第42話 対決

真っ黒な影がはっきりとした姿に変わっていた。

2本の角が生え、銀色の鱗が剥げ、獣のような、魚のような、腐りかけた龍のバケモノが立っていた。


不意にバケモノは翼を広げ、大空を舞った。


隣にいた龍神様は、『赤い玉』を私に渡すと、その場から駆け出し、足を蹴って飛び上がると龍の姿に身体を変えた。


空では、2匹の龍の戦いが始まった。

いや違う、一方的にバケモノが黒い稲妻を龍神様に向けて吐き出しているだけだ。

龍神様は応戦せずに、その黒い稲妻を受け止めていた。



「私は、お前の影…。

お前は、人の生き死に関わることで、今まで持っていなかった感情を持て余し、それを『赤い玉』に垂れ流した。

木々や動物を眺めているだけのお前が感じることのなかった感情…。

人が死ぬことのやり切れなさ、惜しむ気持ちと空しさ、悲しみと痛ましさ、寂しさ、嘆き、狼狽え、孤独…。

人に裏切られるときの呆れ、不快、怒り、不愉快、憤慨、恨めしさ…。

人になれない僻み、羨望、疚しさ、悔しさ…。

人を助けられない焦燥感、絶望、後悔、自責の念、

お前の力に縋りつく人への煩わしさ、嘲り、軽蔑、冷酷、嫌疑や猜疑心と失望…。


お前にとって人は何ら糧になっていない…。

それなのに、尚も輪廻転生を待ち続け、本来の役目を果たそうとしない…。」


『私は人と関わることで、人の気持ちに触れることが出来た。

人は生きる生活の中で、健気にひたむきに働き、朗らかに楽しく歌を歌い、屈託なく笑い、喜び、希望に満ちた未来を想い満足して眠る…。

自然に感動し、感謝し、畏敬の念を抱き祈る…。

お互いに思いやりを持ち、絆を大切にし、生まれる命に歓喜し、亡くなる命を敬う…。

人の命は切なくて儚く、そして愛おしいもの…。


私の役目は、ただ人の命を含めた全ての生き死に立ち合い見守るだけ…。

時に迷う命を浄化すること…。


しかし、個々の人の命に関わることで、その繊細な想いに触れることができた。』


「お前が個々の人に関わることで、それ以外の人の不幸を招いたことは分かっているのか?」


『分かっていたものもあるし、分かっていなかったものもある…。

誰かを助けるために他の誰かが犠牲になってよいとは思ってはいなかった…。

済まなかった…。

ただ、愛しい人に出会えたことの喜びだけが私を支配し、逝ってしまった悲しみに戸惑っていただけだ。

全ては、私のせいなのだ。

ここに、私の命にも代えがたい人が現れた。

もう、私の願いは叶ったのだ。


私は全てを受け止めるつもりでいる。

お前の中にある人の全ての気持ちを私にくれないか?

そして、最後まで残っているお前の中のあの男の想いを浄化させて欲しい…。』


龍神様は下を向いた。

つられてバケモノも下を見た。


そこには5歳位の男の子とその子と手を繋いだ中年の女性が手を振っていた。

「とうちゃーん。とうちゃーん。おいらだよー。」

「あんたぁー。迎えに来たよー」


「けん坊とお福…。」

バケモノが地面に降りると、その陰から一人の亡者が出てきた。


「とうちゃん、おいらね、木に突き刺さって痛かったけどね…。

あの木はね、おいらが飛んできたとき、落ちないように抱えようとしたんだってさ…。上手く出来なくてごめんって言ってたよ。

おいらが死ぬときはね、あの木は子守唄を唄ってくれたんだよ…。

だからね、おいらは亡者にはならずに済んだんだよ…。」

「あんたに木の実をあげたくてさ。こっちに戻って来ちゃったよ。

心配しなくても、他の子もあっちで待ってるよ。」


せわし気に木の実を亡者の口に入れる中年の女性は、涙ぐんでいるようだった。


「優しいあんたが、亡者になるなんて…。

けん坊のこと、悔しかったんだね…。

あんたの気持ちに気付いてあげられなくて、ごめんよ…。」

「とうちゃん、おいらたちと一緒に行こう…。」


亡者は一人の中年男性の姿に変わっていった。


「とうちゃん。あの光に向かって駆けっこしよう?」

「うん、うん。そうだね。駆けっこしよう…。

さあお福、お前の手をおくれ。一緒に行こう…。」


3人は仲良く手を繋ぎ、白く輝く光に向かって駆け出し、そのまま消えていった。


龍神様は、地面に降り立つと『赤い玉』を再び掲げ、バケモノに向かって声を掛けた。

『さぁ、おいで。私の分身。

全ての辛い気持ち…私に戻っておいで…。

もう二度と目を背けることなく、受け止めるから…。

葉月がこの世界で拾い集めた優しい想いが、今の私の中にある。

全ては、偶然によるものかもしれないが、私が招いた必然だったのかもしれない。

私は、ただ一つのものが欲しかっただけだ。

人のように心から大切に想えるものが欲しかった。

何にも代えがたいものが欲しかった…。

己だけが、この世界の移り行く時間の中に閉じ込められているようで…。

逃げ出したかったのかもしれない。

生きている実感が欲しかった。

ちょうこへの想いが強ければ強いほど、想いを残す人が亡者になっていく様が憐れで、そして羨ましかった。

私は亡者にはなれない。

力が欲しいのでもない。

ただ、ちょうこにもう一度会うことだけが、心の拠り所だった。

己の願望が醜い姿になって大きくなっていくことを止めることも、認めてやることもできなかった。

葉月が人を想う優しい気持ちにもいろいろな形があることを私に教えてくれた。

そして、森が私達を助けたいと想っていることも気付かせてくれた…。

私は、きっと森や川…全ての自然から創られたのだろう。

か弱い生き物を助けるために…。

そう、私は己の弱い心も救いたい。

でなければ、亡者をも助けたいと願う葉月に対峙できない…。

さぁ。私の弱い心よ。私の中も戻っておいで…。

もう決して追い出したりはしないから。

一緒に私と生きていこう…。』


バケモノの目から一粒の涙が流れた。

そして、龍神様に向かって飛び、スーッと消えていった…。


全てが終わった…。



◇◇◇


おばあさんが大声を出した。

家人たちが我に返ったように動き出す…。


「ご領主様のご様子どうだ?お怪我があるならば、手当が先じゃ。

しのの様子も確認するのじゃ…。

もしかすると助かるかもしれん…。」


龍神様は、微笑みを絶やさずに私に寄り添って立っていた。


バケモノが持っていた『赤い玉』を誰かが拾って持ってきてくれた。

綺麗な薄い赤色の小さい玉になった『赤い玉』は、私の手の上に乗せられた。


そこには月子ちゃんの気配が残っていた。





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