと、周りを見ると黒山の人集り。
みんなが見ていたのは、あゆまりお姉さんだった。
「お姉ちゃん、上手だねっ! もう5匹掬ってるよ」
「いえいえ、まだまだです。全国3位が最高ですから」
「それってすごいんじゃないの?」
「いるんですよ。まだ上に! それも、2人……。」
あっ、あゆまりお姉さん、格好いい!
めっちゃ輝いてた。
拍手喝采が湧き起こった。
俺は、完敗だった。
結局、あゆまりお姉さんは、11匹掬った。
そのうちの3匹をもらって帰ることになった。
「はい。家に帰ったら、水槽に移してあげてくださいね」
おじさんは商売忘れて、あゆまりお姉さんのファンになったみたい。
やたら親切にしてくれた。
周りのみんなも、あゆまりお姉さんを祝福していた。
俺はそのとき、輪の外に追い出されていた。
寂しい思いをしている自分に気付いた。
「お嬢ちゃん、かわいいね。1人かい?」
「時間あるなら、俺とデートしない?」
ギャラリーの中から、次第に悪絡みしているおじさんが出てきた。
なんて不潔なんだ。
いくらあゆまりお姉さんが、かわいいからって!
「ごめんなさい。今日は、ボーイフレンドと一緒なんです!」
ボーイフレンドって、誰? 俺っ?
俺は、ちょっとだけうれしかった。
おじさんたちは散り散りになった。
三三五五、ギャラリーが去っていった。
一気に寂しくなった。
「坂本くん、私の勝ちねっ!」
「ずるいですよ。強いなら強いって、言ってくれればいいのに」
「勝ちは勝ちよ。約束通り、今日はご馳走になるからねっ!」
そう言って、あゆまりお姉さんは、俺の腕に絡みついてきた。
10年前は意識していなかったけど、
あゆまりお姉さん、あるところにはある。
「あれ? 私たち、何か忘れてない?」
あゆまりお姉さんが言った。
俺は、思い出した。
「そうだった! 早くホテルを探さないとっ!」
「あぁ、そこなら、このビルの裏側だよ」
「あっ!」
おじさんの声に操られるように見上げた。
直ぐうしろにホテルがあった。
ヤバい。とんだ寄り道をしてしまった。
場所も分かったし、急がないと。
俺たちは、おじさんにお礼を言って、駆け出そうとした。
「あのっ。よろしければ、あのも連れてってくれませんか?」
はなしかけてきたのは、女の人だった。
どこかで見たことあるかもしれない。
あのって、誰だっけ!
最初は気付かなかった。
大きいメガネ。大きいマスク。深めに被った帽子。
女の人は、ありがちな変装をしていた。
それでも何故か俺には分かる。
この女の人、相当かわいい。
俺はつい、その顔をじーっと見てしまった。
女の人は顔をカーッと赤らめた。
ヤバい。あんまり見ると、失礼だよね。
でも、かわいい。つい見ちゃう。
あゆまりお姉さんが、珍しく何かを思い出したようにして言った。
「あれ、あの子ちゃんじゃないの?」
「えっ! あっ、あゆまりさん、ですか?」
どうやら、2人は知り合いだったみたい。
しかも、かなり仲が良さそう。
しかも、かなり波長が合っている。
芸能界は狭いんだね、きっと。
あの子。フルネームは水森あの子。
『あほの子あの子』というキャッチコピーのアイドル。
正確には元アイドル。先月卒業したばかり。
「じゃあ、あの子ちゃんもホテルでお仕事するの?」
「はい……そう……なん……です。でも……。」
妙に、恥ずかしそうにしていた。
あの子さんは道が分からず、迷っていた。
スマホを家に忘れ、連絡ができなかった。
「えっ、じゃあ何でこんなところにいるの?」
「どうしていいか分からず、とりあえず高いビルの上から探そうと思って……。」
「きっ、奇遇ですねっ! 俺たちも似たようなものなんです」
俺はそう言って笑ってみた。
あの子さん、うわさ通りのあほっぷりだ!
「さすがは、あの子ちゃん。あほの子ねぇ! あーっはっはっ!」
あゆまりお姉さんがバカ笑いしながら言った。
貴女だけはそれを言っちゃ、だめだろがっ!
行き先は、みんな同じ。
俺たちは一緒に行くことになった。
「あっ、あの。いい……ですか……。」
えっ、何のこと?
あの子さんが言うには、俺と腕組みしたいらしい。
ど、どうして?
「実は、今日からのお仕事、男の人と肌を合わせることが多くなるもので……。」
はっ、肌を合わせるって、意味わかって使ってんのかな……。
あの子さんのことだから、何か勘違いしてるんじゃないの?
「それで、少しの間でも練習させていただきたくって……。」
あの子さん、かなり思い詰めているみたい。
それに、元気がない。
普段を知らないから、こんなものなのかもしれないけど。
もし何か心に引っかかってんだったら、少しでも楽になってほしい。
返事をするのは、様子を伺ってからだ。
俺は、どんな仕事かは聞かずに、あえて無責任に言った。
「ねぇ、あの子さん、もし調子が悪いなら、仕事休んでもいいんじゃないですか」
「いいえ。あの体調は、すこぶる良好です」
そんなはず、ないよ。絶対にムリしている。
だって……。
「でも、スマホ忘れ物してるわけだし、顔色も良くないですし……。」
「忘れ物が、スマホだけで済んだんですよ。顔色だって、いつもより明るいです」
あの子さんの基準が、俺には分からない。
どうやらこの2人の基準では、スマホを忘れるのは当たり前らしい。
俺だったら、スマホ忘れたら死んじゃう。
だって、今の俺のスマホには、佐倉にもらった大切なデータがあるんだから
あれだけは、肌身離さずに持ち歩きたい。
「仕方ないですね。一緒にいきましょう!」
「えっ、いいんですか? 連れてっていただけるんですね。うれしい!」
「その代わり!」
俺は、ややきつめに言った。
「もし少しでも体調が崩れたら、帰ってくださいね!」
「はいっ。そのときは、おとなしくかえります!」
こうして、俺はあゆまりお姉さんとあの子さんを連れて行くことになった。
最初の予定では、俺があゆまりさんに連れてってもらうはずだったのに……。
======== キ リ ト リ ========
坂本くん、かわいい女の子を2人連れています。
あの子とは、肌を合わせることがあるのでしょうか! 注目してください。
いつもお読みいただいて、ありがとうございます。
読んでいただくことが、私に対する何よりの応援です。
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