第30話 龍神の想い出 7 別れ

『風』と『月』は可愛い女の子達だった。初めこそ、ちょうこの乳を飲み、尿や便を出すだけの小さな人としか見えてなかったのに、次第に笑い、泣き、探し、見つけると笑うといった感情に合わせた表情をするようになった。

ちょうこは、乳をやるのが追い付かず、しまいには寝ながら乳をやりつつ寝入ってしまうこともあった。乳を貰った二人は、満足すると私にあやして貰いたくて声を出す。『ブー』といった言葉にもならない言葉が、私の中で意味を持つ…。

「遊ぼう!」と喃語で話しかける二人を抱いてあやしながら、ちょうこが小さかった頃を想い出す。

人は同じなのだな…。


いつの間にかハイハイを覚え、つかまり立ちをし、立って歩くようになると毎日が賑やかになっていった。

ちょうこは、忙しく子らの世話をし、ニコニコ笑っている。

季節が移り行く…。花が咲き、蝶々は舞、木の実がなっていく…。

実り豊な森が移ろいゆく姿を横目に見ながら、私は一時の幸せを嚙みしめていた。


しかし、ちょうこの授乳期間が終わり、たわわに育った乳がしぼんでいくように、ちょうこの身体の調子は徐々に悪くなっていった。

元気に立ち振る舞う姿は、いつの間にか減っていく…、

巫女が言っていた20歳はとうに過ぎ、本来ならばちょうこの命は尽きてしまっても可笑しくない…。

私はちょうこの身体の変調に気付かないふりをした。


◇◇◇


ちょうこは、子らが4歳になるころには寝たり起きたりといった調子となり、起きても横になっていることが多くなった。

今までは決して我儘を言うちょうこではなかったが、私に膝枕をせがんでは横になり、元気な子らを見ていることが多くなっていた。

子らの世話は巫女が準備した心優しい女がすることが多くなり、ちょうこは走り回る子らを見ては弱々しい笑顔を向けるだけになっていた。


私は気が気ではなかった。

いつ、ちょうこの命が途切れてしまうのか…。

私の膝枕で横になるちょうこの肩は日に日に細くなっていく。

食も進まず、水ばかり飲んでいたが、それさえも減ってきてしまっていた。

好きな木の実を差し出しても、首を振るばかり…。

ちょうこの肩に手を置くことさえも、はばかるほどに痩せた身体…。

息をしているのかどうかさえも怪しく思える胸郭の弱い動き…。

ちょうこの肩に置く私の手がほんの少し動くだけで、安堵する…。


ちょうこがか細い声で話す…。


「龍神様、私は空を飛んでみとうございました。筑波山の上から、風に乗ってみとうございました。夜の月夜にお月さまに向かって飛んでみとうございました…。」


「ああ。ちょうこ、お前が元気になったら参ろう。どこにだって飛んで行くぞ?

明るい朝日がかかる空には一緒に筑波山の上にかかる雲を突き抜けてみようか?

それとも、二人で夜中に満月にかかる雲を蹴散らしてみようか?

元気におなり、必ず連れて行ってあげるから…。」


私は出来もしない口約束を交わす…。

ちょうこが望むことを何でもやってやりたい。でも、今はちょうこの身体が耐えられないだろう…。


「龍神様、ちょうこは幸せにございました。何一つ、不足はございませんでした。

でも、ひとつだけ我儘を言うならば…。」

「うん?申してみよ?」

「もっと強い身体を持ち、この身体の寿命が尽きるまで、一緒に過ごしとうございました。『風』と『月』のこれからも心配です。

何よりも、龍神様を御一人に残していく逝くことが心残りです。

きっと、きっといつか私が戻ってくること信じて下さいましね?」


棒のように細くなった小指を立てて、ゆびきりをせがむ…。


「必ず戻って参れ。待っておるからな…。」


何故お前はもう逝くことを悟っているのか。

まだまだ一緒にやっていないことが沢山あるだろう?私を置いて逝かないでくれ…。

まだ逝くなと叫びたい気持ちを抑え、ちょうことゆびきりをしながら、心に誓う…。待っている…と。


ちょうこの髪を指で梳きながら、好きな舞の曲を鼻歌で奏でると、膝でちょうこの顔が揺れた。笑っているのだろう…。

「この舞が好きでした。これは、復活を祈る舞なのですよ…。

きっと『風』や『月』が舞ったなら、綺麗でしょうね…。」

「うん?ちょうこは早く元気になって舞を教えてあげなくては…ね?」

「そうですね…。教えてあげたかった…。

龍神様、あぁ…愛しい龍神様、必ずやもう一度……」


ちょうこの小さなな声が途中で途切れた。

ちょうこの肩に置いた私の手は、もう動かない…。


可愛い盛りの娘たちが、喜びの声を持って家に入って来た…。


「ととさま、かかさま、綺麗なお花がここに…。」

「ととさま?かかさまはお眠でありますか?」


「そうだね…。少し疲れたのだろうね。かかさまの眠りを邪魔してはいけないよ…。」


「はい。」

「ととさま?どこかイタイの?泣いてる…。」


娘たちが声を掛けるまで、私は自分の頬が濡れていることにも気付かなかった。

そう、生温かい水が頬を伝っている。これが、涙なのか…。

ちょうこの肩に置いた手から、ゆっくりと温もりが消えていく…。


私の大切な命が一つ、消えていった…。


◇◇◇


この後の数年は、ぼんやりとした風景だけが残っている。

来る日も来る日も、ちょうこの亡骸を抱いて空を飛び続けただけだったからだ…。


時折、赤い玉を通じて『風』と『月』の声が聞こえてきていたことも分かっていたが…。


私は手に乗せたちょうこの亡骸が朽ち果てるまで、いつまでも飛び続けた…。









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