第40話 邪悪な力

「さくらちゃん…。この子をお願い…。」


ヘビの姿で着物を着たヒトらしきモノは、私がこの世界で初めて見たあのモノだった。

でも、そのモノは、赤ん坊を抱いて走り寄って来て…。

さくらさんに何か話して、赤ちゃんを渡すと一気に走り出していた。

真っ黒な影、2本の角、銀色の鱗が剥げかけた、獣のような、魚のような、腐りかけた龍のバケモノに向かって…。


「しのちゃん!あぶない…。」さくらさんが叫ぶ…。


「暁様…。暁様おやめ下さい…。」


バケモノがゆらりと動き、しのちゃんと呼ばれた女性が走って来る方向に目を向けた。


「しのちゃん、だめ!行っちゃだめ!危ない!」

さくらさんとつばきさんが口々に叫んだ。


しのちゃんと呼ばれた女性の耳には、二人の悲鳴に似た静止など届かなかったのだろう。

一直線にバケモノに向かって走っていく。


バケモノは『赤黒い玉』を片手に乗せたまま、天に腕を突き上げる…。

「邪魔だ…。」


つばきさんは、自分の胸元にしまっていた『赤い石』をしのちゃんと呼んだ女性に向かって思いっきり投げると、合掌して祈りを込めた。

『赤い石』がバッと椿柄の着物に変わった。

と、同時に『赤黒い玉』からは、黒い稲妻が走った。


間一髪だったと思う。

なんとか椿柄の着物が黒い稲妻からしのさんを守った。

しのさんは、ぼろぼろになった着物をはぎ取り、それでもバケモノに向かって走っていく…。


「暁!止めよ!」


馬の嘶きと樋爪の音が私の近くを物凄い速さで通り過ぎていく。

馬でここまで飛ばして来たらしいご領主様の声が響いた。


「暁…。その手にあるものはなんだ?

しのを傷つけようとするなど…。お前、一体どうしたんだ…」


馬から飛び降りるようにして降り立ったご領主様は、早足でバケモノに近づいていく…。

「あ…兄上…。」

一瞬だけ、バケモノが人の顔に戻った。

でも、『赤黒い玉』を握った手は、天に向けられたまま…。

まるで操り人形のように、天に向けて伸ばした腕と顔の向きがちぐはぐに動いている。

それは『赤黒い玉』が意志を持って、暁と呼ばれる人を操っているかのように見える…。

いや、多分操っているのだろう。

だって、暁と呼ばれる人の顔は、バケモノではなく幼い子どもの顔に変わっている…。


暁の意志とは関係なく、『赤黒い玉』からはまた黒い稲妻が走った。

今度はご領主様に向かって…。


ご領主様に向かって伸びた黒い稲妻は、サッと抜いた刀によって弾かれた…。

敏捷な動きだった。


「暁…。もう自分では止められないのか…?」


「暁様…。しのが…。しのがお止め致します。この命に代えても…。」

ヘビに見える女性が、暁の天に伸ばされた腕に縋りつくように走り寄っていく…。


そして…黒い稲妻が、走り寄る女性に直撃した。

身体中に光を帯びるとヘビに見えていた女性は、全身を震わせて倒れ込み、そして徐々に美しい女性の姿に戻り、ピクリとも動かなくなってしまった…。


「しの…。しの…。しの…。

暁!何をしたんだ。しのは…。しのはお前の伴侶であろう?

なぜ、こんな無体がことが出来るのだ…。

しのは、お前の子を生んだばかりではないのか?」


「兄上…。しの…。子ども…?

ああ…。己の身体を制することが出来ない…。

しの…。すまない…。しの…。

兄上…。助けてください…。

どうか…どうか…。私を切り捨ててください…。」


バケモノから幼い子の顔に変わってしまった暁と呼ばれる人の目からは、大粒の涙が溢れ流れていた。

身を捩って逃れようとしても、伸ばした腕と繋がる身体は『赤黒い玉』を天に向けて突き出した姿勢のままで、身動きできない状態のようだった。


顔以外がバケモノの姿になっているその後ろからは、『餓鬼』たち亡者がうようよと湧いて出てきていた…。

「ああああああ…。腹がへった…。食いモノをくれ…。」

「あああ…。食いモノをくれ…。」

「食いモノをくれ…。あああ…。」

「あああ…。食いモノ…。腹がへった…。」

「腹がへった…。あああ…。食いモノを…。」




先程までの暁の声とは違う、野太くしゃがれた声が響いて来た。


「まもなく。龍神の力を我が手にする…。

亡者たちよ。ここにいる人間どもを全て喰らうのだ。」


ウオーーーーーー。


亡者たちが時の声をあげた。



私は全身ががくがくと震えていくのが分かった。

逃げ出したいけど、足が動かない。

もう、恐ろしくて堪えきれない…。立っているのが不思議だ…。

このまま、失神しても可笑しくないって思う。


これは何なの?

バケモノとかヘビとか亡者とか…。

私にだけ見えているの?

しのさんって人は死んじゃったの?

どうしたらいいの…。誰か助けて…。


『森に助けを求めるのだ』

また、あの静かな優しい囁き声が私の耳元で響いた…。


私は震える手にやっとの思いで力を入れて『赤い玉』を両手で天に掲げ、筑波山に向かって大声を出した。

「お願い!助けて!」


『赤い玉』がきらきらと煌めくと眩い光を発し始めた。

すると、筑波山が呼応するように、赤く色づいていった。


地響きが遠くで鳴っている。

ドドドドドドドドド…。


筑波山が大きく揺れた。

ぐわんぐわんに揺れた…。


そして、何かが降って来た。


パラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラパラ…。


それは、木の実だった。

大小さまざまな大きさ、形をした木の実が雨粒のように降り注いできた…。


え?木の実が何で…?







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