第38話 叫び声

うとうととしていたためか、誰かが呼んでいることにすぐには気付けなかった。

それは、とても小さな声だった。


「風子…。」


隣の部屋から微かに聞こえる声は、紛れもなく圭蔵さんの声だった。

慌てて襖を開けて、圭蔵さんの左側にそっと近づくと、薄っすらと目を開けるのが分かった。


「圭蔵さん…。」


何故か圭蔵さんの近くで世話をしているはずの母の姿が見えない。


折れていない左手に優しく触れると、圭蔵さんの声が耳の奥に響くような音で聞こえてきた。

「風子…。子どもが出来たんだね?」

「そうよ。だから圭蔵さんは早く良くなって、この子の名前を考えてくれなきゃだめよ…。」

「女の子だね…。」

「うふふ。分かるの?」

「分かるよ。風子に似てて可愛い…。」

「元気に育つかしら?」

「ああ、きっと元気に育つよ。私達の子どもだからね…。

名前は…。椛にしよう…。花子さんの分も生きてほしいから…。」

「私、花子ちゃんの事…。」

「大丈夫だよ。風子は悪くない…。

私が風子の分まで謝ってきてあげるから…。心配いらないよ…。」

「どうして?花子ちゃんには、私から謝るからいいのよ?」

「うん。そうだね…。でも、先に謝っておくから…。」

「いや。いやよ?一緒に謝りに行きましょう?

圭蔵さんは、これから元気になって、椛が生まれたら一緒に3人でお墓参りに行くんでしょう?」

「うん。そうだね…。一緒に3人で生きたい…。生きていきたい…。」

「圭蔵さん?圭蔵さん?」


自分の声が段々大きな声になっていくのが分かる…。

反対に圭蔵さんの声は小さくなっていく…。


「圭蔵さん?起きて?目を開けて?今…お話ししてたじゃない…。

お願い、もう一回声を聞かせて?

私…。まだ…、まだお礼も言っていない…。

幸せだったって伝えてない…。

逝かないで…。

私を置いて逝かないで…。

この子を…椛をどうやって育てていけばいいの?

お願い…。私を一人にしないで…。」



私の声で家中の人が集まって来た。

圭蔵さんはもう呼吸をしていなかった。

誰かが圭蔵さんの頸動脈に触れ、胸に耳を置き、口元に手を当ててから、ゆっくりと首を横に振った…。


いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ…。



いつの間にか部屋を出て、玄関から裸足で道端まで走り出してしまっていた。


「いやだー!」


私は空に向かって大声を出して叫び声をあげた。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴーッという大きな地響きが近づいてくる。

これまでにない大きな地震が起きている。


圭蔵さんが居ない世界なんて…。いらない!

もう、何もかも無くなってしまえばいい。



◇◇◇



暁が持つ『赤い玉』は、赤黒い色に変色してきていた。

瀕死の圭蔵を家の前に投げ捨て、その後の様子を近くの民家で隠れて見ていた暁は、大きな地響きが始まったとき、笑いが込み上げてくるのを抑えきれなかった。


「はははははははは…。やっとだ。やっと全てが手に入る…。」


笑い顔の暁を囲む男達の姿は、緊張して身体を強張らせて刀を握りしめている男衆にしか見えなかった。

が、しかし葉月が見たならば『餓鬼』がいると騒ぎだしていただろう…。

そして、『赤黒い玉』を持つ暁は、風子らが見た化け物にしか見えなかっただろう。ソレは、真っ黒な影を持つ、2本の角が生え、銀色の鱗が剥げかけた、獣のような、魚のような…。しいて言えば、腐りかけた龍とも言えるかもしれない…そんな姿をしていた。

腐敗臭をまき散らし、全ての生き物を死に至らしめる…ソレは生き物であり、死にモノでもあった。


暁は自らの持つ『赤黒い玉』を掲げ、声を張り上げた。

「全ての力よ、我の元へ…。」

 


◇◇◇



花子さん、いや風子ちゃんが大声で叫んでいる。

私は着替えもせずに待機していた自分を褒めてあげた。

着替えなんかしてたら、間に合わない…。

胸元にあるはずの『赤い玉』に願いを込める。

「どうか、風子ちゃんを救ってあげてください…。」


圭蔵さんの容態は、徐々に悪化しているのは傍目からも分かった。

息が荒くなり、肩で呼吸しているのに、その呼吸自体が浅くなってきていた。

助からない…。多分誰もが思っていただろう。


それなのに、隣の部屋で寝ている風子ちゃんには、誰も伝えられなかったのだ。


大声で泣き叫ぶ風子ちゃんに向かって、私は走り出していた。

お願い…。誰か風子ちゃんを助けてあげて…。



◇◇◇



圭蔵さんの容態が悪くなっているのに、自分の娘に伝えることができないでいた。

私は、花子と善一さんが亡くなったときも、受け容れられなくて目を背けてしまったのを思い出していた。

あの時、花子や善一さんの死を受け入れてさえいれば、風子だってもっと違う生き方が出来たのかもしれないのに…。

ああ…。花子!善一さん!お願い、風子を助けて…。

私に力を頂戴…。

私に風子を守る力を…。



◇◇◇



玄関から走って降りた私の目に映ったものは、大声で叫ぶ風子ちゃんを守る様に抱きしめるさくらさんの姿だった。

凛とした女騎士のように、鎧を着け、優しく腕の中に風子ちゃんを抱えながら、必死に力を振り絞って地震を抑えようとしていた。


でも、風子ちゃんの力の方が強くて、地震は続いていた。


その時だった。


夢で聞いたことのある高笑いが聞こえてきた。

確か…『暁様』って呼ばれていたっけ?

高く掲げた手には『赤黒い玉』が載っている…。

その後ろには、亡者たちが居た…。








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