第36話 受け入れがたい現実

その日は、前日に雨が降ったせいか、かなりの靄が立っていた。

50㎝の向こう側が見えない程に視界が悪い…。久し振りの深い朝靄に包まれた朝だった。

明け方だったと思う。

家の玄関先に、ドサッと大きな荷物が投げ落とされたような音がした。

こんな時間に誰が荷物など…?と訝し気に家人が急いで通りを見たが、すでに人影は朝靄の中に消えてしまっていた…らしい。


家人は、投げ落とされた大きな藁に包まれた荷物を見てぎょっとした。

足が出ていたからだ。


すぐに大騒ぎになった。


「誰か!誰か来てくれ!人が…」


何か虫の知らせでもあったのだろうか…。家の奥の部屋で寝ていたはずの花子さんが、一番に駆けつけて藁に包まれた人を急いで確かめた…。

全身に傷があり、手足が冷たくなっていたが、息は微かにあった…。


「嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。

圭蔵さん。圭蔵さん。目を開けて…。

誰か、誰か来て…。

圭蔵さんが、圭蔵さんが…。

誰か早く…。圭蔵さん、圭蔵さん。しっかりして…。

私を見て、お願い。目を開けて…。」


花子さんの必死な叫び声を聞いて、家中の者が集まって来た。

医者を呼びに行く者、圭蔵さんを家の中に運び入れる者、湯を沸かし、薬や包帯を用意する者…。

家人たちは、手際よく働いた。


圭蔵さんの傍らには、お腹が大きくなった花子さんが泣き崩れていた。

その横には、さくらさんも居た。


「どうして?何があったの?

圭蔵さん、圭蔵さんは助かるの?」


医者が到着し、圭蔵さんの身体を丁寧に診ていく。

全身に打ち身や切り傷があり、両手両足の爪ははがされ、右腕は折られていた。

頭には傷があり、かなりの血を流したようで意識は戻らない…。

顔は殴られたのだろう、青黒く腫れ上がり口が利ける状態ではなかった。


「この数日が峠でしょう。拷問を受けたのでしょうか…。

しかし、あまりにも無惨な有様で…。一体誰がこんなことを…。」


誰かが呼んだのだろう、良二さんとつばきさんも駆けつけてきた。

圭蔵さんの傍らに座ると、良二さんは頭を垂れた。


「すまない…。」


「どういうことですか?圭蔵さんは石彫師の修行に行ったんじゃなかったんですか?

何故、何故叔父さんが頭を下げるの?

一体何があったの?

ちゃんと説明して…。」


興奮する花子さんを横から支えるさくらさんも泣き顔になっていた。

さくらさんは、深呼吸をして着物の衿を正すと、正座をし、分家である姉夫婦に向かって、三つ指をついて頭を床にこすりつけた。


「花子のお腹の中には、圭蔵さんの子がいるんです。

お願いします。真実を教えてやって下さいませ。」


手短に良二さんは圭蔵さんに依頼していた内容『善一さんの事故があった時期にここら辺で採れた石で造られた仏像などが売りに出されていなかった調べて欲しいと頼んだこと』を話した。


「何故?今頃になって…何故お父様のことを圭蔵さんが調べなきゃいけなかったの?

そんな危険なこと、どうしてこの人に…。

叔父さんが調べれば良かったんじゃないの?

どうして圭蔵さんが巻き込まれなきゃいけなかったの…。」


最後の言葉を言い切らない内に、花子さんは泣き崩れてしまった。


良二さんは小さな声で話し始めた。

「そうだね、本当は私がするべきだったね。

花子ちゃん。圭蔵はね、花子ちゃんとの祝言が決まってから、私の処に来たんだよ。

どうしても、亡くなった善一さんの事故を調べてみたいってね。

花子ちゃん…。いや風子…。

本当は、もう記憶が戻っているんだろう?

圭蔵が言ってたよ。

一緒に寝ていると夜中に決まって、譫言のように風子が『ごめんなさい。ごめんなさい。お父様。花子お姉さま…。』と何度も何度も言いながら大粒の涙を流すんだって…。

それを見ているのが、辛いと…。

いつまでも心のしこりとして残っている善一の事故のことをきちんと調べて、風子として生きていって欲しいと…。

私に土下座をしてね…。

圭蔵は全てを知っているようだった。

それでも、風子、お前を大切に想い、一生をかけて幸せにしてやりたいって、考えていたようだったよ…。」


「そんな、そんなこと、私に言ってくれれば良かったのに…。

あの時のこと…。

私が先に本当のことを言っておけば、こんなことには…。

花子お姉さまだって…。お父様だって…。」


さくらさんが優しく肩を抱いた。

「もう、自分を責めるのは止めなさい。

子がお腹にいるのだから…。体に障ってしまうよ…。

誰も悪くない…。

悪いのは圭蔵さんにこんなことをした人なんだから…。

さあ、隣の部屋に布団を敷きました。

お前は横になりなさい。

少しご飯も食べて、お茶を飲んで…。

圭蔵さんが目を覚ましたら、きっと呼んであげるから…。」


泣き崩れる花子さんを連れて、隣の部屋へと誘っていくさくらさんは、凛とした女戦士のように見えた。

いざって時は、強くなれる人なのだと思った。



この世界では、点滴もないし、抗生剤もない。

外科的な手術も出来ないし、痛み止めもない…。

医療が発達していない世界でできること、それは祈りだけだ…。

私は、胸元の『赤い玉』にそっと手を当てて、心から祈った。

圭蔵さんの命が助かることを…。




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